(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
アポイ岳
apa-o-i?
戸口・ある・ところ
戸口・ある・ところ
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌満川の西に聳える山で、頂上付近には「冬島」という名前の一等三角点(標高 810.1 m)があります。『北海道実測切図』(1895 頃) では無名の山として描かれていて、山の東南麓に「アポイ」というアハウイ岳?
東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。アホイ(左川)、是アハウイ岳より來る故に號く。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.223 より引用)
これは「アポイ岳」の東麓を流れる幌満川西支流の「アポイ」についての記載ですが、川名は「アハウイ岳」に由来する、と書かれています。火のあるところ?
更科さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。アポイ岳
様似町冬島の近くにあり高山植物で有名な山。アイヌ語のアペ・オイで火のあるところという意味。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
ape-o-i で「火・そこにある・ところ」ではないかとのこと。道庁の「アイヌ語地名リスト」にもこの解が記されていて、謂わば「公式見解」となっています。もとは山の名ではなく、この山の一部から噴煙があがっていたところを呼んだものであるという。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
ほうほう。なるほど……と思わせる内容ですが、「もとは山の名ではない」のであれば東蝦夷日誌の「アハウイ岳より来る」と言う説を否定することになりますね。この山は昔、マチネシリ(女山)といって、鹿が天上からおろされる山であるといい、昔はこの山が産んでくれるほど鹿がいたという。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
そう言えば日高山中に「鹿が天下りする山」(言い方)があったという記憶があるのですが、アポイ岳がそうだったんでしたっけ。アポイ岳の旧称が「マチネシリ」というのは、アポイ岳の北に「ピン子シリ」があるので蓋然性が高そうに感じられます。火を祀った祭壇のある山?
このあたりの話は「様似町史」に「アポイ岳の由来」として詳細が記載されていました。昔、何故か様似のあたりには鹿がいなかったため、土地のアイヌはカムイに鹿を授けてもらえるように「アポイ岳」の頂上に祭壇を設けて祈りを捧げたとのこと。そこで頂上に祭檀を設けて、刀を飾り供物をあげ燃え草を集めて積み重ね、これに火をつけて一団の火の玉を作った。この火に照らされた祭場に、アイヌたちが、ズラリといならび、ひとえに鹿のお授けを祈った。その甲斐あってこの地方にだんだん鹿が繁殖して、今日の様似の名物となった。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.51 より引用)※ 原文ママ
この故事?により、祭壇のある山(=アポイ岳)は「アペオイヌプリ」と呼ばれるようになったとのこと。そこでこの山をアペオイヌプリ(火が多くある山)とよんだ。意訳すると「大火を焚いた山」である。アポイはアペオイの転語でアポイヌプリというのである。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.51 より引用)
ape-o-i-nupuri で「火・多くある・ところ・山」ではないか……とのことですが、-i-nupuri というのは蛇足のような……。本来は ape-o-i で「火・多くある・ところ」か、ape-o-nupuri で「火・多くある・山」となるべきに思えます。現時点では「不明」?
山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。語義は忘れられた。いろいろな言葉を当てられるが自信はない。アペ・オ・イ(ape-o-i 火・ある・処)の略かといわれる。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.340 より引用)
山田さんらしいと言えばそれまでですが、随分と弱気な書きっぷりに見えます。道庁の「アイヌ語地名リスト」もこの記述を引用しているのですが、よく見ると「確定レベル」が「C」になっていました。この「確定レベル:C」は以下のように定義されています。C:多くの推論が存在するものや古く原型が忘れられたものなど、現時点では「不明」と言わざるをえないと思われるもの。
(北海道庁『アイヌ語地名リスト』より引用)
ここまで見てきた ape-o-i 説も、実は「不明」と言わざるを得ない……という評価だったようです。「アポイ」は川の名か?
ということで、「定説」のように思われた「火のあるところ」説も実は鉄板でもなんでも無い……ということになるのですが、この「アポイ岳」について *いつも通り* のアプローチで見てみたらどうなったか……というお話です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「アホイ」という *川* があり、「アポイ岳」に相当する山そのものは見当たりません(明確に「山」として描かれていません)。
注意すべきは「ホロマヘツ」(=幌満川)の源流部に「アチヤリノホリ」という山が描かれていて、また「エシヤマニ」(=様似川)の源流部に「アオイノホリ」という山が描かれています。これらの山と「アポイ岳」の関係は現時点では不明です。
『北海道実測切図』では、前述の通り「アポイ岳」に相当する山名の記入は無く、東南麓に「アポイ」という川(=幌満川の支流)が存在することになっています。
「実測切図」の記録からは「アポイ」という川があり、そこから「アポイ岳」という山名に *転じた* ように読み取れます。『様似町史』にも「この山をアポイヌプリと改称する以前は、マチネシリと呼んだ」とあります。
戸口のあるところ?
要は「アポイ」は山の名前ではなく、東南麓の川か、あるいはその流域を指していたのではないか……と考えたくなります。ということで「アポイ」と記録された川のあたりの地形を眺めてみると……なんと、ありがたいことに 2025 年 5 月時点のストリートビューが投稿されていました。これは……!
「またか」と言われそうですが、「アポイ」も apa-o-i で「戸口・ある・ところ」だったのでは無いでしょうか。下は毎度おなじみのチセ(家)の見取り図ですが、apa はチセに入るために設けられたクランク状の区画です。
幌満川を遡ると、支流「アポイ」のあたりで東から山が張り出していて、上流側を伺うことができません。外からチセの中を直接伺えないのと同じなので、このことを指して「戸口のあるところ」と呼んだのでは……という仮説です。
ややこしいことに、チセの真ん中には apeoy(炉)があるのですが、この apeoy は ape-o-i(火・ある・ところ)が転じたものとされます。つまり「アポイ」の先には「アペオイ」があっても不思議はないのですね。
「なんだ、結局『アポイ』は ape-o-i じゃないか」と言われたら……いやまぁ、それはそうなんですが……(汗)。
ピンネシリ
pinne-sir
男である・山
男である・山
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「アポイ岳」の 3.6 km ほど北に聳える山で、頂上付近には「『北海道実測切図』(1895 頃) には「ピン子シリ」という山が描かれています。更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。
ピンネシリ
アポイ岳の北の山。アイヌ語で男山の意。雷神や水神にまつわる伝説のある山。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
出オチ感が凄いですが、まぁ、そういう日もあります(開き直った)。道内各所に見られる山名ですが、pinne-sir で「男である・山」と見て良さそうです。「男である山」があるということは「女である山」(matne-sir)もあるわけですが、現在の「アポイ岳」が「マチネシリ」だったとのこと。なお pinne-sir と matne-sir では、「女である山」である「マチネシリ」のほうが標高が高いケースが多いことが知られているのですが、様似町の「ピンネシリ」は「マチネシリ」(=アポイ岳)よりも標高が高いため、例外の一つと言えそうです。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