2018年5月31日木曜日

春の東北小旅行 2015 (19)「敦賀と言えば『小牧のかまぼこ』」

国道 8 号「敦賀バイパス」に入りましたが、ささっとバイパスから外れて市街地に向かいます。
「小牧のかまぼこ」の工場が見えてきました。確か小学生か中学生の頃、スキーに行った筈が何故か「小牧のかまぼこ見学ツアー」になったことがありました。個人的にはとっても懐かしい場所です。
いい天気です。絶好のツーリング日和ですね。

何故かマクドへ

さて、敦賀市内のどの辺をうろついていたのかと言えば……こちらでした。
いやー、気がつけば午後 1 時を回っていましたし、市内の外食事情にもあまり明るくなかったもので。結局(前にも来たことのある)こちらのマクドで昼食となりました。

「人道の港 敦賀ムゼウム」へ

昼食後は、今度はバイパスじゃないほうの国道 8 号を北上して……
金ヶ崎の手前でちょちょいと海の方へ。
T 字路の向こうに見えるあの建物は……気になりますが、ここは後回しで。
海沿いの公園の近くの駐車場に車を停めて……
向かった目的地がこちらでした。一度見ておきたかった「人道の港 敦賀ムゼウム」です。

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2018年5月30日水曜日

春の東北小旅行 2015 (18)「ドットの有無が重要です」

舞鶴若狭道の終点である「敦賀 JCT.」にやってきました。「JCT」ではなく「JCT.」なのがポイントでしょうか。それはそうと、この標識を見て慌てて対向車線に逆走する車が出ませんかね……?(特に積雪時とか)
こちらは正真正銘の分岐点ですね。右に進めば米原方面に、左に進めば敦賀 IC と福井方面に向かうことができます。標識の上に屋根がついているのがユニークですね。着雪対策でしょうか?

合流車線はやがて流出車線に変わるだろう

右側に北陸道の本線が見えてきました。ランプウェイが加速しやすそうな構造なのはいいですよね。
合流車線に入りました。ただ、しばらく車線が途切れる気配はありません。
敦賀 JCT の合流車線は、そのまま敦賀 IC の流出車線になるみたいです。この構造だと舞鶴若狭道から敦賀 IC まで、北陸道の本線に入らずに通行できるので助かりますね。

ヒラギノ角ゴ vs 公団ゴシックふたたび

結局、北陸道の本線には入ることなく敦賀 IC で流出します。そういや敦賀 IC の案内標識もヒラギノ角ゴになってますね。
敦賀 IC の出口です。出口の上の IC 名表示は公団ゴシックが健在でした。

名所 8 段重ね

料金所から敦賀バイパスに向かう途中の写真ですが、市内の名所が 8 段重ねで案内されていました。栄えあるトップは「フェリーのりば」です!
敦賀バイパスに入ります。……良く考えたら、敦賀 IC から一般道に入る場合、敦賀バイパスに入る以外の選択肢がなかったですね。

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2018年5月29日火曜日

春の東北小旅行 2015 (17)「トンネル連続の続き」

舞鶴若狭道の小浜 IC から敦賀 JCT の間には、大小あわせて 14 ものトンネルが連続する……と聞いたので、ついチェックを始めてしまった……というお話でした。三方上中郡若狭町の「三方五湖 PA」の手前にある「鳥浜トンネル」までで、14 あるうちの 8 つをクリアしたので、あと 6 つの筈です。

(9/14) 気山トンネル(きやま──)

三方五湖 PA を通過したところで舞鶴若狭道は再び片側 1 車線に戻ります。ほどなく次の「気山トンネル」(長さ 280 m)に入ります。これまではコンクリートでがっちり固めたトンネルポータルばかりだったのですが、気山トンネルは珍しく草木を生い茂らせるタイプのものですね。どんな心境の変化があったのでしょう……?

