2016年3月27日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (328) 「ルスナイ・ヒトツ・ツケナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ルスナイ

rus-un-nay
獣皮・ある・沢
(典拠あり、類型あり)
換気扇と言えば、屋内の空気と屋外の空気を強制的に入れ替えてしまうため、どうしても冷暖房の効果が損なわれるという問題点がついてまわっていたのですが、三菱電機が開発した熱交換型換気扇はこの辺の問題を一気に解決した感がありますね。

さてルスナイです(お約束)。浦河町の元浦川沿いの地名で、同名の橋もあります。姉茶の北東、野深の東隣(川向う)にあたりますね。少し南側には同名の支流もあるようです。

では、今回は「北海道地名誌」から。

 (通称)ルスナイ ポロイワ山麓の元浦川左岸流域で水田が多い。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.577 より引用)
あー……。気を取り直して、戊午日誌「東部宇羅加和誌」を見てみましょうか。

また
     ルシュンナイ
右の方小川。其名義は両方とも高山有るによつて号るとかや。此川何もなきよし聞ける也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.468 より引用)
どうやら、もともとは「ルシュンナイ」という名前だったように思われますね。続いて永田地名解から。

Rush un nai  ルㇱュ ウン ナイ  獣皮ヲ乾ス澤 一名「ルー、シユム、ナイ」(路西川)
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.275 より引用)
ふむふむ。どうやら rus-un-nay で「獣皮・ある・沢」のようですね。永田方正は別解として ru-sum-nay で「道・西・沢」という考え方も出していますが、遡ると東に向かう川に対する名称としてはちょっと違うかなー、という感じがします。

ヒトツ

sittok-i
曲がり角の・ところ
(典拠あり、類型あり)
とある中小企業が、国内外の取引先を集めて創立ウン十周年パーティを開いた時のこと。社長さんが立食の場で海外の取引先を見つけては "One, please" という謎の一言をかけて回っていたのだとか。

「社長、"One, please" って一体どういう意味なんですか?」
「なんだね、キミは英語ができると聞いていたが、そんなこともわからんのかね。」

さて……(お約束)。浦河町ヒトツは野深集落の東側に位置しています。ちょうど元浦川が東側の山裾まで大回りをしているあたりですね。今回も「北海道地名誌」を見てみましょう。

 (通称)ヒトツ 地名の由来不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.577 より引用)
あー……。ただ、今回はもう少しだけ続きがありました。

大昔寛文年間から明治中期まで砂金採りが断続的におこなわれたところ。今は稲作農家が散在している。上野深つづきの元浦川右岸流域。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.577 より引用)
ふむふむ。砂金採りが盛んだったのですね。また、砂金絡みの話は戊午日誌「東部宇羅加和誌」にもありました。

七八丁も上るや
     シトチ(キ)
左りの方小川也。其名義は餅を喰しと云事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.473 より引用)※ 注釈は引用元による
え、餅を食べたことに由来する……?(汗)

訳は此川の奥に金銀山が有りて、昔しは余程繁昌なしたる由なるが、其節には此処に餅を搗(つき)て熹(あぶ)りし爺有りしと。依て号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.473 より引用)※ 注釈は引用元による
……。「この川の奥に金銀の鉱山があって昔はとても繁盛していた」は良いのですが、「当時はここで餅をついてあぶっていた爺さんがいたから」というのはあまりにご都合主義が過ぎるといいますか……。ちなみに shito あるいは shitoki で「団子」「餅」あるいは「粢(しとぎ)」という意味があるとのことで、そこからの類推だと考えられます。

ちなみに、「東蝦夷日誌」にはこんな記録もありました。

爰(ここ)に馬を預け置、鍋一枚を以て行に、シトナ(西川)此水至て清冷にて鮭多しと。此澤にカネカルウシナイといふ寛文年間まで金を掘し跡多し。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.195 より引用)※ 注釈は引用元による
「カネカルウシナイ」というのは中々傑作な名前ですね。kane-kar-us-nay で「金・採掘する・いつもする・沢」だと思われるのですが、もちろん「カネ」は日本語の「金」のことですよね。

「ヒトツ」の話題にもどりますが、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のようにありました。

松浦図では「シトチ」である。永田地名解は「シットキ。岬。直訳臂(ひじ)」と書いた。シットク「shittok(-i)」は「ひじ」で,川の曲がりかどをいう。それから来たものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.347 より引用)
あー、なるほど。元浦川が大きく湾曲していることを指して sittok-i で「曲がり角の・ところ」という地名だったのですね。

それがシトチとなり,「ヒトツ」となったものであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.347 より引用)
なるほど、納得です。

では、冒頭の文に戻りましょうか(何故だ)。

「社長、"One, please" って一体どういう意味なんですか?」
「なんだね、キミは英語ができると聞いていたが、そんなこともわからんのかね。『ヒトツ、よろしく』じゃないか」
「……。」

お後がよろしいようで(汗)。

ツケナイ川

tuk(-oma)-nay
小山(・そこにある)・川
(典拠あり、類型あり)
昨日の記事で、山田秀三さんの「北海道の地名」から以下の文章を引用しました。

 野深の市街地はツケナイ橋を西に上った処でアイヌ系古老浦川タレさんの出身地という。そば屋が一軒あり,土地のそばをゆっくり味わった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.347 より引用)
「そば屋」の現況が気になる……という話は置いときまして、「ツケナイ橋」の所在が実は良くわかりません。ヒトツとベッチャリの間に「上野深橋」という橋がかかっているのですが、この橋のことでしょうか……。「ツケナイ川」はざるそばに対する重大な挑戦状を叩きつけているような名前ですが(どこがだ)、元浦川の支流・ベッチャリ川の北支流です。

どうにも意味がよくわからないなぁ……と思っていたのですが、戊午日誌「東部宇羅加和誌」にこんな記載を見つけました。

またしばし山間に上り行て
     トキヲマヘツ
左り方小川。其名義不解也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.475 より引用)
どう見ても「ツケナイ」とは別の川にしか見えないのですが、これが永田地名解ではこうなってですね……

Tuk oma nai  ト゚ク オマ ナイ  凸處ニアル澤
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.274 より引用)
そして oma が中略され、tuk-nay になったのではないかと。tuk(-oma)-nay で「小山(・そこにある)・川」だと考えられそうです。tuk の所在が少々謎ですが、あるいはツケナイ川がベッチャリ川と合流したところのすぐ西側にある、176.2 m の三角点がある山のことでしょうか。

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