2020年8月31日月曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (65) 「消えた『道央道』」

前方に T 字路が見えてきました。このまま道道 97 号「豊浦京極線」を進む場合は右折、道道 285 号「豊浦洞爺線」で洞爺湖方面に向かう場合は左折です。
今回は素直に左折して、洞爺湖方面に向かいます。道道 285 号「豊浦洞爺線」に入りました。
正面に山が見えますが、山の上、少し右のほうにウィンザーの建物が見える……かもしれません(何か建物が見えますが、確証が持てず)。

再び洞爺湖町へ

再び洞爺湖町に入ります。カントリーサインの下に「洞爺湖有珠山ジオパーク」のマークも見えます。


洞爺湖町に入ってからは、台地状の緩やかな土地が広がります。このあたりは牧場も多いみたいですね。

ハイレベルな道道 285 号

ちょっと深い目の左カーブの手前にごく緩い右カーブがあるのですが、中央分離帯が設けられている上に結構なバンク角もついていました。路面凍結時に対向車線に逸脱するのを防ぎたい……のでしょうね。この道は中山峠から長万部に向かう際のショートカットルートとして用いられるようで、かなりハイレベルに整備されている印象があります。
洞爺湖温泉へは右折を促す案内がありました。このまま道道 285 号を直進すると喜茂別方面に向かってしまうので、右折して国道 230 号に向かいます。

1800m

道道 285 号と国道 230 号を結ぶ道路(道道ではなさそうなので、町道でしょうか)に入りました。道路の右側、そして随分と高い位置に青看板が見えますが……
この先で国道 230 号に接続する……ということはわかるのですが、なんと「1800m」とあります。随分と先のことを案内してくれているのですね……。
何しろ 1.8 km も先ですから、まだ交叉点は見えません……。
ようやく T 字路が見えてきました。まだこの先も延伸したいのかな、と思わせる眺めですが、どうやら右側に見える鉄塔の管理用スペースなんでしょうか(駐車場代わり?)。

国道 230 号に戻ってきました

右折して、国道 230 号に入りました。喜茂別から留寿都まで国道 230 号を通っていましたから、戻ってきた、ということになるでしょうか。
国道 230 号は中山峠から道南に向かうメインルートとして活用されていますが、洞爺湖のあたりは遠回りになるので、他の区間よりも交通量は少なめかもしれません。どちらかと言えば観光目的の車が多いかもしれませんね。
国道 230 号は、洞爺湖の外輪山の上から湖畔に向かってゆっくりと坂を下ります。前方に洞爺湖が見えてきましたね!

消えた「道央道」

「虻田洞爺湖 IC」まで 6 km という案内が出てきました。ただ、上の青看板には不思議なことに「道央道」の文字が見えません。
青看板をよーく見てみると、右折して道道 578 号に入った先に「道央道」の文字があった……ように見えます。この案内は今も有効な筈で、虻田洞爺湖 IC に向かうには右折して道道 578 号「洞爺虻田線」を通ったほうが距離は近そうに見えるのですが、今は国道 230 号の「三豊トンネル」に誘導したいようですね。
引き続き、国道 230 号で坂を下ります。洞爺湖が随分と近づいてきました。

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2020年8月30日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (759) 「馬追・レブントン川・ウオロッチ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

馬追(うまおい)

maw-o-i
はまなすの実・多くある・ところ

(典拠あり、類型あり)
長沼町と由仁町の間に「馬追山」(まおい──)という山があります。古い地図を見ると、マオイ山の西に「マオイ川」が流れていて、南に向かって流れて「マオイトー」に注いでいました。

マオイトー(馬追沼)はやがて干拓され農地へと生まれ変わりましたが、「馬追」という字が当てられたことがきっかけになったか、長沼町馬追は「──うまおい」が正式な読みになったみたいです。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

 マオイはマウ・オ・イ(mau-o-i はまなすの実・多い・処)の意だという。海岸から遠いこんな処に「はまなす」があるのかと思つていたが,由仁で聞くと今でも残っているとのことであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.53 より引用)
ふむふむ。maw-o-i で「はまなすの実・多くある・ところ」なのですね。maw は「風」とも解釈できるのですが、ここでは「はまなすの実」と解されているようです。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも、同様の記載がありました。

 馬追(うまおい)
 馬追というと、昔北海道では牧夫や馬車追のことをいったものである。しかしこの長沼町の馬追はもと「マオイ」といったところで、現在馬追沼といわれているところがマオイトといった。マウ・オイ・トで「はまなすのある沼」という意味である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.70 より引用)
「馬追」という表現になんか既視感があると思ったのですが、そう言えば「相馬野馬追」(そうまのまおい)が有名でしたね。

