2008年10月21日火曜日

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北海道の旅 2008/夏 (60) 「北海道のアーチ橋をひたすら巡る旅」

 

国道 278 号をひたすら(かつての)戸井町の中心部に向けて進みます。汐首岬のあたりに来ると……見えてきました。
そうそう、これですよ。大正から昭和の初期にかけて、できるだけ金属類を使用せずに鉄道を敷設しようとして、あちらこちらで見られたアーチ橋です。他ならぬ「(通称)越川橋梁」や「タウシュベツ橋梁」もアーチ型でしたね。北海道のアーチ橋を巡る旅(そうだったのか)の最終幕としては……悪くない選択かなぁ、と思います。

年月は何事をも風化させる

アングルを変えてもう一枚。
函館市内中心部の路盤跡は、ここ数日のエントリでご覧頂いたように、りっぱな道路や緑道(自転車道)に生まれ変わっているのですが、この(かつての)戸井町に残された遺構は、こんな感じで、見るには良いけれども、実用性という意味ではちと疑問が残る代物です。しかも、日中戦争期に工事されていただけあって、セメントなども粗悪なものが多いらしく、半世紀に亘って放置されていたこともあり、崩壊の危険性も少なからずあるのだとか……。下はすぐ民家なので……ちょっと怖いですね。写真を見ると、すでに左側が一部欠けているようにも……。

その他のみどころ

やはりと言うべきか、トンネル跡もありました。
別の写真もお目に入れます。これは……何でしょうか?
これは、アーチ橋ではなく、アーチ状の手前の部分が線路(予定地)だったのかな、と思います。

高台のわけは?

最後の写真を見ると少し自信がなくなってきたのですが、少し気になることが。例えば、興浜北線の神威岬あたりも、鉄道の路盤は少し高台を通っていましたわけですが、果たしてその理由は何だったのかな、と。

海岸線に沿って線路を敷設するのではなく、少し高台に敷設するメリットとしては、まずは津波や高波の被害から逃れられるといったところでしょう。既存の集落への影響も少なくできますし、ほんの少しはショートカットもできるでしょう。

反対に、デメリットとしては、落石や崖崩れ、雪崩のリスクが高い、建設が面倒くさいといったところが考えられます。軍の肝煎りで建設するのであれば、無駄に工期が伸びるのは何よりも忌避すべきことではなかったのか、とも思えます。

さて……。びみょうに時間が無くなったので、続きはまた明日にでも(すいません)。

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