2008年10月26日日曜日

北海道の旅 2008/夏 (65) 「立派なビルの法則」

仙台駅前のあまりの混みようにあたふたしながら、何となく塩竃方面に向けて車を走らせます。理由は特に無いんですけど……ね。

愛宕上杉通なる通りを北上すると、なんだか立派なビルが見えてきました。
駅から少し離れたところに立派なビルを建てているのは、大抵インフラ関連の会社なのですが、これも案の定と言うべきか、NTT DoCoMo のビルみたいです。

こちらは、右折禁止の制限に引っかかって、ちと遠回りした際に見かけたビルです。
これはどうやら東北電力のビルの模様。東北電力と言えば、かの白洲次郎が会長を務めていた会社ですね。

パーキング自体がハイブリッドだとか

こんなパーキングビルも見かけました。
プリウスパーキング」らしいのですが、車種限定だったりしたら困りますね。

松島ってこんなところ

途中、JR 東北本線の利府駅や JR 仙石線の本塩釜駅に立ち寄りながら、松島にやってきました。だいたいこんなところです。
さらに中心部に近づくと……こんな感じです。
やっぱ、ふつーの観光地になっちゃってますね……。この手の趣向は苦手なので、そのままスルーして立ち去りました。

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2008年10月25日土曜日

北海道の旅 2008/夏 (64) 「どこへ行くのも約 866 km (←」

財布も然る事ながら、周りからの好奇の視線が痛そうで

東北道の前沢 SA に立ち寄ったわたくし。一瞬、「旅の恥はかき捨てだ!」などと訳の分からないことを考えて、8,000 円の「前沢牛ステーキセット」にトライしようか……と思ったりもしたのですが、さぁすがにちょっと……というわけで、手堅く?ビーフカレーにしてしまいました。

ただ、「カツカレー」よりも「ビーフカレー」が高いという、逆転現象が見られたのは特筆すべき……ではないかと。

ロイヤルパークホテルってところですが

その後は、安全運転で仙台は泉 IC に辿り着きました。ホテルにチェックインしたのが 21 時頃。さすがに今日は 19 時半に入るのは無理でした。こちらのホテル、なんでも 2002 年のワールドカップ(あ、サッカーのほうですよ)でイタリア代表が使用したとかで、とても雰囲気のいいところでした。交通の便がイマイチだからか、それほどお値段も高くないので、車で仙台に行く場合は穴場かも知れません。

目指すは常磐道の走破

さて、ついに Day 8 です。まずはルートマップから。
日に日に縮尺が大きくなっていくのが笑えます……笑うところです、きっと。最終日のルートは約 866 km。想定所要時間は 14 時間程度です(わはは)。スペシャルステージ(ぉぃ)は「三陸道・仙台東部道」「常磐道」「首都高」「西湘バイパス」「東名・新名神・東名阪」の 5 箇所です!

Day 8 のゴールは……その日のうちに帰宅できるか、ですね。

適正価格とは何か

では早速、仙台市内で見つけた気になったものを。
「100 円パーク」ならぬ「50 円パーク」。原油高から来る物価高のこのご時世に、消費者志向の価格設定を貫くあたりに好感を覚えます。いや、別に 1 時間 100 円でもいいと思いますけど(←

仙台駅前はカオスだった……か?

一応、仙台駅前の様子でも見ておこうかと近寄ったのですが……もの凄く渋滞してました。土曜日だったんですが、シャレで近づかない方が良さそうですね。

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2008年10月24日金曜日

北海道の旅 2008/夏 (63) 「またのご乗船を、心よりお待ちしております」

Day 7 は、函館港 FT からナッチャン Rera に乗船して、青森まで快適な船の旅を楽しんだ……という話は、随分前に記事にしたので省略して……と。
今月いっぱいで無期限運航休止ですので、お急ぎ下さい……。

青森のガソリン事情

青森港 FT に到着して真っ先に確認したことが……カーナビは生きているのかどうか、ということで。しばらく放っておけば直るかな、と楽観視していたのですが、案の定、すぐに復活してくれました。GPS のおかげですね。

この後は……。ひたすら東北道を仙台に向かうだけなのですが、約 400 km を走りきるだけの燃料が残っていないので、まずは給油から……です。およそ 500 km ちょい走って 50 リットル給油。まぁ、こんなものでしょうか。

単価はハイオクで @188 円でした。安くは無いですね……。

新幹線工事中?

