2018年8月31日金曜日

春の東北小旅行 2015 (70)「懐かしの『小本駅』」

前方に、三陸鉄道北リアス線の線路と駅が見えてきました。岩泉小本駅ですね。
……と思っていたら、なぜか「小本駅」という表記が。あれっ?
もしかして……と思って調べてみたら、そのもしかしてでした。この駅は、もともとは「小本駅」という名前だったのですが、2015 年 12 月(!)に「岩泉小本駅」に改称されたとのこと。つまり、2015 年 5 月の時点では、まだ「小本駅」だったことになります。

「小本駅」が「岩泉小本駅」に改称された経緯ですが、2014 年 4 月に JR 岩泉線の「岩泉駅」が廃止されたため、岩泉駅に代わる町の玄関駅として認知されるべく、岩泉町からの要請で改称したとのこと。

龍泉洞の町の恐竜

国道 455 号を海側に向かって走ること数分で、国道 45 号との交叉点が近づいてきました。左折すると久慈に逆戻りですので、ここはもちろん右折です。
岩泉町茂師(もし)というところにやってきました。1978 年にここ茂師で発見された恐竜の化石は通称「モシリュウ」と呼ばれているのだとか。
右折すると「熊の鼻展望台」に向かうことができるようですね。岬のことを「鼻」と呼ぶのは割と全国共通おこめ券……じゃなくて全国共通だったりするのでしょうか。
集落の南側、漁港?を望む 40 m ほどの円丘には鳥居が建っていました。北海道だったら「タプコプ」か「モイワ」と呼ばれそうなところですね。

宮古市(かつての田老町)

現在は三陸北道路の「岩泉南 IC」があるあたりを過ぎると、宮古市(かつての田老町)に入ります。
小成川と摂待川の分水嶺をトンネルで越えると、三陸鉄道北リアス線の「摂待駅」が見えてきます。
このあたりの国道 45 号線は南南西に向かっていた筈が、左 180 度カーブで一旦北に向きを変え、今度は右に 90 度以上曲がって摂待駅に向かいます。まるでサーキットのようなカーブの連続ですが、海抜 70 m の地点から海抜 10 m まで一気に高度を下げる必要があったため、このようなルートになったようですね。
海抜 10 m まで高度を下げた国道 45 号は、この後は登りに転じて(そりゃそうだよね)、現在は三陸北道路の「田老北 IC」のあるあたりでは海抜 173.1 m まで盛り返します。久慈と宮古の間の国道 45 号は、主に台地の上を通っているので、このような「長い下り坂と長い上り坂」に繰り返し遭遇することになります。

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2018年8月30日木曜日

春の東北小旅行 2015 (69)「思案坂大橋」

二度あることは……ということで、またしても前方に「この先三陸北道路」の電光掲示が見えてきました。「辞職坂」をバイパスするために架けられた「思惟大橋」を渡って、国道 45 号を少し南に進んだあたりです。
「三陸北道路」の「田野畑南 IC」にやってきました。毎度おなじみ、まっすぐ進めば「三陸北道路」です。名前こそ「田野畑南 IC」になっていますが、これはやはり仮出入り口という扱いのようですね。

次は「鵜の巣断崖インターチェンジ」

「三陸北道路」に入ると、いきなり出口の案内から始まるのですが、なんと IC の名前が「鵜の巣断崖」という……。断崖ですよ、断崖(汗)。きっと IC には船越英一郎が待ち構えているに違いありません!

思案坂大橋!

「鵜の巣断崖 IC」の手前に、これまた長そうな橋が見えてきました。この橋の名前は「思案坂大橋」と言うそうで、田野畑村の二大難所「思案坂」と「辞職坂」の、「思案坂」をバイパスするための橋です。
もともと、国道 45 号に「槇木沢橋」という橋がかかっていたのですが、すぐ隣に三陸北道路の「思案坂大橋」が建設されました。ちなみに、「槇木沢橋」の東側に川に降りる道が記されているのですが、これがその「思案坂」なんでしょうか。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
おそらくは通称だったであろう「思案坂」を正式名称にしてしまった「思案坂大橋」を渡ります。25 m ほど左に旧道の「槇木沢橋」がある筈ですが、10 m ほどの高度差のためか、見ることはできません。

鵜の巣断崖 IC に船越英一郎はいなかった

「思案坂大橋」を渡ってすぐのところに「鵜の巣断崖 IC」があります。「鵜ノ巣断崖」そのものは IC から 3.4 km ほど東北東に離れた海沿いにあります。……そんなに離れた場所の名前を IC にするくらいなら、いっそのこと「思案坂 IC」にすれば良かったのに、と思わないでもありません。

棒型 IC だった「岩泉龍泉洞出口」

「鵜の巣断崖 IC」を過ぎると、「大牛内トンネル」(345 m)・「岩泉トンネル」(1,986 m)とトンネルが続きます。そして「岩泉長内トンネル」(301 m)を抜けると、間もなく終点(当時)の岩泉龍泉洞 IC です。
岩泉龍泉洞 IC の出口車線が見えてきました。当時は IC とは名ばかりの「棒型 IC」だったことがわかります。
岩泉龍泉洞出口と国道 455 号の交叉点にやってきました。当時は棒型 IC の終点だったので T 字路でしたが、現在はちゃんと十字路になっています。
国道 45 号(現道)に戻るために、左折して釜石・宮古方面に向かいます。

