2016年3月6日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (322) 「西舎・オロマップ川・トメナ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

西舎(にしちゃ)

kim-un-chasi?
山のほう・そこにある・砦
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
浦河町東部の地名です。ケバウ川と日高幌別川の間の部分で、JRA 日高育成牧場のあるところです。久しぶりに漢字の地名ですね(汗)。

JRA の牧場があって「西舎」と書かれていたら、もしかしたら西側の厩舎なんじゃないかと勘ぐってしまいますが、もともと「西舎」という地名だったようです。今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。

西舎 にしちゃ
 ケバウ川と本流との間の広い平地の地名。現在は馬の牧場として名高い。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.343 より引用)
完全に内容がかぶっている上に、山田さんの文章のシンプルなこと……。見習いたいものです。

意味がはっきりしないが,土地のアイヌ系古老の話で,ニー・チャ(ni-cha 木を・伐る)の訛った形だとも聞いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.343 より引用)
むむ。その後の本文も随分とシンプルに来ましたね。別段おかしな流れではありませんが、もう少し裏付けをとっておきたい気もします。ということで、久しぶりに我らが「角川──」(略──)を見てみましょう。

 にしちや 西舎 <浦河町>
日高地方南部,日高幌別川流域に位置する。地名は,アイヌ語のニシュウチャ(臼形の海岸の意)に由来するといわれるが(浦河町史),海岸線からは数キロメートルも離れており疑問がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1090 より引用)
おっ。やはりと言うか、別解が出てきましたね。nisu が「臼」というのはわかったのですが、あとの「ウチャ」が良くわかりませんでした。そして、確かに内陸部の地名としては疑問の残る解ですね。

山田さんの解も紹介されています。

また,ニーチャ(木を伐るの意)ともいわれているが(北海道の地名),詳細は不明。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1090 より引用)
そして、こんな補足も……。

松浦武四郎「戊午日誌」に「キムニシチヤ」という地名が見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1090 より引用)
そうなんですよね。戊午日誌「東部保呂辺津誌」には、次のようにあります。

また是より川まゝを西岸の方を上るに、道いよゝゝなく樹木ふかき故に、馬を爰え頂け置、凡廿七日七月の昼頃より上りけるに、十七八丁にて
     キムニシチヤ
左りのかた小川也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.413 より引用)
ということで、大いに期待を抱かせてくれるのですが……

其名義不解也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.413 より引用)
残念~。

さて、戊午日誌にあった「キムニシチヤ」のあたりを「東西蝦夷山川地理取調図」で見てみると、「キムニシチヤ」ではなく「キムンチヤシ」とあります。「キムニシチヤ」は意味が今ひとつ良くわかりませんが、「キムンチヤシ」であれば簡単ですね。kim-un-chasi で「山のほう・そこにある・砦」だと考えることができます。

ただ、「東西蝦夷──」と「戊午日誌」のどちらに誤記が多いかと言えば、なんとなく「東西蝦夷──」のような気がするのですよね。今の仮定だと、ちょうど真逆になってしまうのが少々引っかかるところです。もともと「キムンチャシ」という地名で、戊午日誌で「キムニシチャ」と誤記されてしまい、そのまま「キム」が略されて「ニシチャ」になった……と考えてみたのですが、いかがなものでしょうか。

オロマップ川

wor-o-oma-p?
水・入っている・そこにある・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
浦河町西舎から見て、日高幌別川の向こう側(東側)を流れている支流の名前です。

明治期の地形図には「オロマㇷ゚」とありました。また東西蝦夷山川地理取調図には「ヲロヲマニ」という記載があいます。但し東西蝦夷山川地理取調図では、本来東側の支流であるはずなのに、西側の支流であるかのような位置に描かれています。

また、戊午日誌「東部保呂辺津誌」にも記載がありました。

またしばし過て
     ヲロヲマフ
右の方小川、其両岸茅野凡一里四方も有る也。山越なして此処え出来りし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.411-412 より引用)
「右の方小川」とありますが、戊午日誌では「ケハウ」が「左りの方小川」と認識されているので、それなりに信頼できそうな感じがします。もっとも、p.405 の図では「ヲロヲマ」が西側の支流として描かれているのが少々気になりますが……。

小河川には絶対的な強さを誇る「北海道地名誌」には次のようにありました。

 オロマップ川 幌別川左支流。アイヌ語で水の中にあるものの意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.575 より引用)
あー、なるほど。wor-o-oma-p と解釈したわけですね。これだと「水・入っている・そこにある・もの」となります。アイヌ語の解釈としては明瞭だと思うのですが、地名、あるいは川の名前としては今ひとつ良くわからないですね……。

少し読み方を変えると woro-oma-p で「水に漬けておく・そこにある・もの」となるのですが、水に漬かった状態の何かがある、ということでしょうか。真っ先に思いついたのが水たまりの中の湧水なのですが、それであればこんな勿体ぶった表現をせずに、mem と言ってしまえば良いわけで……。

トメナ川

to-mem-nay?
沼・泉地・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
浦河町杵臼・中杵臼のあたりを流れる、日高幌別川の東支流です。

「角川──」(略──)には「富菜」と書いて「とめな」と読ませる地名が記録されていますが、現在は地名としては使用されていないみたいですね。とりあえず見ておきましょうか。

 とめな 富菜 <浦河町>
 古くはマツリシメナ・メナなどともいった。日高地方南部,日高幌別川中流左岸。地名は,アイヌ語のトーメナ(沼の支流の意)に由来(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.992 より引用)
ふむふむ。確かに永田地名解の p.280 に「トーメナ」の項がありますね。明治期の地形図にも「トーメナ」と記録されていますが、東西蝦夷山川地理取調図には「トメナ」と記されています。

戊午日誌「東部保呂辺津誌」にも記載がありました。

またしばし川まゝ上をば上りて
     トメナ村
右のかた小川也。其名義川すじ屈曲なしたる処の小さき方と云儀なり。川幅せまくしてふかし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.409 より引用)
「川すじ屈曲なしたる処の小さき方」ですか。さっぱりわからないですね(汗)。あまりに意味不明だったので、頭注でフォローが入っていました。

沼の細流川
または
to 沼の
memu 溜り水
nai 川
の詰り語か
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.409 より引用)
なるほど。to-mem-nay であれば「沼・泉地・沢」となりますね。

「マツリシメナ」あるいは「マツイシメナ」という記録もあるようですが、これは一体何でしょうね。昨日の記事でも少し記しましたが、どうやら「オバケ川」の上流あたり?に金山があったらしく、佐渡などから「金山掘り」が大挙してやってきた時代があったのだそうです。「万三郎」なる人名が由来となる「マサフロク」という地名が「戊午日誌」に記録されていて、東西蝦夷山川地理取調図」にも「マサフロ」と記されています。ですから「マツリシ」あるいは「マツイシ」がアイヌ語に由来しない可能性もゼロでは無いのかも知れません。

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