2016年4月30日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (337) 「布辻川・東別・春立」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

布辻川(ぶし──)

pus-i
破裂する・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
武士は喰わねど高いびき……違うか。かつての三石町と静内町の境界を流れていた川の名前です。

東西蝦夷山川地理取調図には「フツシ」とありますが、果たしてどういう意味なのでしょう。まずは東蝦夷日誌から。

プツシ(渡船、渡守小屋あり)西岸に境柱を立、渡船隔年に勤め、川筋又南北の土人の接也。魚類、桃花魚(うぐい)・鯇(あめます)・雑喉(ざこ)のみ。名義、南風の時に口塞げども直に破るとの義也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.179 より引用)
永田地名解には、「三石郡」の地名として採録されていました。

Pushi  プシ  潰裂スル處 静内三石二郡ノ境川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.263 より引用)
おおよそ意見の一致を見ているようですね。締めは山田秀三さんの「北海道の地名」から。

この川口は今でもひどく屈曲して昔の面影を残している。砂で川口が塞がりやすかった川で,川尻に貯った水がそこを破って噴出するのが目立ったので川名となった。push-i「(川水が)破って噴き出す・もの(川)」の意であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.350 より引用)
今では河口部もしっかりと整備されて普通の川のように見えますが、30 年ちょい前の地図を見ると、確かにちょいとクネクネしていた風に見て取れます。やはり pus-i で「破裂する・もの(川)」と考えて良さそうな気がします。

東別(とうべつ)

toy-pet
食用土・川
(典拠あり、類型あり)
布辻川を河口から少し(2~3 km ほど)遡ったあたりの地名です。JR 日高本線にも「日高東別駅」がありますね。

では早速ですが、駅名のことなら何でもお任せ(でも仮乗降場は「知らんがな」)でお馴染みの「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  日高東別(ひだかとうぺつ)
所在地 (日高国)静内郡静内町
開 駅 昭和33年7月15日 (客)
起 源 アイヌ語の「ト・ペッ」(沼・川)から出たもので、「東別」の字をあてたものである。なお道内にも同音の駅が多いので、国名の「日高」をつけた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.92 より引用)
このあたりの日高本線の開通は昭和 8 年のことですから、日高東別駅は少し遅れて開業した駅ということになりますね。それはさておき、「駅名の起源」は to-pet で「沼・川」説のようなのですが、異説もあるようです。

東別 とうべつ
 布辻川中流を現在東別という。その形だけからはすぐトー・ベッ(沼・川)と考えたくなるが,沼らしい処がなく,現地の古い人たちはトイベツという。明治の旧図を見ると,今国鉄日高東別駅のある処から700メートルぐらい下の支流にトイペッがあり,どうもそれがこの地名のもとらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.350 より引用)
山田さんの記した「日高東別駅のある処から700メートルぐらい下の支流」ですが、地理院地図では「トエベツ川」となっている川のことかと思います。こう考えると確かに to-pet 説が疑わしく思えてきますね。

永田地名解を見ると「トイ・ペッ。食土川。遠別村の原名にして静内郡に属す」とある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.350 より引用)
「遠別村」とあるのは、道北の遠別町のことではなくて、「東別」の旧名のようです。つまり「遠別」は「えんべつ」ではなくて「とうべつ」と読ませていたようなのですね。更にややこしい話をすると、「トエベツ川」は静内町に属していたのですが、布辻川の支流なので、永田地名解には「三石郡」の項に記載がありました。

Toi pet  トイ ペッ  食土(ハミツチ)川 遠別村ノ原名ニシテ靜内郡ニ属ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.269 より引用)
改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、現在の「トエベツ川」と思しきところに「トイヘツ」とあるのですが、その下流に「ヲトエウシ」という川名(だと思う)もあるのですね。o-tuye-us-i であれば「川尻・切る・いつもする・もの」となりますね。

本題に戻りますが、「トエベツ川」(→東別)は永田方正の説通りに toy-pet で「食用土・川」だったんじゃないかなと思います(「食用土」と言っても土を食べるわけではなく、出汁を取るような形で用いていたみたいですね。詳しくは北海道のアイヌ語地名 (317) 「豊似・ポロフーレペツ・花春」をどうぞ)。

いつもの悪い癖で余計な想像を付け加えますと、あるいは toy-un-pet で「食土・ある・川」だったのかもしれませんね。「トユンペッ」が「トエベツ」に化けたのは、音韻転換か、あるいは「ユ」と「エ」の書き間違いか……。

春立(はるたち)

haru-ta-us-nay
食料・取る・いつもする・川
(典拠あり、類型あり)
新ひだか町中部、かつての静内町の最南端に位置する集落の名前です。JR 日高本線にも同名の駅がありますね。とても素敵な名前の地名で、あまりアイヌ語っぽく無い雰囲気もあるのですが……

ということで、今回も「北海道駅名の起源」から。

  春 立(はるたち)
所在地 (日高国)静内郡静内町
開 駅 昭和8年12月15日
起 源 アイヌ語の「ハル・タ・ウシ・ナイ」(食料となる草の根掘りをいつもする沢)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.92 より引用)
おおぅ。確かに「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ハルタウシナイ」と書かれていますね。

永田地名解にも記載がありました。

Haru ta ush nai  ハル タ ウㇱュ ナイ 食料多キ澤 此澤ニ「セタトマ」トテ和名「ツルボ」多クアリ土人採リテ食フ又黑百合モ多クアリシガ今ハ都テ無シ○春立村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.252 より引用)
この解に異論は無い……と言いますか、もはや他に解釈のしようも無いレベルですよね。haru-ta-us-nay で「食料・取る・いつもする・川」と考えて良さそうです。「ハルタウシナイ」に「春立」という字を当てて「はるたち」と改名したのは(改名の是非はさておき)中々洒落てるなぁと思います。

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