2019年8月5日月曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (76)「歌登町営軌道」

セイコーマート歌登店でお買い物を済ませたので、移動を再開します。このまま北に向かうとオホーツク海方面に出てしまうので、南に戻ることにしましょう。「健康回復村」と「うたのぼりグリーンパークホテル」の案内が見えます。
右に向かうと道道 12 号経由で音威子府村咲来に出ます(つまり、ここまでやってきた道程をそのまま戻ることになります)。左に向かうとオホーツク海方面の紋別と枝幸町乙忠部に出る……のですが、美深町仁宇布を経由して美深で国道 40 号に出ることができます。左右どちらに行っても名寄に出ることができるのですが、この青看板だと右折しないといけないように見えてしまいますね。
左折して道道 120 号「美深中頓別線」に入ります。名前からして美深町が起点っぽいですし、距離案内にも「名寄」と「美深」の文字が並んでいます。道道 120 号は美深に向かう路線なので、乙忠部に行くには途中から道道 1023 号「上徳志別乙忠部線」に入る必要があります。

美幸線路盤跡

歌登から美深までの道道 120 号は、かつての鉄建公団建設線の「美幸線」のルートと重なります(歌登から枝幸までは、道道 12 号沿いに建設が進められていました)。そのため、主に道道 120 号の北側に、今も路盤跡を確認することができ……ます、多分。
少し先に橋が見えますが、あれが美幸線をオーバークロスする筈の橋でした。そして、実はこの写真も美幸線の踏切になっていたかもしれない場所から撮影しています(鉄建公団建設線に踏切が設置できたかどうか、ちょっと怪しい気もしますが)。ということは……この草ぼうぼうの場所が、美幸線の路盤跡なのかもしれません。
東側は高架橋があったから路盤跡だと認識できましたが、西側に至ってはどう見ても単なる草ぼうぼうの空き地にしか見えません(実は路盤跡ではなく、本当に草ぼうぼうの空き地かもしれません)。これを路盤跡と認識するのはちょっと難易度が高いかもしれませんね。
線路を越えるはずの高架橋に続く道は、未舗装のままでした。

健康回復村

道道 120 号のドライブを再開します。南南東から南東に向かって、歌登辺毛内のあたりを抜けると……
ほどなく「健康回復村」の看板が見えてきます。この先の交叉点を右折すれば良いとのこと。ちょっと立ち寄ってみましょうか。

歌登町営軌道のディーゼル機関車

「うたのぼりグリーンパークホテル」に向かう道の途中で、面白いものを見かけました。ちょいと路駐させてもらいまして……
道路から少し離れたところに、森林鉄道などで使われそうなディーゼル機関車が置かれているのが見えます。
かつて歌登には「歌登町営軌道」という簡易軌道が存在していました。どうやら、当時使用されていた機関車を保存展示しているようです。
この近くでも歌登から志美宇丹に向かう支線が走っていた筈なのですが、鉄建公団が美幸線を建設する際に「邪魔になる」とのことで(実際はもっとオブラートに包んだ表現だったと思いますが)、1971 年に廃止されてしまいました(1970 年に運行を休止)。そして、建設が進んでいた「美幸線」も結局開通すること無く放棄されてしまったため、歌登からは鉄路が永久に失われてしまったのでした。
「軌道小史」と題された説明板には、歌登簡易軌道の歴史が簡潔に記されています。建設線「美幸線」と区間がかぶるのは枝幸-歌登間と歌登-志美宇丹間ですが、枝幸と歌登の間は 1950 年に既に運行を休止していたため、「美幸線」に道を譲ったのは歌登と志美宇丹の間だったということになります。
ディーゼル機関車自体は 2 軸の小さな物ですが、この機関車が導入される前は馬が客車を牽引していた(馬車鉄道)と言いますから、この小さな機関車だけでも随分と近代化されたということになるのですね。

うたのぼりグリーンパークホテル

車に戻って少し走らせると、前方に「健康回復村」の中核施設である「うたのぼりグリーンパークホテル」が見えてきました。ここはタイ人観光客向けのツアーで一斉を風靡したところですが、その特需も終わりを迎えたとのこと(twitter で教えてもらいました)。新たな活路を見出すことができるのか、注目ですね。

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