(10/14) 矢筈山トンネル(やはずやま──)

気山トンネルを抜けると、舞鶴若狭道は JR 小浜線と国道 27 号線を続けてオーバークロスして、再び内陸寄りにコースを変えます。若狭三方 IC を過ぎると三方郡美浜町に入り、ほぼ同時に「矢筈山トンネル」に突入します。この「矢筈山トンネル」、長さが 2,420 m もある、久々に本格的なトンネルです。あ、トンネルポータルはコンクリート製に戻りましたね。

(11/14) 御嶽山トンネル(おたけやま──)

美浜町に入った舞鶴若狭道は、矢筈山トンネルと御嶽山トンネルの 2 本のトンネルで一気に若狭美浜 IC に向かいます。「御嶽山トンネル」の長さは 1,340 m で、「御岳山」の北側を通過しています。

(12/14) 野坂岳トンネル(のさかだけ──)

JR 小浜線の「東美浜駅」にほど近いところにある「若狭美浜 IC」を通過すると、次は美浜町と敦賀市を結ぶ「野坂岳トンネル」(2,270 m)に入ります。「野坂岳トンネル」もそこそこ長いですが、ここまでの 12 本の中では 3 番目ということになりますね。

ここまでの最長が、一番最初に通過した「国富トンネル」(2,900 m)ということになります。
野坂岳トンネルを抜けて、ついに敦賀市に入りました。

(13/14) 岩籠トンネル(いわごもり──)

敦賀市に入ってからの舞鶴若狭道は、とにかく市街地を避けることを念頭にルートを決めたのか、JR 小浜線よりも更に南側を通っています。敦賀市南部に聳える「岩籠山」の麓を通過する「岩籠トンネル」の長さは 1,750 m ですが、このトンネル、実は入り口から出口までずーっと左にカーブしているという、なかなかユニークな構造のトンネルだったりします。
岩籠トンネルを抜けると、終点の「敦賀 JCT」まであと少しです。
敦賀 JCT のあたりは標高が 80 m 近くあるので、舞鶴若狭道も山腹の高台を走ります。衣掛山の先に流れる「笙の川」は標高 20 m あたりを流れているので、橋高 60 m 近くあるはずの「敦賀衣掛大橋」で一気に渡ります。

(14/14) 中郷トンネル(なかごう──)

「敦賀衣掛大橋」を渡ると、程なく最後のトンネル「中郷トンネル」に入ります。長さは 1,040 m とのこと。
そして、無事に 14 のトンネルを全てチェックし終わったことになります(写真の確保がヤバかったトンネルも 2 つほどありましたが……)。

トンネルの連続で注意すべきこと

そもそも、なぜ連続するトンネルに注意しないといけないのか……という話ですが、明るさの違いとか、あとどうしてもトンネルだと速度が落ちる車があるとか、その辺なんでしょうね(あと路肩に車を停められたら危険というのもありますか)。一番危険なのは、やはり速度が落ちてしまうところじゃないかな、と思ったりもします。

トンネルはやはり壁の圧迫感があることもあり、どうしても心の中で「怖い!」と思ってしまうケースも多いと思いますが、なるべく速度を落とさないよう、慣れていないドライバーさんには気をつけてもらえたらなぁ、と思います。

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2018年5月28日月曜日

春の東北小旅行 2015 (16)「トンネル連続」

舞鶴若狭道の小浜 IC あたりには追い越し車線がありましたが、IC を過ぎたところで再び片側交互通行に逆戻りです。まぁ、仕方がないですよね。
それはそうと、久々に見かけましたこちらの看板。「トンネル連続」として「敦賀 JCT. までトンネル 14 本」とあります。よく見たら「JCT.」となっているのが目新しい感じもしますが……。
敦賀までは 44 km とありますが、この間に 14 本のトンネルがあるそうです。こんなことを言われてしまったら、チェックしたくなるのが人情というものですよね(そうでもない)。

(1/14) 国富トンネル(くにとみ──)

ということで、最初に出てきたのが「国富トンネル」です。アダム・スミスを記念したネーミングでしょうか(たぶん違う)。長さは 2,900 m とのこと。一発目から長いのが来ましたね。

(2/14) 本保トンネル(ほんぼ──)