てきとーに国道 7 号線を走っていると、東北道の終点の青森 IC にやってきました。なんだか見慣れない斜張橋が見えます。
ウラは取っていませんが、多分、工事中の東北新幹線か何かではないでしょうか。青函トンネルを新幹線が走るようになると……フェリーの旅客需要はちと厳しくなりそうですね。

弘前 IC のあたりの写真です。いやー、交通量が少なくて快適です。

前沢 SA にて前沢牛を食す?

青森 IC に流入したのが 16:16 頃、そこから約 400 km を走破すると、本日のお宿に辿り着きます(仙台郊外)。重要なのは「どこで夕食をとるか」だということが、Day 7 にしてようやく痛いほど身に染みてきました(笑)。

「どっかてきとーに SA でも入って夕食にありつくか!」と思って、辿り着いたのが前沢 SA。地名の知名度はイマイチに思えますが、肉牛の産地として有名だったのでした。レストランのメニューも、こんなスペシャルなものです。
「前沢牛ステーキセット」お値段 \8,000- 也。おひとついかがで?

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2008年10月23日木曜日

北海道の旅 2008/夏 (62) 「アビイ・ロードと傷害未遂(違うだろ)」

見上げてごらん

函館港フェリーターミナルに向かう道すがら、信号が赤になったので、ふと空を見上げると、函館空港にまさに着陸せんとする航空機の姿が見えました。
ちょっぴり拡大して見ましょうか。
これは……。B737……でしょうか? B737 よりも小さいようにも見えるのですが、だとすると何かなぁ、と。まさか、ボンバルディア?(まさかね)

ほんの思いつき

せっかくなので(またか)、ふらっと空港にも立ち寄ってみました。お盆明けの夏休みとあって、かなり混雑していましたね……。

一昨日の記事でもご紹介したように、かつての「戸井線」の跡地は、函館空港のすぐ側を通っています。残念なことにターミナルビルとは正反対の経路ではあるのですが、ちょちょいと経路を変えてやれば、五稜郭から函館空港までの「空港アクセス鉄道」として使えそうな雰囲気もあります。

ただ、ここで微妙なのが、JR は函館空港と直結しても何も嬉しくないということで……。千歳なみの便数があるのであれば別ですが、函館ですからね。それに、周辺の自治体への需要がそれほどあるとも思えないですし、地元の方が域内の移動に鉄道を使うとも思えないですし。

アビイ・ロード

富山市内を走っていた JR 富山港線が、どういう経緯があったかは忘れましたが、富山ライトレール富山港線に移管されて、予想外に調子がいい、なんて話を耳にすると、「ここも似たような策は打てなかったのかな」といった考えも浮かびます。

函館市内は既に路面電車が存在するので、そのバイパスラインにするのも面白そうな感じがします。まぁ、跡地が道路に整備されてしまった今となっては、もう遅いのですけどね(笑)。

あ、その路面電車の写真も……一応あります。
今風のレトロな車両(意味不明)ですね。あ、左のお兄さんが微妙に ABBEY ROAD っぽいですが、気にしてはいけません。

われどついたろか

微妙に珍名な駅もありますね。「函館どつく前駅」なんですが、関西人にとっては……ね(笑)。「われ、いてもーたろか」系の駅名です。

函館どつく前停留所(はこだてどっくまえていりゅうじょ)は、北海道函館市入舟町1番地先にある函館市電の停留所である。停留所名の「つ」は大文字だが、読みは「はこだてどつくまえ」でなく「はこだてどっくまえ」となる。元々の停留所名は「函館ドック前」だったが、1984年、「函館ドック」が来島グループの傘下に入り、「函館どつく」に社名変更した際に停留所名も変更したためである。
(Wikipedia 日本語版「函館どつく前駅」より引用)
つまり……。傷害未遂ということですね(←

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2008年10月22日水曜日

北海道の旅 2008/夏 (61) 「險形者、我先居之、必居高陽以待敵」

うわ、時間が無い……。

土地が無い!

