2025年10月17日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1295) 「モブシ川・サルガナイ川・横山川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

モブシ川

mo-{pus-i}
小さな・{布辻川}
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新ひだか町三石西端にしはたを流れる布辻ぶし川の東支流で、モブシ川自体の南支流として「ポンモブシ川」も存在します(川名は国土数値情報による)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「モフシ」と描かれています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ポロモプシ」とあります。poro- は「大きな」を意味し mo- は「小さな」を意味するので「???」となりますが、隣の「ポンモプシ」との対比ということでしょう。


永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Mo pushi   モ プㇱ   小破川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.269 より引用)
今回の場合は「プシ川筋」(=布辻川筋)なので、mo-{pus-i} で「小さな・{布辻川}」となりそうです。「ポロモプシ」であれば poro-{mo-{pus-i}} で「大きな・{モブシ川}」だったことになりますね。

サルガナイ川

sar-ka-nay
葭原・のかみ・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新ひだか町静内東別とうべつに「八幡」という名前の四等三角点(標高 90.2 m)があります(麓に「東別八幡神社」があるとのこと)。国土数値情報によると「八幡」三角点の北を「サルガナイ川」が流れているとされています。

北海道実測切図』(1895 頃) にも「サラカナイ」という川が描かれていますが、これは現在の「オオシタ沢川」の位置のように見えます。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「オオシタ沢川」に相当しそうな川が描かれていますが、川名は描かれていません。

『辰手控』(1856) には「サリカイ」と記されていました。sar-ka-i であれば「葭原・のかみ・のところ」と読めそうでしょうか。sar-ka-nay であれば「葭原・のかみ・川」となりそうですね。

横山川(よこやま──)

samatki-iwa
横臥している・山
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
布辻川の最上流部の支流で、「北横山」と「横山中岳」の間から流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には該当しそうな川名は見当たりませんが、「シヤマケイワ」という山が描かれていました。

北海道実測切図』(1895 頃) には「シヤマツキイワ」という山が描かれていて、現在の「横山川」に相当する部分は「ト゚プウㇱュナイ」と描かれているように見えます(かなり短い川になってしまっていますが)。


『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。

源横岳シヤマツケイワに到る。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.180 より引用)※ 原文ママ
ということで、「横山」は「シヤマツケイワ」を和訳したものと見て良いかと思われます。「シヤマツケ」は samatke かと考えたいのですが、手元の辞書類は見事なまでに samatki なので、samatki-iwa で「横臥している・山」としておきます。

「横山川」は「横山」から流れる川なので、そう呼ばれている……ということなのでしょうね。

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