国富トンネルを抜けると、190 m ほどですぐに次の「本保トンネル」です。長さは 730 m とのこと。小浜市本保の集落を避けるために短めのトンネルを掘ったようです。

(3/14) 大谷トンネル(おおたに──)

本保トンネルから 190 m ほどで「大谷トンネル」です。長さは 430 m とのことで更に短いですね。目的は本保トンネルと同じく小浜市大谷の集落を避けるためのようですね。

(4/14) 鳥羽トンネル(とば──)

大谷トンネルを抜けると「大谷高架橋」を通り、その後「鳥羽トンネル」に入ります。トンネルを抜けて比較的すぐのところに「若狭上中 IC」があるので、トンネル入り口の手前に「出口まで 2.9 km」の案内標識が出ています。

「鳥羽トンネル」自体の長さは 2,110 m とのこと。若狭町の鳥羽川流域に入るトンネルです。

(5/14) 鈴ヶ嶽トンネル(すずがたけ──)

若狭町に入り、若狭上中 IC を通過すると、次が「鈴ヶ嶽トンネル」です。入り口には「トンネル番号 5/14」という文字も見えますね。長さは 720 m とのことでそれほど長くありませんが、北川水系の鳥羽川流域から「はす川」流域に入るトンネルです。近くにほぼ同じ長さで JR 小浜線の「天狗山トンネル」も通っています。

(6/14) 田上トンネル(たがみ──)

若狭町田上と若狭町東黒田の間の尾根の下を長さ 1,270 m の「田上トンネル」が通っています。わざわざ距離が一番長くなる尾根の下を通っているのが特徴的ですが、環境アセスメントなどを考えるとこれがベストという判断になったのでしょうか。トンネルは除雪が不要というメリットもありますからね。

(7/14) 佐古トンネル(さこ──)

田上トンネルの次は長さ 920 m の「佐古トンネル」が控えています。これも若狭町佐古集落を避けるために通されたトンネルのようですね。

(8/14) 鳥浜トンネル(とりはま──)

ここまでマメにポータルの写真を撮影してきましたが、ついに撮影ミスがあったか、クローズアップの写真がありません。佐古トンネルを抜けると間もなく「三方五湖 PA」ですが、このあたりは追い越し車線が整備されています。

PA の手前には長さ 150 m の「鳥浜トンネル」があります。最初から片側 2 車線で設計・施工されたトンネルは久しぶりですね。

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2018年5月27日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (537) 「シイシカリベツ川・ヌプリパクショベツ川・ニペソツシントシベツ川・イシカリベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シイシカリベツ川

si-{sikari-pet}
主たる・{然別川}
(典拠あり、類型あり)
「鹿追自然ランド」の北側あたりで然別川に合流する川の名前です。もっとも本来は「シイシカリベツ川」が然別川の「本流」で、現在「然別川」と呼ばれているかつての「トウマベツ川」が支流という扱いでした。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

シイシカリベツ
 然別川のトウマベツ合流点から上をこの名でいう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.318 より引用)
山田秀三さんが「北海道の地名」を著した頃は、まだ「トウマベツ」が現役だったことが良くわかります。

シー・シカリペッ(shi-shikaripet ほんとうの・然別川→然別川源流)の意。松浦図ではシノマンシカリヘツ「shinoman-shikaripet ほんとうに(奥に)行っている・然別川」の形で書かれていた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.318 より引用)
はい。si-{sikari-pet} で「主たる・{然別川}」ということになりますね。「然別川」自体は sikari-pet で「まわる・川」と考えるのが自然でしょうか。鹿追町の西寄りをグルっと回るルートを取っているところから「まわる川」と称されたのだろうなぁと思わせます。

「然別川」については、北海道のアイヌ語地名 (206) 「シブサラビバウシ川・鎮錬・然別」もあわせてどうぞ。

ヌプリパクショベツ川

nupuri-pa-kus-pet
山・崎・通行する・川
(典拠あり、類型あり)
シイシカリベツ川の東支流です。シイシカリベツ川の脇を道道 1088 号「然別峡線」が通っていますが、その「九線橋」の下を「ヌプリパクショベツ川」が流れています。

