2025年10月18日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1296) 「音江・ウシュッペ川・オコツナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

音江(おとえ)

o-tuy-us-i
河口・崩れる・いつもする・もの(川)
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新ひだか町静内春立(かつて日高本線・春立駅のあったあたり)の北の山上に四等三角点「音江」が存在します(標高 187.9 m)。

北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「音江」と描かれていました。これは当時「音江村」が存在したことを示しています(1871~1909)。同名の「音江」という地名が深川市に存在しますが(道央道に PA がある)、無関係の筈です。


『角川日本地名大辞典』(1987) には次のように記されていました。

 おとえむら 音江村 <静内町>
日高地方中部,布辻川下流右岸。地名はアイヌ語のオトイウシ(そこが川口のきれる所の意)に由来する(静内町史)。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.308 より引用)
あれ? と思って『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) を見てみたところ、確かに「ヲトエウシ」という川が描かれていました。

永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

O tui ushi   オ ト゚イ ウシ   川尻破裂スル處 音江村ノ原名ニシテ靜内郡ニ屬ス
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.269 より引用)
o-tuy-us-i で「河口・崩れる・いつもする・もの(川)」と見て良さそうな感じですね。深川の「音江」と本質的には同じ地名と言えそうです。

ウシュッペ川

ras-ne-pe??
割木・のような・もの
(?? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
春立郵便局の近くを流れて春立港に注ぐ川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ポンラシュペ」と描かれているように見えますが、川そのものは「?シュペ」と描かれているようにも……?


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「シユツヘ」の東隣に「ホンラシユツヘ」と描かれています。「ラ」を「ウ」に誤読した可能性がありそうですね。

『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。

越而
     ラシユツベ
海岸ニ大岩石有るなり。夷人小屋有。幷而ホンラシユツベと云処有るよし。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.317 より引用)
ここでは「海岸に大きな岩石がある」とだけ記されていますが、『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。

(三町廿間)ラシユツベ(小川)岩磯如垣有る故號く。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.179 より引用)
永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Rashpe   ラシュペ   土常山アマヤマラシユパ」ノ轉音
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.252 より引用)
松浦武四郎は「垣のような岩磯がある」とし、永田方正は「土常山」であり「ラシュパ」であるとしているのですが、なんか今ひとつ良くわかりませんね。

「土常山」は「ドジョウザン」と読み「甘茶」を意味するという説も見かけました。一方で「ラシユパ」が rasupa だとすれば、rasupa-ni で「ノリウツギ」を意味するとのこと。

静内町史』は『三航蝦夷日誌』(1850) の解を引いた上で「岩磯が垣のようになっているというのは、春立層のことを指すのであろう」とし、「その層が割木ラシのように並んでいて」と記しています。

確かに ras で「木片」あるいは「割木」を意味するとのこと。ras-pe で「割木・もの」と解したということでしょうか。ちょっと収まりが良くない感があるのですが、あるいはそもそも文法的にあり得ない形でした(汗)。なので ras-ne-p で「割木・のような・もの」あたりの可能性を考えないといけませんね。

萱野茂さんの辞書などによると rasne で「堅い」を意味するとのこと。直接関係は無いと思われますが為念。

そして『永田地名解』は完全にミスディレクションだった可能性が出てきました。うっかり rasupa-ni(ノリウツギ)に飛びついたのがミスコースの始まりだったのかも……。

オコツナイ川

o-u-kot-nay
河口・互い・につく・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ウシュッペ川の北西を「元静内川」が流れていて、更にその北西を「オコツナイ川」が流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲコツナイ」と描かれていました。

ところが妙なことに、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オタㇰペウシ」「ポンオタㇰペウシ」「シュシュウㇱュナイ」「オソーウㇱュナイ」が描かれているものの、どれも「オコツナイ」とは微妙に異なっています。


『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。

     チノミ
幷而
     ヲタクヘウシ
何れも海岸の字なり。越而
     シヨヽシナイ
幷而
     ヲシヨシナイ
少しの広沢なり。出岬有。此上夷人小屋有を越而行。小川有
     ヲコチナイ
等を越而会所元于いたる
松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.316 より引用)
これを見る限り、『北海道実測切図』は「ヲコチナイ」に相当する川をうっかり見失った可能性がありそうですね(代わりに「ポンオタㇰペウシ」が描かれている)。

永田地名解 (1891) にも「チノミ」「オ タㇰ ペ ウシ」「シュシュ ウㇱュ ナイ」「オソー ウㇱュ ナイ」に続いて次のように記されていました。

Oukot nai   オウコッ ナイ   合川 川尻ニテ合流スル川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.252 より引用)
o-u-kot-nay で「河口・互い・につく・川」と見て良さそうですね。改めて地形図を見てみると、確かにそんな感じの川かも……。

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