えーと、「戸井線」は、なんで微妙に高いところを走るルートを選んだか、という話をしようと思っていたのでした。昨日のポストで、「建設が面倒くさい」というのを理由の一つに挙げていましたが、もしかするとこれは勘違いかも知れないな、と今は思っています。段丘が海に迫っている地形を考えると、海沿いの平坦な地形が手つかずで残っているとは考えにくいので、むしろ少し高台のほうがトータルコストは安くつくのかもしれません。

この写真をご覧頂ければ、少し高台にしか「土地がない」という雰囲気がつかめるかも知れません。

險形者、我先居之、必居高陽以待敵

うむ、これだと全く面白味がないので、少し話を膨らませようと思うのですが、他に高台に線路を引くメリットは無かったのか、と。最初に考えたのが、やはり軍関係のメリットは考えられないのかな、と。

太平洋戦争の頃は、「戦争は飛行機で行うもの」になっていたので、大砲うんぬんは既に時代後れだったのですが(その割に「戦艦『大和』」なんかを作っていたことが、先見の明の無さを裏付ける、なんて話もありますね)、津軽海峡の防衛を考える上で、高台から大砲をぶっ放す可能性を考えたのかな、などと思いました。

さすがに、日本軍に「列車砲」の構想は無かったと思いますが、敵軍の上陸を間際で食い止めたい時には、少し高台から砲弾をぶっ放すのは、悪くない選択肢ではないかと……。貨車で野砲を運んで、その場で陣地に早変わり……なんてことを考えていたら、それはそれで興味深いなぁ、なんて。ちょっと考えすぎなんでしょうけれど。

などと、訳の分からないことを想像しながら、ナッチャン Rera の出発時刻も気になるので、いそいそと函館市内中心部に戻ることにしたのでした。

グラベルは苦手っす……(デルクールかパニッツィか)

戻る途中で、国道から線路跡が分岐しているところがあったので、少し覗いてみたのですが(← 時間が気になると言った割には……)、またしてもダート(未舗装路)だったので、さっさと諦めて引き返しました。
本当にこの手の遺構を探索するには、オフロードを走ることが出来るバイクが一番なんでしょうね(さすがに本格的なオフロードバイクはちと……)。興味は……無くはない……けれど……うぅむ……。

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2008年10月21日火曜日

北海道の旅 2008/夏 (60) 「北海道のアーチ橋をひたすら巡る旅」

国道 278 号をひたすら(かつての)戸井町の中心部に向けて進みます。汐首岬のあたりに来ると……見えてきました。
そうそう、これですよ。大正から昭和の初期にかけて、できるだけ金属類を使用せずに鉄道を敷設しようとして、あちらこちらで見られたアーチ橋です。他ならぬ「(通称)越川橋梁」や「タウシュベツ橋梁」もアーチ型でしたね。北海道のアーチ橋を巡る旅(そうだったのか)の最終幕としては……悪くない選択かなぁ、と思います。

年月は何事をも風化させる

アングルを変えてもう一枚。
函館市内中心部の路盤跡は、ここ数日のエントリでご覧頂いたように、りっぱな道路や緑道(自転車道)に生まれ変わっているのですが、この(かつての)戸井町に残された遺構は、こんな感じで、見るには良いけれども、実用性という意味ではちと疑問が残る代物です。しかも、日中戦争期に工事されていただけあって、セメントなども粗悪なものが多いらしく、半世紀に亘って放置されていたこともあり、崩壊の危険性も少なからずあるのだとか……。下はすぐ民家なので……ちょっと怖いですね。写真を見ると、すでに左側が一部欠けているようにも……。

その他のみどころ

やはりと言うべきか、トンネル跡もありました。
別の写真もお目に入れます。これは……何でしょうか?
これは、アーチ橋ではなく、アーチ状の手前の部分が線路(予定地)だったのかな、と思います。

高台のわけは?

最後の写真を見ると少し自信がなくなってきたのですが、少し気になることが。例えば、興浜北線の神威岬あたりも、鉄道の路盤は少し高台を通っていましたわけですが、果たしてその理由は何だったのかな、と。

海岸線に沿って線路を敷設するのではなく、少し高台に敷設するメリットとしては、まずは津波や高波の被害から逃れられるといったところでしょう。既存の集落への影響も少なくできますし、ほんの少しはショートカットもできるでしょう。

反対に、デメリットとしては、落石や崖崩れ、雪崩のリスクが高い、建設が面倒くさいといったところが考えられます。軍の肝煎りで建設するのであれば、無駄に工期が伸びるのは何よりも忌避すべきことではなかったのか、とも思えます。

