2025年9月19日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1283) 「ウネトプ川・シロチノミ川・プッカシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ウネトプ川

opnetop???
ネマガリダケ
(??? = 旧地図で未確認、既存説に疑問あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ショロカンベツ川」と「ソエマツ川」の間で西から「元浦川」に合流する支流です(川名は国土数値情報による)。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ポロヌㇷ゚キナイ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりません(位置的には「レタリトイナイ」が近いですが、これは現在の「ポロナイ川」だと見られます)。

この川名も例によって国土数値情報がやらかしたのか……と思ったのですが、ネタ元と思しき川名を見つけられませんでした。強いて言うならば「ラ」という地名に近いかもしれませんが、もはや言いがかりに近いレベルですよね。

笹原!?

「ウネトプ」は正体不明……と思ったのですが、なんと永田地名解 (1891) に次のような記載がありました。

Une top   ウネ トㇷ゚   笹原 直譯一樣ノ笹
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.275 より引用)
うーむ……。top は「竹」ですが「ウネ」が正体不明です。もしかして「うね」だったりして……。

なお、この「ウネ トㇷ゚」は「オパ ウㇱュ ナイ」と「ライ ペッ」の間に立項されていました。「オパ ウㇱュ ナイ」は現在の「ルスナイ川」で、「ライ ペッ」は「ライベツ川」なので、順番通りだとすればこれも浦河姉茶のあたりの地名(川名?)だった可能性が出てきます。

改めて『東西蝦夷山川地理取調図』を眺めてみたところ、「ライヘツ」の近くに「ヲニトウ」と描かれていることに気づきました。

ネマガリダケ?

この「ヲニトウ」については、戊午日誌 (1859-1863) 「宇羅加和誌」に次のように記されていました。

 また少し上りて同じ方に
      ヲニトウ
 小川也。其名義はヲニトツフにして、此辺大笹多くあるよりして号しもの也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.464 より引用)
あー。もしかして……と思ったのですが、やはり「ウネ」あるいは「ヲニ」は onne だった可能性がありそうですね。onne-top で「大きな・竹」かと考えてみたのですが、知里さんの『植物編』(1976) によると opnetop で「ネマガリダケ」を意味するとのこと。

§ 383. ネマガリダケ
       Sasa paniculata Makino et Shibata var. paniculata Nakai
(1) opnetop(óp-ne-top)「おㇷ゚ネトㇷ゚」[<op(矢柄)ne(になる)top(竹)]莖《A 沙流鵡川有珠
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.222 より引用)
op は「槍」とされることが多いですが、知里さんは次のような注を付記していました。

   注 1.──op わ今普通に槍と譯されているけれどももとわ槍に限らず柄の意である。語原わ o-p[ついている・もの]で,kité-op わ「銛先のついているもの」の義で銛の柄のことであり,marék-op わ「鮭銛のついているもの」の義でいわゆるマレップの柄のことである。本條の場合 op わ ay-o-p「矢のついているもの」の op で矢柄(矢がら)をゆう。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.222 より引用)※ 原文ママ
ということで、「ウネトプ川」は opnetop で「ネマガリダケ」だった可能性がありそうです。それにしても「国土数値情報」は他所の地名・川名をありもしないところに勝手に当てはめてくれるので……もう勘弁してほしいです。

シロチノミ川

sir-o-chi-nomi?
山・そこで・我ら・祈る
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「元浦川」を遡ると、やがて「ソエマツ川」と「ニシュオマナイ川」の合流点にたどり着きます。この合流点は、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヘテウコヒ」と描かれていました。pet-e-u-ko-hopi-i は「川・そこで・互い・に・捨て去る・ところ」で、要は「川が分かれるところ」ということになります。

「ソエマツ川」と「ニシュオマナイ川」の合流点からソエマツ川を 0.1 km ほど遡ったところで、「シロチノミ川」が北から合流しています。『北海道実測切図』(1895 頃) にも「シロチノミ」と描かれていますが、『東西蝦夷山川地理取調図』にはそれらしい川名・地名が見当たりません。戊午日誌 (1859-1863) 「宇羅加和誌」にも該当しそうな記載は見当たらず、永田地名解 (1891) の「元浦川筋」にもそれらしい記載が見当たりません。


「シロチノミ」は sir-o-chi-nomi で「山・そこで・我ら・祈る」と読めそうでしょうか。chi-nomi-sir で「我ら・祈る・山」と呼ばれる場所が道内各所にありますが、その亜流と言えそうな感じです。

本来「シロチノミ」は川の名前ではなく地名だと思われるのですが、ここでは何故か川の名前として扱われています。

プッカシナイ川

putu-kasu-nay??
その河口・上を越す・川
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「シロチノミ川」の合流点から「ソエマツ川」を 5 km ほど遡ったところで南から合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「プト゚カㇱュナイ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ソエマツ川」と思しき川の支流として「カシユニ」という川が描かれていますが、位置的には『北海道実測切図』が「シロチノミ」とした川と同一かもしれません。

「プト゚カㇱュナイ」をどう解釈するかですが、「プト゚」は putu で「その河口」と見て良いかと思われます。「カㇱュ」は「仮小屋」かと思ったのですが、putu の後ろなので kasu で「渡渉する」かもしれません。putu-kasu-nay であれば「その河口・渡渉する・川」となりそうですね。

本流筋(ここでは「ソエマツ川」)を遡る場合、支流を渡渉するのは当たり前の話なので、何故「プッカシナイ川」をそう呼んだのかは不明です。kasu には「渡渉する」以外にも「上を越す」というニュアンスもあるようなので、それに類する何らかの特徴があった……と考えたいところです。

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