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2018年8月29日水曜日

春の東北小旅行 2015 (68)「思惟する大橋」

岩手県下閉伊郡の田野畑村は、村の中央を「松前川」という川が流れています。田野畑村の中心地は海抜 200 m くらいの台地の上にあるのですが、松前川は台地のど真ん中を深さ 100 m 以上の谷を刻んで流れています。そんな松前川を渡るために、国道 45 号には「思惟大橋」という橋が架けられています。
道の駅「たのはた」は、そんな「思惟大橋」のすぐ近くにあります。120 m 近く下を流れる松前川を眺めるビューポイントになっているようです。

ところで、こちらの案内標識、アルファベット表記をよく見ると "Park Shiinoohashi" とあります。「思惟大橋」は「しいおおはし」と読むのだと思っていたのですが、「しいのおおはし」なんでしょうか。
更には「思惟の森」もあるそうなのですが、それには英語で "Forest of Meditation" と記されています。Meditation は「瞑想」と訳す場合が多いようですが、「熟慮」の意でも使えそうなので、「思惟」の英訳としても適切なのかもしれません。

思惟する間もなく

そんなことを思惟しながら車を走らせていたところ、いきなり「思惟橋」が見えてきました。あれ、意外と小ぶりな……
と思ったのですが、何のことはなく、「思惟橋」は「思惟大橋」のちょい手前にある別の橋の名前でした。本物の「思惟大橋」が前方に見えてきましたね。
「道の駅」はスルーして(すいません)、「思惟大橋」を渡ります。高さは(既述の通り)約 120 m、長さも 300 m 以上ある長大橋です。
上から見ると、ふつーの「長い橋」にしか見えないのですが、横から見るとこんな形をしてるんですよね。下路のアーチが見事です。

「思惟大橋」は確かに「思惟の大橋」だった

それにしても、この「思惟大橋」というネーミングは一体なんなんだろう……と思ったのですが、日本橋梁建設協会さんの Web ページにその答えが記されていました。

 田野畑に赴任する役人や教師があまりの険しい断崖の道に「行くか、戻ろうか」と思い悩んだ思案坂、職を投げ出してまで帰ってしまった辞職坂でようやく隣村とつながっていたということです。
(日本橋梁建設協会 Web サイト「思惟大橋」より引用)
この「思惟大橋」は、「思案坂」ではなく「辞職坂」の代わりに架けられた橋だったようです。「思案坂」だけでも十分面白いのに、「辞職坂」というネーミングのインパクトと言ったらもの凄いですね。

「隣村とつながっていた」というのは、かつての「浜岩泉村」のことを指しているのだと思います。もっとも浜岩泉村(と沼袋村)は 1889 年に当時の田野畑村と合併して現在の田野畑村となっているようなので、1984 年の思惟大橋架橋から数えても 95 年も昔の話になるようですが……。

また、Forest of Meditation こと「思惟の森」の由来についても答えが記されていました。1961 年に発生した森林火災をきっかけに、前年に田野畑に滞在した早稲田大学の学生有志による植林活動が始まったのだそうです。

この活動は「思惟の森の会」という名前で代々の学生が続けたとのことで、「思惟大橋」の名前も「思惟の森の会」に由来するとのこと。なるほど、思惟の結果辞職を思いとどまったというストーリーなのかと思ったのですが、びみょうに違ったようです(汗)。

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2018年8月28日火曜日

春の東北小旅行 2015 (67)「尾肝要道路」

普代村から隣の田野畑村に入ろうか、というところの右側に「またどうぞ 北緯 40 度東端の村へ」と書かれたオブジェがありました。ちょうど「普代駅」のあるあたりを北緯 40 度線が通っているようです。このオブジェがあるのは、実際には北緯 39 度 58 分 52 秒くらいのところでしょうか(目分量です)。
田野畑村の「一の渡」というところにやってきました。このあたりでは国道 45 号がかなり内陸部に入っています。この先を右折して、県道 173 号を南下すれば岩泉に抜けられるようですね。龍泉洞には一度行ってみたいです。

宮古 55 km、大船渡 145 km

毎度おなじみ、「距離を確認してため息」シリーズですが、宮古 55 km の次が「大船渡 145 km」となりました。釜石はスルーなんですね。

印象操作の一例

久々に傑作な案内標識を見かけました。直進すると「三陸北道路」(国道 45 号)なんですが、左折しても国道 45 号(旧道)なんですね。この、道の幅から国道のマークまで、あからさまに変えてあるのが面白いですよね。
普代道路と同じく、国道をまっすぐ走れば、そのまま「三陸北道路」に入ります。お気楽な構造ですが、この構造も暫定的なもののようで、「普代道路」とつながった暁には廃止される予定なのかもしれません。