さて……。びみょうに時間が無くなったので、続きはまた明日にでも(すいません)。

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2008年10月20日月曜日

北海道の旅 2008/夏 (59) 「一段と上の道は途中で行き止まりだった」

ベレンコの里

函館空港の近所にやってきました。このあたりの区間は、再び車道に転用されていますが、やはりと言うべきか、ほとんど車が走っているのを見かけません。
わかるような、わからないようなですが、少し登り勾配加減に見えます。

さて、地図を見てみましょう。
これも、勘の良い方なら一目瞭然ではないでしょうか。
大半が車道に転用されていますが、川向こうでは「医師会健診検査センター」や「南北海道教育センター」などに転用されています。道路に転用されたケースが殆どの戸井線の跡地にあって、珍しいケースです。

津軽海峡夏景色

函館空港から更に東に進むと、明らかに、海岸沿いに並行する国道 278 号よりも一段高いルートを取るようになります。海側を見てみると、転落防止用なのか、柵が用意されているところもあります。
黒岩岬のちょいと東側、新湊町のあたりでしょうか。戸井線の跡地は、ここでいったん道路としての役目を終え、野原に還っています。
とても車が進める状態ではないので、いったん引き返して、海岸沿いの国道 278 号に向かいます。あ、多分、明日か明後日にはこのネタ終わりますので……。

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2008年10月19日日曜日

北海道の旅 2008/夏 (58) 「道道本通富岡線」

懲りずに続けます。コリン・マシューズ

函館市と亀田郡戸井村(当時)を結ぶはずだった「戸井線の跡地を尋ねて」第 2 回です(いつの間に連載になったのやら)。

ちょうど昨日の地図で示した部分は、地図上で見るといちぶは「道路」として扱われていますが、あまり幅員が広くなかったからか、通行止めにして拡幅工事が行われていました。工事が完了すると 2 車線道路になるのだと思われます。
戸井線の跡は、途中からは「道道本通富岡線」として、自動車で走ることのできる快適な道路に生まれ変わっています。「左折すると戸井線の跡」という青看板ですが……。激しく逆光ですね(笑)。
フォトショでちょいちょいといじってみました。意外とイケるものですね。

道道本通富岡線は、ご覧の通り、快適な 2 車線道路です。

ここからは「川原緑道」になります

道道本通富岡線として、戸井線の跡を(自動車で)走ることができるのは「本通 3 丁目 6」の交差点までです。ここから先は自転車道となっています。

この「本通 3 丁目 6」という標記ですが、ここでも「釧路ルール」が生きている可能性があります。つまり、同一の交差点であっても、見ている向きによって交差点の名前?が異なるというアレです。
せっかくなので、地図でもご覧いただきましょう。
どこが「道道本通富岡線」に相当するか、お解りですか? では、答合わせです。

この「道道本通富岡線」ですが、今でも「戸井線跡」で通じるという話もあるようですね。地図を見ても、亀田川にかかる橋に「戸井線橋」なんて書いてありますし……。道道として整備されたのも、比較的最近のようです。

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2008年10月18日土曜日

北海道の旅 2008/夏 (57) 「100 万ドルの夜景は今……」

Day 6 は函館がゴールでした。「100 万ドルの夜景」も、しっかりと堪能してきました。うん、確かに綺麗な夜景でしたよ。
ドル安傾向も止まりませんね……(←そういう話か)。

幻の「戸井線」とは

Day 7 は、かの「戸井線」の跡を見に行きます。別に観光地でも何でもないんですが、北海道に行ったなら、いつかは見ておきたいなぁ、と思っていた場所の一つです。

概要

改正鉄道敷設法別表 128 号に「渡島國函館ヨリ戸井ニ至ル鐵道」として規定されていた予定線であった。戦時中の 1937 年に、船舶輸送の短絡化(戸井町から青森県大間町への航路を利用)や、戸井町に要塞を建設するといった軍事的な目的で建設が開始された。9 割方の路盤が完成していたものの、戦時中ということもあり資材不足のため 1943 年(昭和 18 年)に工事を中断。結局建設は再開されないまま中止となった。駅は終点の戸井駅を含めて 9 駅が予定されていた。
(Wikipedia 日本語版「戸井線」より引用)
青森県の下北半島にも「大間線」という同様の経緯を辿った未成線があったのですが、大間線は 6 年ほど前に実地を探訪しているので(←物好き)、戸井線も見ておきたいな、となったわけでして。