 なお長沼町と由仁町の町界にある馬追山は、昔はサマッキ・ヌプリといった山で横になっている山といい、ポロ・ヌプリ(大事な山)ともいい、大きな兎のいる山として敬拝したところ。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.70 より引用)
馬追山のある馬追丘陵は全体に平べったい感じで、確かに samatki-nupuri で「横たわっている・山」と呼ぶに相応しい感じですね。「大きな兎」については額面通りに捉えれば良いのか、あるいは何かの隠喩なのか……。

レブントン川

repun-to-ne??
沖へ行く・沼・のような

(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
馬追町幌内のあたり(幌内神社から見て南側)を流れる川の名前です。地理院地図には殆どの区間が川として描かれていません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には該当しそうな川を見つけられませんでしたが、丁巳日誌「由宇発利日誌」には次のように記されていました。

また少しの坂をこへて
    レフントン子
此小川左りの方え落マヲイ沼え入るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.198 より引用)
また、古い地形図には「レプントシュ川」と描かれている……ように見えました。興味深いことに、この地形図では河口部分が入り江のように描かれていました。

「レフントン子」であれば repun-to-ne で「沖へ行く・沼・のような」と解釈できそうでしょうか。河口部分がまるで沼のようになっていることを形容してのネーミングかと思うのですが……。

「レプントシュ川」と読むのが正しいのであれば、repun-to-us で「沖へ行く・沼・ついている」あたりでしょうか。tus で「」あるいは「」という解釈もできなくは無いのですが、どちらもちょっと説明に苦しいかな、と感じています。

ウオロッチ川

urir-ochi
鵜・多くいるところ

(典拠あり、類型あり)
幌内神社の北側、道道 870 号「幌内三川停車場線」沿いを流れる川の名前です。支流がいくつかあり、それぞれ「ウオロッチ第 1 枝川」「ウオロッチ第 2 枝川」「ウオロッチ第 3 枝川」と言った名前がつけられています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウレロー」という名前の川が描かれていました。また丁巳日誌「由宇発利日誌」には次のように記されていました。

またしばし行て凡十丁
    ウリロチ
此川もマヲイ沼え落る也。何れも小川なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.198 より引用)
永田地名解には次のように記されていました。

Urer’otchi  ウレロッチ  鵜居ル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.222 より引用)
ということで、urir-ochi で「鵜・多くいるところ」と考えて良さそうですね。

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2020年8月29日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (758) 「オルイカ川・チプニー川・ホカンカニ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オルイカ川

o-{ru-ika}
河口・{丸木橋}

(典拠あり、類型あり)
陸上自衛隊東千歳駐屯地の敷地内を流れる川の名前です。かつては現在の「第十五号排水川」に近い流路で北に向かって流れてマオイトーに注いでいましたが、現在は諸々の改修の結果、第十四号排水川に注いでいる……ようです(このあたりは人工の水路がやたら多くてややこしい……)。

「東西蝦夷山川地理取調図」や丁巳日誌「由宇発利日誌」には「ウリウカ」という名前の川が記録されていました。また永田地名解には次のように記されていました。

Oruika  オルイカ  川尻ノ橋 「オルイカ」川ハ「キウシ」川ヨリモ大ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.222 より引用)
「キウシ」は現在「キウス」として知られる地名のことですが(「キウス PA」がありますね)、あっ、たしかにキウス PA の近くに「キウス川」が流れていますね。このキウス川は第十五号排水川に合流しているようです。

ru-ika は「道・またぐ」と解釈できますが、転じて「丸木橋」「橋」と解釈されるようになりました。ということなので o-{ru-ika} は「河口・{丸木橋}」と解釈できそうですね。地名としては若干不完全なところがありますが、o-{ru-ika}-us-i で「河口・{丸木橋}・ついている・もの(川)」の後ろが省略された、と考えられそうでしょうか。

チプニー川

chip-ni??
舟・木(木材)

(?? = 典拠なし、類型あり)
オルイカ川の北、キウス川の南を流れる川の名前で、最終的にはキウス川と同様に「第十五号排水川」に合流します。「東西蝦夷山川地理取調図」や丁巳日誌「由宇発利日誌」にはそれらしい名前の川の記録を見つけられませんでしたが、明治時代の地形図には「チプニー」という名前の川が描かれていました。

「チプニー」は chip-ni で「舟・木(木材)」と考えて良いかと思います。おそらく丸木舟を拵える上で使いでの良い木のある川だったのではないでしょうか。これも chip-ni-us-nay あたりの後ろが省略された可能性があるかもしれません。

ホカンカニ川

pok-an-kari-p???
下・ある・回す・もの(川)

(??? = 典拠なし、類型未確認)
JR 石勝線の南千歳と追分の間には「駒里信号場」と「西早来信号場」の 2 つの信号場がありますが、ホカンカニ川は駒里信号場の東を流れています。遠浅川の支流なので、千歳市域では比較的珍しい太平洋側に注ぐ川のひとつ、ということになります。

