2025年9月20日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1284) 「エカニウス川・オニウス川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

エカニウス川

i-kari-us-i
それ・回る・いつもする・ところ
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河荻伏と浜荻伏の間で海に注ぐ川です(国土数値情報による)。『北海道実測切図』(1895 頃) には「イカリウシ」と描かれていて、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では(現在の名前に近い)「エカニウシ」と描かれています。


海岸部の地名なので記録だけは豊富にあるようです。気付いた範囲で表にしてみました。

大日本沿海輿地全図 (1821)イカヌシ?
初航蝦夷日誌 (1850)ヱカニウシ
竹四郎廻浦日記 (1856)ヱカヌウシ
午手控 (1858)イカニウシ
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)エカニウシ
戊午日誌 (1859-1863)イカ(リ)ウシ
東蝦夷日誌 (1863-1867)エカニウシ
永田地名解 (1891)イカリ ウㇱ
北海道実測切図 (1895 頃)イカリウシ
北海道地形図 (1896)イカリウシ
国土数値情報エカニウス川

いい感じに票(違う)が割れましたね。『午手控』には地名解も記されているのですが……

イカニウシ 昔此処鹿(狩)りに附、一人の老夷女、致しおりし鹿往返に目を附け番有し所、猟蝦夷人共射放したる矢誤り老女に当り即死に附、イカニウシと名付し由
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.173 より引用)
うーん。もしかしたらそんな出来事が実際にあったのかもしれませんが、「イカニウシ」をどう解釈するとそうなるのか、ちょっと理解に苦しみます。「射る」を意味する tukan という語はありますが……。

永田地名解には次のように記されていました。

Ikari ushi   イカリ ウㇱ   山越ヤマコエ 直譯迂リ路スル處元浦川出水ノトキ川ヲ渉ル能ハズ山越シテ往來セシニヨリ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.270 より引用)
「荒天時に遠回りをした」という話のようですが、この手の話もちょくちょく目にしますね。最近だと様似の「キリシタナイ川」あたりでしょうか。

永田地名解以前は「イ──」ではなく「エ──」(あるいは「ヱ──」)という記録が目立つものの、「イ──」という記録もちょくちょく存在するようにも見えます。「イカリウㇱ」を素直に解釈すれば i-kari-us-i で「それ・回る・いつもする・ところ」となるでしょうか。

日頃は海沿いを歩いたものの、海が荒れた時や川が増水したときは山越えルートに迂回した……ということのように思えます。

オニウス川

o-ni-us-i?
河口・標木・ある・ところ
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河町浜荻伏の北西を流れる川……とされています(国土数値情報によると)。『北海道実測切図』(1895 頃) に「オオホナイ」と描かれている川に相当するでしょうか。このあたりの川名は資料によって若干のブレがありそうなので、表にまとめてみました。


大日本沿海輿地
全図 (1821)
ホンヲニウシイカヌシホントマリ
蝦夷地名考幷
里程記 (1824)
ヲニウシウラカワ
初航蝦夷日誌
(1850)
ヲニウシヲホナイヱカニウシモトウラカワ
竹四郎廻浦日記
(1856)
ヲニウシヲウナイヱカヌウシホンウラカワ
午手控 (1858)ヲニウシヲウナイイカニウシ元ウラカワ
東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
ヲニウシヲウナイヲトイエカニウシウラカワ ヘツ
東蝦夷日誌
(1863-1867)
オニウシ
(境目)
オホナイ
(漁場)
エカニウシ
(小川)
元浦河
(川)
永田地名解 (1891)オニ ウㇱオオホ ナイイカリ ウㇱウララ ペッ
北海道実測切図
(1895 頃)
ポンオニウシポロオニウシオオホナイイカリウシ元浦川
陸軍図 (1925 頃)荻伏/オニウス元浦川
国土数値情報伏海川浜荻伏川オニウス川エカニウス川元浦川
地理院地図浜荻伏荻伏市街

三石(現・新ひだか町)と浦河の間は川が境界になっているのですが、『北海道実測切図』によるとこの川は「ポンオニウシ」で、現在の川名は「伏海川」とされています(国土数値情報によると)。

現在「オニウス川」とされる川の元の名は「ヲホナイ」あるいは「ヲウナイ」だったと思われ、これは ooho-nay で「深い・川」と読めます。ただ、「ポンオニウシ」(=伏海川)と「ポロオニウシ」(=浜荻伏川)、そして「オオホナイ」の三つが揃った記録は多くないため、あるいは「ポロオニウシ」と「オオホナイ」が実は同じ川を指していたという可能性もゼロでは無さそうにも思えます。

別の言い方をすれば、現在「オニウス川」とされる川よりも「浜荻伏川」のほうが「オオホナイ」(深い・川)と呼ぶに相応しい……と思えるのですね。

現在の「オニウス川」という川名は明らかに「ヲホナイ」ではなく「ヲニウシ」に由来すると思われます。o-ni-us-i で「河口・木・多くある・ところ」と解釈可能で、地名ではこの手の ni は「流木」を指すことが多いのですが、川の規模を考えると「流木が多い」というのは少々疑わしく思えます。

永田地名解には次のように記されていました。

Oni ushi   オニ ウㇱ   境標 昔ヨリ浦河三石兩場所ノ境界ナルヲ以テ標木ヲ立テタルヨリ此名アリ直譯其處ニ木アル處○今荻伏村ト稱ス
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.269 より引用)
これは ni を「流木」ではなく「標木」と解釈したことになります。珍しい解釈のようにも思えますが、今回はこの解釈がしっくり来ます。o-ni-us-i で「河口・標木・ある・ところ」となりますね。

「ヲニウシ」は本来は「伏海川」の河口のあたりの地名で、それが一帯の地名として使われるようになったことから、本来「オオホナイ」だった川が「ポロオニウシ」と呼ばれるようになった……あたりではないかと想像しています。つまり、現在の「オニウス川」は位置も意味も本来のものとは異なるのでは……と思えてしまいます。

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