2025年10月3日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1289) 「浦里川・ベセワキ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

浦里川(うらり──)

o-rar-i?
河口・潜る・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鳧舞けりまいにある道の駅「みついし」から国道 235 号を北西に 3.2 km ほど進んだところ、軍艦山の麓を流れる川で、直接海に注いでいます。地理院地図には川として描かれていますが、川名の記載はありません(川名は国土数値情報によるものです)。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ポロオラリ」と描かれた川が現在の「浦里川」に相当するでしょうか。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ヲラリ」と描かれています。


永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Orari   オラリ   深沙
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.264 より引用)
これは……。o-rar-i で「河口・潜る・もの(川)」ということでしょうか。

ベセワキ

{pes-pake}
断崖の突端
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道南バス「西浦里」バス停の近くの丘の上に神社があるのですが、Google マップによるとこの神社は「ベセワキ地区神社」とのこと(通称かもしれませんが)。この神社は丘の上にあることから、津波の際の一時避難場所として指定されていて、「新ひだか町津波避難計画」にも「ベセワキ地区神社」との記載があります。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ペセパケ」と描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ヘセハケ」とあります。


永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Peshepake   ペセパケ   岬 一説ニ「ピセバケ」ニテ方言クゴ草ト云フ谷地ニ生ジ其葉頭恰モ乾シタル魚膓ノ如シ此邊此草多シ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.264 より引用)
意味は「岬」だとしつつ、別解として「クゴ草」なる草が生えているので……という説を紹介しています。「クゴ草」は「アゼスゲ」だ……という記述を見かけたのですが、知里さんの『植物編』(1976) によると「アゼスゲ」は uncha-kina あるいは takpe-kina とのこと。

pise は獣の膀胱や胃袋、魚の浮袋などを意味するとのこと。いずれも「内臓の袋状のもの」を指すのですが、実際に袋として活用していたからみたいですね。pake は「頭」を意味するので、pise-pake で「魚の浮袋・頭」ではないかとのこと。

ただ『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されていました。

pes-pake ペㇱパケ 断崖の突端。[pes(断崖)pake(頭部)]
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.90 より引用)
「ベセワキ地区神社」は「軍艦山」の山塊の西端に位置していて、現在は国道 235 号が海沿いを通っていますが、かつての幹線道路は海沿いではなく山の中腹を通っていたとのこと。神社の南東側一帯には海に面した崖が広がっていたので、pes-pake で「断崖・頭部」、すなわち {pes-pake} で「{断崖の突端}」と呼ばれていたと考えられそうです。

カタカナで「ヘセハケ」と書かれていたものを、「ハ」を「わ」と発音して「ヘセワケ」となり、最終的に「ベセワキ」に転訛した……と言ったところなのでしょうね。

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