2025年6月15日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1245) 「オピラルカオマップ川・キリプネイ川・弁毛山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オピラルカオマップ川

o-pitar-ka-oma-p?
河口・小石原・の上・そこに入る・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似郡様似町を流れる「幌満川」の東支流で、「パンケ川」より上流側で幌満川に合流しています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲヒラリヲマフ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オピラルカオマㇷ゚」と描かれています。

『午手控』(1858) には「ヲヒラリマフ」という記録と「ヲヒラリマフ」という記録があり、東蝦夷日誌 (1863-1867) には「ヲヒラリコマフ」と記されています。

河口・崖・高い・そこに入る・もの?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

O-pira ri omap   オピラ リ オマㇷ゚   高崖ノ處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.285 より引用)
o-pira-ri-oma-p で「河口・崖・高い・そこに入る・もの(川)」では無いかとのこと。疑問点があるとすれば ri-pira ではなく pira-ri となっているところでしょうか。

永田地名解はどうやら「オピラリマㇷ゚」派だったようですが、現在の川名は「オピラルマップ川」で、どちらかと言えば「──コマフ」説に近いものになっています。

河口・崖・路・の上・そこに入る・もの?

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 オピラルカオマップ川 幌満川上流の左支流。川口が崖路の上にある川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.580 より引用)
これは o-pira-ru-ka-oma-p で「河口・崖・路・の上・そこに入る・もの(川)」ではないか……ということですね。妥当な解のように思えますが、よく考えると「崖・路・の上」というのが何なのか、今ひとつ見えてきません。

河口・崖・もう一方の部分・そこに入る・もの?

何か見落としがあるんじゃないか……と思って少し考えてみたのですが、o-pira-arke-oma-p で「河口・崖・もう一方の部分・そこに入る・もの(川)」と読めるかもしれません。

オピラルカオマップ川の河口の正面(真西)は比較的等高線が稠密になっている(=急斜面)のですが、河口の数百メートル東側も急な斜面があります。これを pira-arke で「もう一方の崖」と呼んだのでは……という可能性です。

河口・小石原・の上・そこに入る・もの?

ただ、もっと単純に o-pitar-ka-oma-p で「河口・小石原・の上・そこに入る・もの(川)」だったんじゃないかと考えています。「タ」と「ラ」を聞き違えるというのはありえない話では無いと思われるので……。

キリプネイ川

kerepnoye-i??
トリカブト・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌満川」に「オピラルカオマップ川」が合流する地点から幌満川を北に 2 km 強ほど遡ったところで、同じく東から合流する支流です。「キリプネイ川」の南には「錐舟山」という名前の三等三角点(標高 852.2 m)もあります。

北海道実測切図』(1895 頃) には「キルㇷ゚子イ」という名前の川が描かれていますが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川名が見当たりません。位置的には「メナシヘツ」が該当しそうに見えますが、これは menas-pet で「東・川」ということになるでしょうか(menas-un-pet-un が略されたのかも)。

『午手控』(1858) p. 131 には「ケルフ子イ大川」と記されていました(p. 86 では「ケーレヒ子 右小川」)。あと……あ。「ケーレヒ子」は「キリプネイ川」のことだったかもしれませんね。だとすると「東西蝦夷──」は「フチミ川」の位置に「キリプネイ川」(=ケーレヒ子)をプロットするという「やらかし」があったということに……。

茅が太いところ?

気を取り直して「キリプネイ川」の地名解に取り掛かりましょう。永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ki rupune-i   キ ルプネイ   茅太キ處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.285 より引用)
ki-rupne-i で「茅・大きくある・ところ」ではないか……ということですね。『北海道実測切図』の「キルㇷ゚子イ」という記録とも矛盾が無いのですが、松浦武四郎が「ケルフ子イ」「ケーレヒ子」という記録を残していることを考えると、永田方正が「(自分が)正しい(と思う)形」に地名を「捻じ曲げた」可能性が出てきます。

「フッチミ」と「ケーレヒ子」

『北海道実測切図』では、現在の「キリプネイ川」の位置に「キルㇷ゚子イ」と描かれていますが、『東西蝦夷山川地理取調図』には現在の「フチミ川」の位置に「ケーレヒ子」と描かれています。幌満川支流の位置関係を、下流から表にまとめてみましょうか。

