(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
作拝山(さくばいざん)
sakipe-o-i?
鱒・多くある・もの(川)
鱒・多くある・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「三石ダム」の 2 km ほど南に「作拝山」という名前の三等三角点が存在します(標高 604.8 m)。この「作拝山」ですが、三角点の 3 km ほど南をかつて「サㇰパイ」と呼ばれた川(現在の「咲梅川」)が流れていたことに由来すると思われます。戊午日誌 (1859-1863) 「計理麻布誌」には次のように記されていました。
出立して山間まゝ上り行候や
サクバイ
左りの方小川。其名義は此川鱒多きによつて号るとかや。当川すじ鱒の事をサクバイと云よし。魚類鱒・いとう・鯇、尤も雑喉多しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.501 より引用)
これは sak-ipe で「夏・魚」、すなわち sakipe で「マス」を意味したみたいです。ただ永田地名解 (1891) には異なる解が記されていました。Sakpai サㇰパイ 夏場所これは sak-paye-i で「夏・(山の方へ)行く・ところ」でしょうか。あるいは sakpa-i で「夏の間・ところ」かもしれません(いずれもえりも町の「咲梅川」の記事にて既述)。ただ今回の「サㇰパイ」は「鱒が多い」という記録もあるので、sakipe-o-i で「鱒・多くある・もの(川)」と見ていいのかなと思わせます。
ピラシュケ川
piraske?
広くなる
広くなる
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「三石ダム」の 1.5 km ほど手前で「三石川」に合流する西支流です。この川の南西には「比良志毛」という名前の三等三角点(標高 829.4 m)も存在します。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ピラシユケ」と描かれています。
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒラリシケ」と描かれているように見えます。
戊午日誌 (1859-1863) 「美登之誌」には次のように記されていました。
また少し上りて
ヒラクシケ
左りの方小川。此処平の下に広き処有る沢なるが故に号る也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.530 より引用)
この記述について、頭註には次のように記されていました。pira 岩崩の
kus 下の端
ke の所
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.530 より引用)
kus が「下の端」とありますが、これは kes かもしれません。pira-kes-ke で「崖・末端・のところ」と読めそうでしょうか。ただ piraske 自体が「広い」を意味します(釧路町に「オビラシケ川」があります)。
松浦武四郎の記録はブレが見られるので、表にまとめてみましょうか。
| 午手控 (1858) | ヒラリシケ / ヒラシケ | - |
|---|---|---|
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヒラリシケ | - |
| 戊午日誌 (1859-1863) | ヒラクシケ | - |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ヒラリシケ | - |
| 永田地名解 (1891) | ピラシュケ | 開ケタル處 |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | ピラシユケ | - |
| 陸軍図 (1925 頃) | ピラシュケ川 | - |
| 地理院地図 | ピラシュケ川 | - |
これは……。『午手控』に「ヒラシケ」という記録があるものの、「ピラシュケ」という解釈は永田方正が持ち込んだようにも見えてしまいますね。ただ「ピラシュケ」はその後の『陸軍図』にも踏襲されているので、これまでの「永田地名解がまたやりおったで」案件とは一線を画するような気もします。
あと「ヒラ
「ヒラリシケ」の解釈はしっくり来ないのですが、「高い崖」を ri-pira ではなく pira-ri という語順で言い表す流儀もあったようです。となると pira-ri-sike で「崖・高い・背負う」とでも呼んだのでしょうか。
ただ、改めて考えてみると「平の下に広き処有る沢」とも書いているんですよね。となると素直に piraske で「広くなる」と見るべきなのかもしれません(「リ」の音が付加されたのは方言的なものとか……?)。
美河(みかわ)
pirka-nay?
美しい・川
美しい・川
(? = 旧地図に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
三石ダムがあるあたりの地名です(現在は「新ひだか町三石美河」)。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ピリカイ」と描かれています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒリカナイ」と描かれています。『北海道実測切図』には「ピリカイ」という地名の他に「ピリカナイ」という川も描かれていました。
戊午日誌 (1859-1863) 「美登之誌」には次のように記されていました。
其左りの方え行より右の方小さきが故、又一字を低く志るし置に
ヒリカヤリ
右の方也。其本名ヒリカイと云儀也。此処え来る哉雑候・鹿また鵰・鷲等多くしてよき処なるが故に号。其源は
アイタサフノホリ
と云高山、其後ろはシヒチヤリの川すじなりといへり。委しくは留辺之辺志に志るす故略レ之。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.530 より引用)
「ヒリカPirika nai ピリカ ナイ 好澤「ヒリカヤリ」なのか「ヒリカナイ」なのか、それとも「ヒリカイ」なのかは不明ですが、「美河」は pirka-nay で「美しい・川」の意訳地名だったと見ていいかなと思います。
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