これは、nupuri-pa-kus-pet で「山・崎・通行する・川」なのでしょうね。実際にヌプリパクショベツ川を遡ってゆくと、北ペトウトル山と南ペトウトル山の間の鞍部に差し掛かります。シイシカリベツ川筋からヤンベツ川筋に向かう際の通行路として使える川だったのだろうと思われます。

ニペソツシントシベツ川

{ni-pes-ot}-ru-turasi-pet
{ニペソツ川}・道・それに沿ってのぼる・川
(典拠あり、類型あり)
シイシカリベツ川の西支流です。ニペソツ山と言えば上士幌町と新得町の境に聳える標高 2,013 メートルの山……だと思っていたのですが、よーく地図を眺めてみると、ニペソツ山の西側から「ニペソツ川」が流れていました。

そして、昔の地形図を見てみると、「ニペソツシントシベツ川」のところに「ニペソツルトラシペツ」とありました。どうやら {ni-pes-ot}-ru-turasi-pet と考えられそうですね。これだと「{ニペソツ川}・道・それに沿ってのぼる・川」という意味になります。ニペソツ川方面に向かう峠道の川、という意味でそう呼ばれたのでしょうね。

それはそうと、「ルトラシベツ」が「シントシベツ」に化けたのには焦ってしまいます。たまたま昔の地形図が見られたから良かったのものの、そうでなければ「シントシベツ」が「ルトラシベツ」の誤りだとはなかなか気づけそうにありません(おそらくトンチンカンな試案を出すことになっていたんだろうなぁ、と思います)。ヒヤッとした、というのが正直なところです。

イシカリベツ川

e-sikari-pet??
頭(水源)・まわる・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
シイシカリベツ川の西支流の名前……ですが、支流とは言いつつ流長はシイシカリベツ川と大差ないレベルに見えます。然別川の数ある源流のひとつ、という表現のほうが的確かもしれません。

「然別」は sikari-pet で「まわる・川」だと考えられますが、イシカリベツ川を単独で見てみても、弓なりに曲がっているように見えます。イシカリベツ川の自体の水源がウペペサンケ山の西南西のあたりだとすると、「水源が回っている川」とも言えそうですね。

ということで、e-sikari-pet で「頭(水源)・まわる・川」あたりなのかなぁ、と考えてみました。大体そんなところでは無いかと思うのですが。

あ、いまさらですが、「石狩川」とはなんのつながりもありません。ニペソツ山の北には「石狩岳」や「ユニ石狩岳」があって、その北側が「石狩川」の水源地ということになりますが、少なくとも 15 km ほどは離れています。

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2018年5月26日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (536) 「ヌプカウシヌプリ・トウマベツ川・南ペトウトル山・ヤンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ヌプカウシヌプリ

nup-ka-us-nupuri
野・かみ・ある・山
(典拠あり、類型あり)
鹿追から糠平(上士幌町)に抜ける道道 85 号「鹿追糠平線」という道路があるのですが、この道路は「西ヌプカウシヌプリ」と「東ヌプカウシヌプリ」の間の「白樺峠」を通って然別湖に向かいます。西ヌプカウシヌプリの南側に「扇ヶ原展望台」というところがあって、その名の通りの眺望が楽しめるビュースポットです。

山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょうか。

ヌㇷ゚カウㇱヌプリ
 然別湖の南側に東と西のヌプカウシの両山が並んでいて,広大な十勝平野の北西を限っている。ヌプ・カ・ウシ・ヌプリ(nup-ka-ush-nupuri 野の・上に・いる・山)の意。前の処はヌプカ(野原)と続けていったのかもしれない。南側の広い台地の野の上にいらっしゃる山という名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.318 より引用)
はい。異論はありません。nup-ka-us-nupuri で「野・かみ・ある・山」と考えていいかと思います。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、ちょっと面白い話があったので、こちらも引用しておきましょう。