リモートセンシング入門(フィールドワーク編)

戸井線は、函館市内は五稜郭駅(函館のひとつ北側の駅)から東に分岐するルートで建設されていました。この辺ですが、さてどれが「戸井線」の跡でしょうか?
ちょっと勘の良い方なら、もうお解りかもしれませんね。正解はこちらです。
国道 5 号線から、東に延びる「戸井線の跡地」を撮影してみました。
なんか、空き地が駐車場として使われていますね(笑)。

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2008年10月17日金曜日

北海道の旅 2008/夏 (56) 「ハンバーグとハンバーガーの微妙な関係」

それはスペシャルなステージでした

美利河ダムからは、もと来た道をそのまままっすぐ国縫 IC まで戻りました。国縫 IC から八雲 IC までは、Day 6 最後のスペシャルステージです(単に「高速道路」なだけ)。

国縫 IC から八雲 IC までは、僅か 1 区間ではあるけれど、約 22 km ほどあって、それなりにスペシャルなのですが(意味不明)、それ以上に、実に Special な Situation に遭遇しました。それは果たして何か……?

数日前のエントリでさらっと書いたのですが、その日は道央道の長万部─国縫間で、片側交互通行の規制が行われていました。そのため、本線上で最長 10 分程度、待たされることになっていました。つまり……、長万部から函館(八雲)方面に向かう車は、最長 10 分程度走ってこない可能性があるわけです。

逆に、約 10 分間待たされた車の集団にぶち当たる可能性も、無きにしもアラン・プロストなわけですけどね。

結論から言いますと……。もともと分の良い運試しだったのですが、完全に前後に車が存在しない状態でした。いやー、めっちゃくちゃ快適でした。:)

む、無茶なスピードは出して無いんだからねっ!

旅の終わりはいつも 19 時半(またか

八雲 IC に辿り着いたのが 18 時半頃。そこからは、国道 5 号をひたすら函館に向けて進みます。函館の夜景を見たのが 19 時半過ぎ。旅の終わりはいつも 19 時半です。

ただ、Day 5 は夕食をとらずにチェックインした結果、駐車場に止めた車の中でダブルチーズバーガーを食するという、最悪な(いや、ダブルチーズバーガーが最悪という意味ではないですよ)夕食になってしまったので、今日こそはまともな夕食を……と思って、少し函館市内をうろうろしてみました。

ヴィクトリアとビッグボーイの相関関係

実は、北海道に上陸してから気になっていた店があってですね……。Victoria というファミレスなんですが、なんかいかにも BigBoy っぽくて……。道内ではあちこちで見かけるものの、うちの近所では全く見かけない店なので、一度寄っておきたいなぁ、なんて。

家に帰ってから確認してみれば、何て事は無い、BigBoy と Victoria (Station) は同一系列のお店だったんですけどね。

なので、少し気合いを入れてうろうろ(ぉ)してみたのですが、結局、函館市内では Victoria には巡り会えず……。まぁ、土地勘もほとんど無いので、仕方が無いといえば仕方が無いのですけどね。

結局、見つかったのがモスバーガー。二日続けて夕食がハンバーガーになってしまったことに忸怩たる思いを噛みしめながら……。あ、でも、スパイシーモスチーズバーガーは美味しかったですけどね(←

そして Day 7

そして、翌日の Day 7 で、ついに北海道ともおさらばです。Day 7 のルートはこちら。
午前中に、ちょいと戸井線の跡を見に行って、午後は「ナッチャン Rera」に乗船。青森に上陸後は、ひたすら東北道を仙台に向かいます。スペシャルステージ三昧ですね。

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2008年10月16日木曜日

北海道の旅 2008/夏 (55) 「前方羊蹄山は無かった」

「支庁」コンプリートコレクション

日本の 47 都道府県を諳んずることはできても、北海道の全支庁を諳んずることができる人は、そうはいないと思うのですが、いかがでしょうか(誰に聞いているんだか)。

試しにやってみましょう……。宗谷支庁、上川支庁、北見支庁、根室支庁、釧路支庁、十勝支庁、石狩支庁、日高支庁、渡島支庁、檜山支庁、後志支庁……。あと何があったかな?