尾肝要トンネル

田野畑村で開通済みの「三陸北道路」は尾肝要トンネルの前後の区間で、「尾肝要道路」という名前なのだとか。
それにしても、「尾肝要」で「おかんよう」って、ふつーにそのまま読めますが、変わった地名ですよね。
トンネルを抜けてしばらく走ると「尾肝要道路」の「終点」ですが、またしてもあからさまにサイズの違う国道 45 号がここにも……(笑)。

カンパネルラ田野畑駅(汗)

普代と田野畑の間は、国道 45 号(や三陸北道路)は内陸側の尾肝要トンネルを経由していますが、三陸鉄道北リアス線は「普代トンネル」でショートカットして、海側に駅を設けています。田野畑村には「田野畑駅」と「島越駅」があるのですが……
いつの間にこんな名前に……(汗)。

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2018年8月27日月曜日

春の東北小旅行 2015 (66)「三陸北道路 無料供用中」

前回までのあらすじ

えーと、絶景の店「レストハウスうしお」さんで「生うに丼」を食べました、というところまで進んでいたんでしたね。

気がつけば「三陸北道路」

ということで、気を取り直して「春の東北小旅行 2015」を再開します。海霧の残る国道 45 号線を南下していたのですが……
いつの間にか「三陸北道路」に入ろうとしていました。直進すればそのまま「三陸北道路」に入れるようです。お気軽な構造でいいですね。
どうやら、この構造は暫定的なもので、将来的に「三陸北道路」が延伸された時点でこの入口は無くなる……のかもしれません。

「三陸北道路」を構成する「普代道路」

「三陸北道路」は、現時点では細切れに開通していて、この普代村の区間は「普代道路」という名前になるのだとか。普代道路は、Wikipedia には「2 車線」とだけ記されていますが……完成 2 車線でしょうかね。
現時点での唯一の IC である「普代 IC」が近づいてきました。この普代 IC、なかなか変わった形をしてるんですよね。宮古方面に向かう流入車線の構造がなかなか秀逸です。

気がつけば「終点」

普代 IC を過ぎると、程なく終点が見えてきます。「普代道路」自体が 4.2 km しかありませんからね……。
終点も、起点と同様、そのまま直進すれば国道 45 号に戻ることができる構造です。
そもそもこの「普代道路」は、当初は「普代バイパス」として認識されていたとのことで、単純に国道 45 号線のバイパスとして設計されていたが故に、こんな構造になったのかもしれませんね。ところがいつの間にか「三陸北道路」という地域高規格道路に含まれることになり、将来的には「三陸北道路」だけで完結する形に変わるものと考えられます。
「終点 END」の緑の案内板がとても小ぶりなのが面白いですね。

先はまだまだ長い

そして、仙台まではあと 322 km となりました。先はまだまだ長いですね……。

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2018年8月26日日曜日

きょうの出来事(2018/8/26)

昨日の晩に、苫小牧東港フェリーターミナルに戻ってきました。先週の土曜日に上陸してからの走行距離は 2,903 km とのこと。道内だけの走行距離としては今までで一番長いかもしれません。

「すずらん」に変更

ということで、新日本海フェリーの「すずらん」に乗船しました(本来だと「すいせん」に乗る筈だったのですが、前日の便が台風のために欠航してしまったため、急遽変更となりました)。

デラックス A ツイン

部屋のグレードは、今回は「デラックス A ツイン」をチョイスしました。北行とグレードを変えたので、いろいろと細かい違いに気づくかもしれない……という狙いだったりします。
「デラックス A ツイン」も、部屋によってレイアウトが若干異なるようで、今回の部屋(スイートの隣)は、奥行きがあって割とゆったりした感じがあります。
もしかしたら「スイート」一部屋分のスペースを「ジュニアスイート」と「デラックス A ツイン」に分割したら、このサイズになるのかもしれません。

今回の部屋は左舷ということで、朝日をまともに受ける側なんですが、朝は割とどんよりした感じでした。暗雲が立ち込めると言ったほどでは無いんですが、青空は見えないですね。

きょうの昼食

船内のチェックは北行の際にほぼ済ませてしまったので、あとは昼食のご紹介でも。今回はスイートではありませんが、「グリル」での昼食と夕食を予約済みです。
「グリル」と言えば、最近は「船内屈指の空席率」とネタにしてしまっていますが(すいませんすいません)、今日は違います! なんとフォワードサロンよりも人が入っています!(ぉぃ

ということで、まずは前菜から。メニューの詳しい説明は、また本編を書く時にでも(何年先になるんだか)。
続いてはスープです。
今回は洋食のコースということで、ライスとパンを選ぶことができるのですが、メニューを眺めてなんとなく「パン」を選びました。
そしてメインの肉料理です。
北行のときは一人しか客がいなかった「グリル」ですが、今日はちらっと見かけただけでも 10 人以上はいた(しかもシングルのお客さんも何人か)ので、厨房も大忙しだったのかもしれません。ちょいと待つこと十分ほどでデザートが出てきました。
えー、現場からは以上です(ぉ

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