ヌプカウシヌプリは原野の上に群生しているという意味で、萱山ともなるが、この山は十勝平原を縦横に馳けまわって狩をした人々に、方向を知らせる重要な山として崇拝されたところなので、むしろ原野にいつもいる山で、原野の山と呼んだものと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
ポイントを掻い摘んで引用したいのですが、一文が長いせいでこうなってしまいました(汗)。「萱山ともなるが」という一節には少々疑問がありますが、おおよそ同意です。「原野にいつもいる山」というのは当たり前と言えば当たり前なのですが、ランドマークとして重宝したが故のネーミングだと考えるとなかなか深い感じがします。

大雪山系のオプタテシケが雌阿寒の投槍にさされようとしたとき、途中で投槍をおさえるためにこの山が立ち上ったので、山の中から原野に出て、、もといたところに水がたまって、然別湖になったという伝説のある山。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)※ 原文ママ

この文を見て「はぁ、何言ってんだ!?」となるか、あるいは「へぇ~っ。面白い!」となるかが分かれ道、ですね(何の)。新得町と美瑛町の間に聳える「オプタテシケ山」には次のような伝説があったのでした。

オプ・タㇷ゚・テシケとは槍が肩をそれたという意で、太古この山と雌阿寒岳が槍投げをして争い、雌阿寒の投げた槍で肩を傷つけられたという伝説がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.134 より引用)
何故山同士が喧嘩するのか今ひとつ良くわからないのですが、東西ヌプカウシヌプリが喧嘩の仲裁のために立ち上がった、という伝説があるのは面白いですよね。

ちなみにこの「ヌプカウシ」、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」によると、営林署図には「奴深牛」とあるそうです。

トウマベツ川

to-oma-pet
湖・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)
鹿追から然別湖に向かう道道 85 号は「西ヌプカウシヌプリ」の南側(とても見晴らしの良いところです)を通っていますが、然別湖の流出河川(然別川に合流する)は西ヌプカウシヌプリの北側を通っています。途中は高さ 150 m ほどの崖のようになっているところもあり、かなり深く掘れた川のようです。

現在は、この流出河川の名前も「然別川」とされています。「然別湖」から流出するのだから「然別川」というのも理解できなくは無いのですが、本来の「シカリベツ」は現在の「シイシカリベツ川」のほうで、現在「然別川」を名乗っている然別湖の流出河川は「トウマベツ川」という名前だったようです。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

トウマベツはその湖から流れ出て西流して,南流する然別川本流と合流している。トー・オマ・ペッ(to-oma-pet 湖・に入って行く・川)の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.318 より引用)
to-oma-pet で「湖・そこに入る・川」ということですね。全く異論はありません。

太古の昔、アイヌは漁撈の民だったとも言われています。そういった背景もあってか、アイヌにとって「川」とは「河口から遡るもの」でした。流出河川を「そこ(然別湖)に入る」と呼ぶのは変な感じもするかもしれませんが、「川とは遡るものと見つけたり」なので、これで良い、ということなんです。

ちねみに「トウマベツ川」という名前も、現在は失われてしまった名前かもしれませんが、少なくとも 1980 年代の地図には名前が残っているので、名前が消えたのは比較的最近のようです。

南ペトウトル山

pet-utur
川・あいだ
(典拠あり、類型あり)
然別湖の西に聳える山の名前です。また、然別湖の北側に「山田温泉」という秘湯がありますが、山田温泉から見て西の方角(南ペトウトル山から見ると北の方角)には「北ペトウトル山」もあります。

では早速ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 ペトウトル山
 然別湖の西岸にある一三四〇メートルの山。ぺッ・ウト゚ㇽは川と川の間の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
「ペトウトル山」には「南ペトウトル山」と「北ペトウトル山」があるのですが、更科さんが「ペトウトル山」としているのは、現在の「南ペトウトル山」のことのようです。pet-utur で「川・あいだ」と見て良さそうですね。

まだ続きがありましたので、見ておきましょうか。

川にはさまれた山ということで、別にシタマシヌプリといって天から狼のおりた山であると伝えられている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
へー。