あ……。「北見支庁」なんてのは無かったですね(正解は「網走支庁」)あとは空知支庁、胆振支庁、留萌支庁が抜けてました……が、意外と良い線行ってますね。我ながら大したもんです(←自画自賛)。

「支庁」の終焉

てか、ちょ、これって……。

2008 年 6 月 28 日の道議会で可決された北海道総合振興局設置条例により、14 支庁は 2008 年度末に全廃され、2009 年度からの 9 つの総合振興局と 5 つの振興局に移行する予定である。
(Wikipedia 日本語版「北海道」より引用)
「~支庁」が全廃されるって、マジっすか(!)。てことはアレですか、「推して後志」というネタはもはや使えないってことですか。

と思ったのですが、「後志支庁」の後継として「後志総合振興局」ができるみたいですね。推して後志(←しつこい)。

前方羊蹄山は無かった

というわけで、「後志」の語源です。直接には「尻別川」の語源となった sir-pet(し-ぺッ)という音から来ているらしいのですが、……えーと、なんだか色々とややこしそうです。

旧名である後方羊蹄山は、斉明 5 年(659 年)に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本書紀に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に由来する(実際に同じ場所を指すかどうかは不明)。なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊蹄を和名で「し」と読む。
(Wikipedia 日本語版「羊蹄山」より引用)
いやいや、今の今まで「こうほう・ようていざん」だとばかり思ってましたよ(笑)。「後方羊蹄」が「しりべし」だったとは知りませんでした。勉強になりますね(ぇ)。

ピリカの意味は?

というわけで、「後志」の由来は「なんだかややこしそう」という結論に達しました(←)。続いて「美利河」の由来に移ります。これは実に簡単で、pirka(ぴカ)に由来すると考えられます。意味は「良くある」あるいは「美しくある」といったところです。英語で "be good" または "be beautiful" と言った方が判りやすいかも知れませんね。日本人としては微妙に忸怩たるものがありますが……。

ところが、たまーに「ピリカは『少女』という意味です」という珍説を見かけます。pirka menoko(ピルカ-メノコ)で「美しい女」という意味になる……筈なのですが、珍説を唱えた人は "menoko" と "pirka" の意味を取り違えたのですね、きっと。

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2008年10月15日水曜日

北海道の旅 2008/夏 (54) 「ロックの塊 ─美利河ダム─」

しりべしとしべつがわっ

美利河ダムは「後志利別川」のダムです。「しりべし・としべつ・がわ」と読むのですが、これ、意外と難読ですよね。陸別から足寄のあたりを流れる「利別川」と区別するために、後志支庁の名前をかぶせているようです。

「利別(川)」の由来は、tus-pet(とゥシ-ぺッ)説と to-usi-pet(とー-ぺッ)説があるそうです。前者は「縄の川」(転じて「蛇の川」)、後者は「沼が多くある川」という意味です。確かにどっちも意味が通じそうです。

「貨客船万景峰号」と「後志利別川」、どっちも一度慣れたら噛まずに読めそうですが……(←そういう問題ではない)。

ロックの塊

まぁ、小難しいことは抜きにして、美利河ダムの景色でも見て頂きましょう。まずは、日本最長のダム堤をどうぞ。
比較的近年のダムに多い、積み上げた石で堤を支える仕組みのロックフィルダムなのですが、これだとどっちがダム湖なんだかわかりませんね(笑)。さてどっちが正解でしょう?

ダム堤の端にはこんなモニュメント(違うか)が。
別のアングルから撮影してみました。
美利河ダムも、やはりと言うか、集落の移転を伴っています。「水没記念碑」なるものが建てられていました。
最後に、下流から眺めた美利河ダムの写真です。
美利河ダムが、いかに開けた地形に建設されたかが判りますね。

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2008年10月14日火曜日

北海道の旅 2008/夏 (53) 「不適切な関係……じゃなくて地形 ─美利河ダム─」

お呼びでない?