午手控東西蝦夷
山川地理取調図
東蝦夷日誌北海道実測切図国土数値情報
ヲニナルシ
(左小川)
チニナルシ
(左)
ヲニナルシ
(左)
オンナルシペッ
(左)
オナルシベ川
---チヤラセナイ
(右)
-
フウレヒラ
(左)
フウレヒラ
(左)
フウレ平--
フブケシャリ
(左小川)
----
ケーレヒ子
(右小川)
ケーレヒ子
(右)
ケーレヒネ
(右)
--
-フヽケシヤリ
(左)
---
---フッチミ
(右)
フチミ川
---フッチミマウカクㇱュナイ
(右)
-
---ペサウンナイ
(右)
-
トウクチチャ
(左小川)
トウクツチヤヽ
(左)
トウクツチヤ
(左)
パンケトチキサㇷ゚
(左)
パンケ川
ヲヒラリヲマフ
(右小川)
ヲヒラリヲマフ
(右)
ヲヒラリコマフ
(右)
オピラルカオマㇷ゚
(右)
オピラルカオマップ川
サロマイ
(左小川)
サルヲマイサロマイ
(左)
--
ヘテウコヒ
(二股)
-ヘテウコヒ
(二股)
--
-メナシヘツ
(右)
-キルㇷ゚子イ
(右)
キリプネイ川
-シユンヘツ
(左)
-ペンケトチキサㇷ゚
(左)
幌満川

昨日の記事で作成した表と似ていますが、「東蝦夷日誌以前」と「北海道実測切図以降」で川名に異同が見られるので、記録どおりの順序をキープしつつ多少の修正を加えています。

この表で主張したいことは、「ケーレヒ子」が「キリプネイ川」のプロトタイプであり、現在の「フチミ川」の位置に存在したのではないか……ということです。つまり「ケーレヒ子」と「フチミ川」はほぼ同一のものだったのでは……という仮説です。

削らせる・もの・のような・ところ?

「ケーレヒ子」が(松浦武四郎の聞き書き通りに)現在の「フチミ川」の位置の地名だったとすると、kere-p-ne-i で「削らせる・もの・のような・ところ」と読めそうにも思えます。

フチミ川の河口部には川によって削られたと思しき岩崖があるようにも見えるので、そのことを形容した可能性があるかな……と。ただ p-ne-i という言い回し?があり得るのかという疑問も残ります。

トリカブト!?

若干もやもやした感覚が残るので、もう少し他の可能性を考えてみたのですが、知里さんの『植物編』(1976) に次のような記載がありました。

( 9 )kerepnoye(ke-rép-no-ye)「ケれプノイェ」[kere(觸れる)-p(者)-noye(ねじる,からむ),“觸れた者にからんで身動きできなくする”]根《A 空知》《幌別沙流
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.139 より引用)
これは「トリカブト」の項なのですが、kerepnoye で「トリカブト」を意味する場合があるとのこと。一般的には「トリカブト」は surku とされますが、『植物編』p. 142 によるとトリカブトにも「格付け」があり、kerépnoye は「その毒氣すこぶる猛烈なもの」とのこと。

つまり、地形から命名された「フッチミ」(hutne-i で「狭くなるところ」か)と植生から命名された「ケーレヒネ」という言い回しがあったものの、両者が同じ場所を指すという認識がやがて失われてしまったのでは……という想像です。

弁毛山(べんけやま)

penke-tukusis-yap?
川上側の・アメマス・陸に寄る
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌満川」と西支流の「パンケ川」の間に「弁毛山」という名前の三等三角点(標高 786.0 m)が存在します。『北海道実測切図』(1895 頃) では今の「幌満川」の位置に「ペンケトチキサㇷ゚」と描かれているので、それに由来するネーミングの可能性がありそうです。

永田地名解 (1891) には、現在の「パンケ川」(「ペンケ」ではない)に相当する川名の解が記されていました。

Panke tokushish yap   パンケ トク シㇱュ ヤㇷ゚   下ノ鱒漁場
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.285 より引用)
「ペンケトチキサㇷ゚」は penke-tukusis-yap で「川上側の・アメマス・陸に寄る」だった可能性がありそうです。例によって都合の良い時だけ永田地名解を利用しているのですが(汗)、それでは皆さんご唱和ください。「いいものもある、悪いものもある!」©

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