シタまたはセタは犬であるが、古くは狼もそう呼んだらしく、マシはウシのなまりだとすれば沢山いるということで、狼の沢山いる山ということ、セタ・ウㇱ・ヌプリという山は日高静内の奥にもあり、狼の群れていた山であるという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
は……はぁ(汗)。この多方向から一気に畳み掛ける文章構成はさすが更科さんと言った感じですね(汗)。もう少し句点が多いと嬉しいのですが(汗)。

ヤンベツ川

yam-pet?
冷たい・川
ya-wa-an-pet?
内陸のほう・に・ある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
然別湖に流入する河川の中で最大手のものです。然別湖は湖の西側が「鹿追町」で、東側が「上士幌町」に属していますが、ヤンベツ川も川の西側が「鹿追町」で、東側が「上士幌町」です。

今回も、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 ヤンペッ
 然別湖の奥にある川、北見斜里部の止別と同じヤムペッで水の冷たい川の意である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
えっ、もう終わりですか……? 「ペトウトル山」で見せた怒涛の脱線攻撃は無いので……?

一方、「道東地方のアイヌ語地名」を自費出版された鎌田正信さんは、自著の中で次のように疑問を呈していました。

 ヤンペツはそのまゝ解するとヤン(冷い)ペッ(川)ということになるが、知里博士は斜里町の止別の地名について次のように書かれておられる。『原名「ヤンペツ」。従来ヤㇺ・ペッ(yam-pet 冷い・川) の義に解かれていたげれども賛成できない。アイヌ語でヤㇺ・ワッカ(冷い・水)とは言うが、ヤㇺ・ペッ(冷い・川)とは言わないからである。もとの形はヤワンペッで、松浦武四郎の「廻浦日記」にもそのように出ている。語原はヤ・ワ・アン・ペッ(ya-wa-an-pet 内地の方・に・ある・川)で斜里よりも手前にある川なのでそう名づけたのであろう。』と(知里眞志保著作集 3)
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.102 より引用)
あらら、壮大な孫引きになってしまいました(すいません)。うーん、確かに知里さんの疑問ももっともな気もします。

「ヤ」は海に対しての「陸」の意である。ここの場合然別湖に対して、この川は内陸の方にあるので名づけられたのであろうか。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.102 より引用)
そうですね。この解釈の蓋然性が高そうに思えてきました。とは言え yam-wakka-pet が略された可能性も否定できないので、……両論併記ですかね。yam-pet で「冷たい・川」か、あるいは ya-wa-an-pet で「内陸のほう・に・ある・川」か、このあたりでは無いでしょうか。

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2018年5月25日金曜日

春の東北小旅行 2015 (15)「公団ゴシックの興亡」

舞鶴若狭道で敦賀に向かいます。福井県は高浜町にやってきました。カントリーサインは……えーと、なんでしょこれ。山と海と鳥とヨットと……手前の花がわからなかったのですが、「町の花」は「はまなす」とのこと。
舞鶴若狭道は、高浜町内は山手のルートを通り、しかも半分近くはトンネルで抜けてしまいます。このあたりの舞鶴若狭道の開通は 2003 年ですので、東日本大震災の影響は受けていないことになりますが、当初から高台基調のルート選定で、IC に至っては山の「向こう側」に設置したというのは先見の明がありすぎでしょうか。

「関屋トンネル」「高浜トンネル」そして「大飯トンネル」を抜けると「おおい町」です。このカントリーサインは……えーと(汗)。
そして、トンネルを出ると間もなく「大飯高浜 IC」です。国道 27 号から見て「山の向こう側」にある IC ですが、若狭高浜駅の近くからも別途トンネルを掘って(自動車なら)短時間で移動できるようになっています。
それにしても、大飯高浜 IC がなんでこんな内陸部に設置されたのか、何故なんだろう……という疑問が出てきてしまうのですが、名田庄方面からの利用も考えてのことなんでしょうか。