国縫(くんぬい)IC から美利河(ぴりか)ダムまでは、距離にして 11 km 程度。Day 6 全体の行程(約 550 km)から見れば、誤差程度の距離です。17:30 頃にはダムに隣接する資料館に着くことができました。
中に入ると、派手派手しい警告音が……。おそらく、不審者に見られたのだと思います(笑)。いや、もう 17:30 ですから、公的施設は閉館するタイミングだとしても不思議はありません。

案の定というか……。年配の守衛さん?と思しき方がやって来られまして……。「何をしに来られましたか?」というような、きっつい一言を浴びせられました(笑)。「本州からわざわざこのダムを見に来ました!」と言おうかどうか、一瞬迷ったりもしたのですが、大人しく「展示を見学に来ました……」と答えておきました。間違えても「いや、トイレを借りに……」なんてことは言ってません。口が裂けても言えません。

いや、ホントにちゃんと展示は見ましたよ。ありきたりな内容でしたが(←
まぁ、こんな感じのパネルが、大小様々飾ってある、そんな感じです。

不適切な関係……じゃなくて地形

さて、この美利河ダム、地図で見る限り、とても拭えない謎があります。

一般的に、ダムというものは、切れ込んだ渓谷を塞ぐ形に造ることで、最小のコストで最大の貯水量を得ることができるのですが、この美利河ダムのある所は、どうみても「切れ込んだ渓谷」には見えません。また、ダム湖におけるダム堤の位置は、(端的に言えば)二等辺三角形の短辺に相当することが普通なのですが、この形を見る限り、ダム堤の位置が想像できません。要するに、ダムを建設するには、適切な地形では無いのです。

参考までに、帯広の北に位置する、十勝川の「十勝ダム」と、「美利河ダム」の地図を並べてみます(ちなみに同一縮尺です)。
見るからに、「十勝ダム」のほうが沢山の水を貯蔵できそうに思えます。実際に、十勝ダムの総貯水容量は、美利河ダムの 5 倍以上だとされますが、堤頂長(ダムの長さ)は、反対に美利河ダムの方が十勝ダムの 3 倍以上もあります。堤頂長×堤高で考えても 37,345 : 59,200 となるわけで、美利河ダムの方が大きいわけです。つまり、いかに美利河ダムの立地条件が良くないか(別の言い方をすれば、無理矢理ダムを造ったか)が良くわかります。

美利河ダムの堤頂長 1,480 m というのは、河川を横断するダムの中では日本最長を誇ります。奥只見ダムが 480 m、かの黒部ダムでも 492 m だと言いますから、むちゃくちゃ長い……わけですね。

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2008年10月13日月曜日

北海道の旅 2008/夏 (52) 「Drivers, read the atmosphere !」

SonicStage V がクソ重いのに頭を抱えていたのですが、PACSPTISVR なるサービスをばっさり無効にしたところ、随分と動きが軽くなりました。今のところはとっても快調です。

ただ、SonicStage V を起動する前に PACSPTISVR サービスを起動しておかないと、曲を再生できないことがわかりました(笑)。なので、SonicStage V を起動した後にサービスを止めるのが正解っぽいです(確かに止めると CPU 負荷が下がりますよ)。

Drivers, read the atmosphere !

さてと。北海道の話に戻ります。新・虻田洞爺湖 IC を過ぎたあたりでしたか、もともとミニバンの後ろにぴったりつけて走っていたのですが、さらに後方から強烈なプレッシャーを検知しました。やり過ごしたいところですが、なにせ片側 1 車線道路、なかなか妙案がありません。仕方がないので、少し巡航速度を上げて、前のミニバンをプッシュしてみることにしました。もとはと言えば、ミニバンが遅いのが諸悪の根源なので。

そうこうしているうちに、豊浦噴火湾 PA が見えてきました。件のミニバンは相変わらず前を塞いだままですが、こっちも後ろの車をブロックするつもりは更々無いので……。私は迷わず PA に流出したのですが、件のミニバンはまったく空気を読む気が無いのか、そのまま本線を走り続けました(笑)。

私も、PA には止まるつもりは無かったので(時間もあまり無いですしね)、そのままドライブスルーペナルティだったのですが(意味不明)、下手をすれば件のミニバンより前に合流してしまいそうになって、正直焦りました。そんな危なっかしいことをするつもりは最初っから無かったので、慌ててアクセルを戻しましたが……。

ドライバーたるもの、空気を読めないといけませんよね。こもだきよし氏あたりに連載でもしてもらわないと。

国縫から瀬棚方面・美利河に向かう

さて、東京理科大のお膝元である長万部を抜けると、予告通り片側交互通行規制にぶつかりました。いやいや、仮にも「高速道路」なんですから、片側交互通行はつらいなぁ~と思いましたが、そもそもが片側 1 車線しか無いのだから仕方がありません。結局、5~6 分ほど、ぼーっと待つ羽目になりました。

