2025年10月11日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1293) 「姨布川・ニノコシ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

姨布川(おばふ──)

ohak-nay?
浅い・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新ひだか町三石港町(かつての三石町港町)で海に注ぐ川です。地理院地図には川として描かれていますが、川名の記載はありません。国土数値情報によると姨布川の支流に「ポンオバフ川」があるとのこと。

北海道実測切図』(1895 頃) には「オマㇷ゚」という川が描かれていて、その上に「姨布」とあります。これは当時「姨布村」が存在していたことを表しますが、何故かアルファベットでも Obapu と描かれています。『北海道実測切図』におけるアルファベット表記は、大きな山や大きな川に対して行われるのが一般的なので、この Obapu 表記は異例です。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲハケ」と描かれています。

「ヲハフ」は「ミツイシ」

『竹四郎廻浦日記』(1856) には次のように記されていました。

並て
     ミツイシ
三ツ石の名は此会所前に三つの暗礁あるよりして起ると。本名はヲハフ(まま)と云よし。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.512 より引用)
どうやらミツイシ会所の所在地だったようで、「ヲハフ」=「ミツイシ」と認識されていたせいか、『初航蝦夷日誌』(1850) などでは「ヲハフ」の記載を見つけられません(見落としていたらすいません)。『東蝦夷日誌』(1863-1867) には「ヲバフ」と記されていました。

「かわいがる」説

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Omap   オマㇷ゚   愛敬 「オマプ」ハ愛スルノ意、又抃手禮ヲ爲スヲ云フ靜内ト三石ノ土人面會シ抃手禮ヲ爲シタル處ナリト云フ一説「オハプ」ニテ空處ノ義、國後騒擾ノ時此地ノ土人山中ニ逃匿シ一村居人ナキニ至ル故ニ名クト蝦夷紀行ニ東南山ノ間清水ノ流レヲ「オハクナイ」ト云フト之ニ據レバ「清淺ノ川」ノ義ナリ○姨布オバフ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.263 より引用)
なるほど……。「オマㇷ゚」を素直に解釈すると oma-p で「そこにある・もの」あたりになるので、oma の前にあった何かが消え失せたのかと思ったのですが、「オマㇷ゚」は永田方正が捻り出した解かもしれませんね。

永田地名解が饒舌になったときは、だいたい内容に自信がない時という認識なのですが(人のことは言えない)、田村すず子さんの辞書によると omap は子どもなどを「かわいがる」とのこと。

「空虚である」説

さすがに地名でこの解釈は無いよなーと思ったのですが、幸いなことに「一説」が二つも追記されていました。

一つは oha-p で「からである・もの(ところ)」という説で、國後騒擾、すなわち「クナシリ・メナシの戦い」の際にコタンが無人になったことに由来する……とか。

「浅い川」説

もう一つは aahak-nay で「浅い・川」ではないかとのこと。aahak という語はこれまであまり目にした記憶がないですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されていました。

aahak アあハㇰ【H 南】《完》《常》浅くアル(ナル)。(=hak ;対 ooho, oho, oo)。[たぶん ahak の強調形,ahak は ohak(→ ohax)の転訛で,oha(空でアル〔ニナル〕),ha(浅くアル〔ナル〕,〔腫れや潮などが〕引く)に関係があるだろう。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.3 より引用)
ほぼまるまる引用しちゃいましたが(すいません)、要は aahak も元を辿れば oha じゃないかとのこと。aahak あるいは ohak と「ヲバフ」というのは少し違いがあるように思われますが、ohak-nay で「浅い・川」と見ていいんじゃないかと思われます。

ニノコシ川

nino-uk-us-i?
ウニ・取る・いつもする・ところ
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「天狗山」二等三角点(標高 202.8 m)の南、三石越海こしうみ町と三石西端にしはたの間を流れて海に注ぐ川です。東隣(三石越海町)には「ポンニノコシ川」が存在するとのこと(どちらも国土数値情報によります)。

北海道実測切図』(1895 頃) では、現在の「ポンニノコシ川」の位置に「ポロニノウクウシ」と描かれているように見えます。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ニノコシ」とあり、東隣に「ホンニノコシ」と描かれていました。

松浦武四郎が「ニノコシ」と記録していて、現在の川名も「ニノコシ川」なのに『北海道実測切図』が「ポロニノウクウシ」と描いているのは……嫌な予感™がしますね。海岸部の地名ということで記録も豊富だろう……と期待して、表にまとめてみました。

東行漫筆 (1809)ニノコシ-
大日本沿海輿地全図 (1821)ニノイブシ-
初航蝦夷日誌 (1850)ニノコシ-
竹四郎廻浦日記 (1856)ニノコシ-
辰手控 (1856)ニノコシ-
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ニノコシ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ニノコシ-
永田地名解 (1891)ニノ ウク ウシ海栗ヲ取ル處
北海道実測切図 (1895 頃)ポロニノウクウシ-
陸軍図 (1925 頃)ニノウコシ(地名)
国土数値情報ポンニノコシ川-

永田地名解の「ニノ ウク ウシ」が異彩を放っているのはいつものことですが()、伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』(伊能大図 (1821) )に「ニノイブシ」とあるのが目を引きます。

「ニノコシ」表記は「東行漫筆」でも確認できるくらいなので、古くから人口に膾炙していたようですが、「ニノイブシ」という記録があり、陸軍図でも「ニノコシ」とあるので、今回は永田地名解の説で良さそうに思えてきました。

ウニは現在の北海道方言では「ノナ」ですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には nino で「ウニ(海栗)」とあります。『小辞典』は『永田地名解』の語彙を拾ったと思しき節もあるのですが(正確なところは不明)、『アイヌ語方言辞典』(1964) にも幌別では ninó とあり、他の辞書類でも確認できるので、nino も「ウニ」である……と見て良さそうですね。

「ニノコシ」は nino-uk-us-i で「ウニ・取る・いつもする・ところ」と考えられそうです。

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