ここ十年ほどの変化

さて。高速道路を良く使う方なら、ここ十年ほどの間にあった大異変にお気づきかもしれません。一体何の話かと言いますと……
高速道路の看板の話です。他所ではまず目にすることの無い、俗に「公団ゴシック」とも呼ばれるこのユニークな書体が使われていたのですが……
ここ十年ほどでしょうか。「公団ゴシック」の看板を新たに目にすることがなくなり、代わりに「ヒラギノW5角ゴシック」が使われるようになりました。

公団ゴシックの興亡

ここで気になるのが、「公団ゴシック」が使われなくなったのがいつか、という話です。今回の例だと「舞鶴東 IC」が公団ゴシックで、開通が古いはずの「舞鶴西 IC」が「ヒラギノ角ゴ」になっていました。これでは何年ごろから「ヒラギノ角ゴ」が使われるようになったのかを判別するのは困難です。ところが……
大飯高浜 IC を過ぎたところで、決定的証拠を掴みました。「公団ゴシック」から「ヒラギノ角ゴ」に変更されたのは、小浜西 IC の開通後で、なおかつ小浜 IC の開通前と考えられそうです。

小浜西 IC の開通が 2003 年で、小浜 IC の開通が 2011 年とのこと。んー、「ここ十年ほど」という印象が間違っていないことは裏付けられたのですが、8 年も差があったとは計算外でした。えー、「公団ゴシック」が使われなくなったのは、とりあえず「2003 年から 2011 年の間」というトリビアが確認できたことになります(汗)。

小浜市(公団ゴシック)

ということで小浜市に入ります。このカントリーサインは「蘇洞門」と謎のお魚……でしょうか?

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2018年5月24日木曜日

春の東北小旅行 2015 (14)「赤レンガ倉庫の街」

綾部 JCT から、舞鶴若狭道に入りました。さすがは「高速自動車国道」だけあって、片側 2 車線です!
そしてこれもお約束ですが、綾部 PA を過ぎたあたりで敢えなく片側 1 車線に……。ただ、左手の斜面で土がむき出しになっていることからも分かる通り、綾部 PA から舞鶴西 IC までの間で 4 車線化工事が進行中でした。
「黒谷真倉トンネル」のポータルには二羽の鶴の姿が。左が西舞鶴で右が東舞鶴でしょうか(笑)。このトンネルは拡幅工事が完了すると南行き専用になるので、このポータルもいずれは見られなくなるということですね。
ちなみに、入り口には長さ 2210 m の「黒谷真倉トンネル」と出ていますが、実際には「黒谷トンネル」と「真倉トンネル」があって、間の僅かな区間が覆道でつながっているみたいです。

赤レンガ倉庫の街

舞鶴西 IC の出口が近づいてきました。拡幅工事が進行中であることが良くわかります。下り坂だった記憶もありますが、標識を見る限りでは 4.0 % の下り坂ですから、それほど急では無いですね。でも自動車専用道路としてはそこそこの急勾配なのかもしれません。
舞鶴西 IC を通り過ぎ、東舞鶴市街の近くまでやってきました。これは「木ノ下トンネル」のポータルですが、これは……?
舞鶴と言えば「赤レンガ倉庫」のある街としても有名です。このトンネルポータルは「赤レンガ倉庫」のオマージュなのでしょうね。

鶴も流れて東へ西へ

舞鶴東 IC を通過して、一路敦賀に向かいます。ここから先は初めて走る区間なので、知らないポイントが多くありそうです。いきなり目にしたのがこちら。
「舞鶴西 IC」「舞鶴東 IC」の先に「舞鶴 PA」ですか……。いやまぁ全く間違ってはいないんですが、どうせだったら「舞鶴西 IC」と「舞鶴東 IC」の間に欲しかったところです。名前も「中舞鶴 PA」とかだったら洒落ていたのに……。

福井県はフグだった

舞鶴 PA を通り過ぎると、ほどなく「三国岳トンネル」に入ります。
国境の 1 km ちょいほどのトンネルを抜けると、そこは福井県でした。
なんで「ふぐ」なんだろう……と思ったのですが、なるほど「若狭ふぐ」というブランド?をプッシュ中なんですね。機会があれば一度食してみたいものです。

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