片側交互通行の規制が解けると、ほどなく国縫(くんぬい)IC に辿り着きます。

「国縫」は、kunne-nai(くンネ-なィ)から来ているようで、意味は「黒い川」なのだとか。

道央道は、次の八雲 IC まで開通していますが、とある所に立ち寄るために、ここで流出します。国縫 IC から流出後、国道 230 号(あ、路上に噴火口ができた、あの国道の続きだったのですね)を瀬棚(せたな)に向かいます。

「瀬棚」は、seta-ru-pes-pe-nai(セた-ルぺペ-なィ)が略された seta-nai が語源なんだとか。意味は「犬道のついている沢(の川)」あたりでしょうか。Wikipedia なんかに出ている「犬が泳ぎ渡る川」という訳は……合っているような、でも微妙に違うような気もします。

「留辺蘂」の語源ともなっている「ルぺペ」は、「峠道に沿って流れる川」あたりの意味なので、少なくとも、単に「犬が水遊びする川」という意味では無い筈なんですよね。「けもの道」程度でしかない「峠道」を指すと考えるのが自然なのではないでしょうか。それが現在のどの道を指すのかは、さっぱり見当もつきませんが……。

ああ。無駄に語ってしまいましたね。そうそう、国縫から国道 230 号を瀬棚に向かったのは、美利河(ぴりか)なる、実に響きの美しい土地を、湖の底に沈めてしまったダムを一目見ようと思ってのことでした。

これも、随分と昔の話になるのですが、当地(美利河)を舞台にしたドキュメンタリー番組があった……筈なんですね。ただ、ググっても見つからなくて……。どなたか情報をお持ちでしたら、是非。

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2008年10月12日日曜日

北海道の旅 2008/夏 (51) 「ここでは出られません ~Do not enter~」

There's no time to lose !

シューパロ湖にて夕張の未来に思いを馳せつつ、足早に立ち去ります。何せこれから函館まで行かねばなりません。函館までは、あと 358 km、少なく見積もっても 5 時間はかかる計算になります。時間は 15 時近く。もたもたしている時間はありません。

国道 452 号線は、新夕張の手前で石勝線とクロスします。たまたま特急が走ってきたので撮ってみたのですが……ラッキーでした。これは、国鉄末期に作られたタイプかな? 北海道らしい、いい色合いですよね。
夕張 IC からは、今日 2 度目のスペシャルステージ(笑) です。道東自動車道は、片側 1 車線なのでアレですが……(アレって何?)。
夕張から千歳に向かう途中、雲の隙間から漏れる光が綺麗だったので……。ケータイのデジカメでどこまで再現できるかと思いつつ、パシャリと。意外といい感じに仕上がりました。

気分はジム・クラーク……ではなくてフランソワ・デルクール(なんで?

千歳からの道央道は、片側 2 車線にして、中央分離帯もおそろしく広くなっているのが特徴的でした。一瞬ホッケンハイムかと……(←)。
そんな快適な道も、確か室蘭を過ぎたあたりだったか、またしても片側 1 車線に戻ってしまいました。交通量は少ないけれど、速度取り締まりの現場も目撃しちゃったので、滅多なことはできません。

やがて、有珠山の麓にやってきます。随分と天気が悪くなってきました(16:30 頃)。

ここでは出られません

さて。ちょっと妙なものが見えてきました。
「ここでは出られません」「Do not enter」の標示が。日本語だと「出る」なのに英語だと「Enter」なのはなんぞや、という話は置いといてですね……。ここ、全国的にも例は少ないと思うのですが、「インターチェンジの跡」のようです。

よくよく調べてみると、どうやら 2000 年に有珠山が噴火したのがすべての始まりだったようで。もともと(旧)虻田洞爺湖 IC と接続していた国道 230 号線が、あろうことか道路上で噴火するという災難に見舞われたため、現ルートを放棄し、新たに西側にトンネルを掘って復旧することになったのだとか。

旧・国道 230 号線は完全に放棄され(一部は池になってしまったとか)、復旧の見込みが無くなったため、新・国道 230 線に接続する IC を、まったく別の場所に作り直した、というのが正解のようです。

現地走行中にはそんな情報などついぞ知ること無く、ひたすら「なんでやねん」と思っていたのですが……。謎が解けてみると、実に理に適った話だったわけですね。

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