2025年7月18日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1256) 「エサマンベツ・ヌキベツ沢・タキナイ・シンノスケシュンベツ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

エサマンベツ

e-sam-an-pet??
頭(岬)・の傍・にある・川
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
四等三角点「江様別えさまべつ」の北あたりの地名(通称?)です。以前の記事でも触れましたが、「様似川」は『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「エシヤマニ」で、『北海道実測切図』(1895 頃) では「エサマンペツ」と描かれています。

また戊午日誌 (1859-1863) 「志也摩尼誌」には「シヤマニベツブト」(=様似川河口)、「シユムシヤマニ」(=西・様似川)、「メナシシヤマニ」(=東・様似川)と言った表記も散見されます。つまり「様似川」は「シヤマニ」であり、あるいは「エシヤマニ」や「エサマンペツ」とも呼ばれていた……と考えられます(何故か「マ」が落ちた形の「エサンベツ」表記もあり)。

陸軍図には、メナシエサンベツ川河口・ソーエサマンベツ川河口付近に「ヱサマンベツ」とあり、そこから様似川を遡った先に「ポンヱサマンベツ」と描かれています。

地名としての「ヱサマンベツ」は川名の「エサマンペツ」に由来すると見て良いかと思われます。「様似」の解を踏襲して e-sam-an-pet で「頭(岬)・の傍・にある・川」と考えたいところです。

ヌキベツ沢

nupki-pet?
濁り水・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町エサマンベツとポンエサマンベツの間のあたりで様似川に合流する東支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には何故かそれらしい川が見当たりませんが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヌツキヘツ」と描かれています。

戊午日誌 (1859-1863) 「志也摩尼誌」には次のように記されていました。

是より両岸椴・松等の木立山なりけるが、其間を上ることしばしにて
      ヌツキベツ
 右のかた小川。此両岸野原也。よつて号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.394 より引用)※ 原文ママ
「両側が野原なので」とありますが、「野原」であれば nupnupka になりそうなので、少々疑問の残る解と言えそうです。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Nupki pet   ヌㇷ゚キ ペッ   濁川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.283 より引用)
「ヌツキ」がしれっと「ヌㇷ゚キ」になっていたりしますが、概ね妥当な解であるように見受けられます。nupki-pet で「濁り水・川」と見て良いのではないでしょうか。

タキナイ

不明
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町ポンエサマンベツの北西隣の地名です。『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川名・地名とも見当たらず、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) でも同様です。ただ陸軍図には「タッキナイ」という地名が描かれていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「志也摩尼誌」には「シユムシヤマニ」(=様似川)の支流として「ヌツキベツ」「モユロヘツヲマナイ」そして「ソウシシヤマニ」が記録されていました。

『東西蝦夷山川地理取調図』には「ユコセヘツ」「ヲフラナイ」「シノマンシヤマニ」が描かれていて、若干の異同が見られます。

東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。

また西川を
シユンシヤマニといふ。上りてヌツキベツ(右小川)、モユルベツヲマナイ(左方)、過てソウシシヤマニ(左大瀧)、過てシヤマニ、イトコはベルフネ〔歴舟〕(十勝領)の源と相近し。そうじて兩岸瀧川數十條集て此川となる也。昔し土人等此山越をヒロウ〔廣尾〕・ラツコ〔臘狐〕・ベルフネ等へ越せしと言傳へぬ。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.214 より引用)
「シユンシヤマニ」(=様似川)には「モユルベツヲマナイ」と「ソウシシヤマニ」という「左支流」が存在する……としています。

地理院地図で見た限りでは、「ヌキベツ沢」以北の「様似川」には「左支流」は見当たりませんが、代わりに「右支流」がいくつか存在します。これを「左右を取り違えた」と見ることも可能ですが、むしろ現在の「ポンエサマンベツ川」を本流として認識していた、と考えるほうが無理がないかと思われます。

「タキナイ」のあたりは、山奥でありながら南向きの緩やかな斜面が広がり、農地、あるいは牧草地として活用されているように見えます。谷のような地形もあるものの、川としては描かれていません。これを様似川(シユンシヤマニ)の幻の左支流と見ることも可能ではありますが、とても「左大滝」と言えるものでは無さそうです。

「陸軍図」に「タキナイ」と描かれている時点で、何らかの形でアイヌ語と関わりのありそうな地名であるようには思えるのですが、現時点ではこれ以上さっぱり判らない……というのが正直なところです。

シンノスケシュンベツ沢

sinnoski-kus-pet?
真ん中・通る・川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似川最上流部の南支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シンノシケクㇱュペッ」と描かれているように見えます。素直に読み解けば sinnoski-kus-pet で「真ん中・通る・川」となるでしょうか。

現在の川名は「シンノスケシュベツ沢」で、「ク」が落ちて「ン」が付加されていますが、このあたりの様似川は「シユンシヤマニ」と呼ばれていたので、sinnoski-sum-pet で「真ん中・西・川」と呼ぶ流儀もあったのかもしれません。

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