2025年11月16日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1309) 「野地勢雲内・般別大橋」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

野地勢雲内(やちせうんない)

yat-chise-un-nay
樹皮・家・ある・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
高見ダム(静内川)のダム湖である「高見湖」の南に「野地勢雲内」という名前の三等三角点(標高 802.4 m)が存在します。『北海道実測切図』(1895 頃) では、三角点の北東に相当するあたりに「ヤッチセウㇱュナイ」と描かれていました。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヤツチセウシナイ」と、その隣に「ヘンケヤツチセ」が描かれていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「志毘茶利志」には次のように記されていました。

また峨々たる高山の間しばし過て
     ヤツチセナイ
右のかた小川也。昔名義は木皮を以て木小屋を作りし事を云よし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.615 より引用)
どうやら yat-chise-un-nay と見て良さそうな感じですね。yat という語は辞書類には見当たりませんが、これは yar が音韻変化したからでしょう。『アイヌ語入門』(1956) p.172 にある「r は,ch の前でも,それに引かれて t になる」という法則です。

ということで yar ですが、萱野さんの辞書には次のようにあります。木の種類は明記されていませんが、特定の種類に限定されるようです。

ヤㇻ【yar】
 木の皮:狩小屋を建てる時,屋根とか囲いに使えるぐらいの広さや長さのあるものをいう.どんな木の皮でもヤㇻというものではない.
萱野茂萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂 p.450 より引用)
一方で、田村さんの辞書には「白樺の皮」と明記されていました。ただ「皮製の入れ物」とあるので、随分と対象が限られたような扱いです。

yar ヤㇻ 2 【名】白樺(「かんび」)の皮製の丸い入れ物。
(田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』草風館 p.840 より引用)
yat-chise-un-nay がどんな木の樹皮で作られた小屋を指していたのかは明確ではありませんが、「樹皮・家・ある・川」と見て良いかと思われます。

般別大橋(ぱんべつ──)

pan-pet
川下側の・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
高見ダム(静内川)のダム湖「高見湖」の北で「パンケベツ沢川」を渡る道道 111 号「静内中札内線」の橋です(https://info.qchizu.xyz/qchizu/tile/mlit_road/ では「別大橋」)。少し先には「ペンケベツ沢川」を渡る「辺溪別ぺんけべつ大橋」もあります。

「パン」と「パンケ」

何故か「パンベツ」「ペンベツ」なのですが、『北海道実測切図』(1895 頃) でも「パンペッ」「ペンケペッ」となっていました。「パンケ」ではない「パン」ですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されていました。


pan- 川しもの。「ぱヌッカ」pan-utka 川下の・浅瀬。(対→pen- )[<pa+ne(川下・である)]
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.85 より引用)
一方、おなじみの「パンケ」については……

pán-ke ぱンケ 川下;川下の。(対→pen-ke)[→pan, -ke]
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.85 より引用)
違いが良くわからない、というのが正直なところです。

「パン」と「ペンケ」

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Poe pet   ペン ペッ   上川 瀧トナリテ落ツ
Pan pet   パン ペッ   下川 瀧トナリテ落ツ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.256 より引用)※ 原文ママ
あれ……? という話ですが、ところが良く見ると「ペン ペッ」の 3 つ前に

Penke pet   ペンケ ペッ   上川
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.256 より引用)
何故か「ペンケ ペッ」だけ別に存在していました。『北海道実測切図』は(刊行時期の関係もあり)永田地名解の影響を強く受けていますが、このあたりでは異同が少なからず見られるのは興味深いですね。

また戊午日誌 (1859-1863) 「志毘茶利志」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ハンベツ
左りの方小川也。其名義は下川と云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.615 より引用)
そして「ハンベツ」(=パンケベツ沢川)の支流が記された後で

扨しばし上りて、此辺は川すじと云は少しも通られざるよしなるが、山の上を伝ひ行て
     ヘンケベツ
左りの方相応の川也。是上の川と云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.616 より引用)
「ヘンベツ」が出てきました。つまり松浦武四郎も「ハンベツ」「ヘンベツ」と記録していた……ということになります。

「パンケベツ沢川」は pan-pet で「川下側の・川」だったと見られるのですが、何故かどこかのタイミングで「ペンケベツ沢川」との整合性を取るために? 川名が「パンペッ」から「パンベツ沢川」に改められたようです。

消えた「パンベツ沢」

国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で確かめたところでは、1968(昭和 43)年の 1/50000 地形図では「パンベツ沢」「ペンベツ沢」で、1977(昭和 52)年の 1/50000 地形図では「パンベツ沢」「ペンベツ沢」に改められていました。まぁアイヌ語地名のルールというかマナーを考えると妥当な判断ですが、松浦武四郎以来の由緒ある「謎な記録」が打ち消された……とも言えそうですね。

川名としての「パンベツ沢」は 1977(昭和 52)年以前に消されてしまいましたが、1982(昭和 57)年に完成した橋の名前としてひっそりと蘇った、ということでしょうか。

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