「東西蝦夷山川地理取調図」や戊午日誌「東西新道誌」をちらっと見た限りでは、ホカンカニ川に相当しそうな川の記録を見つけられなかったのですが、明治時代の地形図には「ホカンカ子ップ」と描かれていました。

また、別の地図(複数)を見てみると、現在の駒里信号場の南、遠浅川と合流するあたりから千歳市と安平町・苫小牧市の境界あたりまでの間、流路が描かれていませんでした。どうやらこの川は伏流していた可能性がありそうです。

似たような名前の川としては、どうやら樺太に「ホカンカンナイ」あるいは「ホカンアンナイ」、「ホカンカニナイ」という川があったようです。ただ、残念ながらその意味するところについては確認できませんでした。

ホカンカニ川の特徴と「ホカンカネップ」あるいは「ホカンカニ」という音から意味を推測してみたのですが、pok-an-kari-p で「下・ある・回す・もの(川)」と考えられないかな……と。pok-an が伏流していることを指すのであれば面白いのですが、正直なんとも言えません(単に「川下のほうにある」という意味かもしれません)。

pok-an という言い回しは見た記憶がないのですが、まだ pok-un だったら可能性があるのかもしれません(意味するところは大差ないと思っています)。

kari-p は、酷く蛇行した川において時々見かける表現です。ホカンカニ川も上流側はおそろしく(不自然なくらい)蛇行しているように見えるので、その特徴を形容したものかなぁ、と想像してみました。

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2020年8月28日金曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (64) 「そして押ボタン信号が残った」

道道 97 号「豊浦京極線」を南に向かい、洞爺湖町に入りました。手前で煙を上げているのが有珠山だとすると、羊蹄山と中島をこのアングルで眺めるのは不可能な気もするんですよね……(カントリーサインにツッコむのは無粋では)。
厳密には、貫気別川を渡った先から洞爺湖町(旧・虻田町)のようです。
洞爺湖町に入ってすぐのところに「道路情報 豊浦京極線」が出ていたのですが……
「通 行 注 意」の理由?が「急勾配・急カーブ」なんですね。まぁ道道にしてはカーブが多いほう、なんでしょうか……?

すぐさま豊浦町に

洞爺湖町を走ること約 0.6 km ほどで、早くも豊浦町のカントリーサインが見えてきました。
ということで、ここから豊浦町です。内藤大助さんや北見マキさんの出身地ですね。
下り坂の途中に交叉点があるのですが……すんごく見づらいですね。一応この写真でもちゃんと写ってるんですが……。
左折した先は橋が崩落したため通行止めでした(2016 年 5 月時点、現在は復旧済み)。ということで、このまま直進です。

ステルスループ橋

道道 97 号は再び貫気別川を渡ります。「貫気別川」の看板のところが交叉点なのですが、道道側はまるでその存在を認めていないかのようなラインの引き方ですね……。ちなみにこの交叉点を右折すると、ループ橋である「大和大橋」があるのですが、見事に何の案内もありませんね……。
山あいの道道に突然の「信号機有り」ですが、これは非常にわかりやすいですね。信号機の設置理由を瞬時に察した方も少なくないかと思います。

豊浦町立大和小学校

こちらがその信号機ですが、やはり横断歩道が対象の押ボタン信号機のようです。そして少々不穏なものを感じたのですが……
標語が書かれた柱が倒れているのもさることながら……
表札のない門柱が特に気になりました。これは……
どう見ても小学校なのですが、この「豊浦町立大和小学校」は 2012 年 3 月末で閉校とのこと。閉校になった小学校でも門柱だけは残っているケースが多いんですよね……。
小学校は残念ながら閉校となってしまいましたが、立派な火の見櫓は現役のようです。

まもなく T 字路

貫気別川は豊浦町大和から西に向きを変えてしまいますが、道道 97 号「豊浦京極線」は川沿いを離れ、台地を駆け上がって南に向かいます。カーブを少なくしようとした結果、アップダウンが目立つようになりました。
この先 300 m ほどで道道 97 号は T 字路にぶつかります。道道 97 号で豊浦に向かう場合は右折、道道 285 号で洞爺湖温泉に向かう場合は左折することになります。

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2020年8月27日木曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (63) 「真狩川のオショロコマは世界に一つ」

「熱唱 細川たかしの像」は、真狩村の真狩河川公園にあります。熱唱する細川さんのちょい東側にはこんな看板がありました。
「一般河川尻別川水系真狩川」と題されたもので、「オショロコマからのメッセージ」が記されています。「真狩川のオショロコマは世界に一つ」というのは「栗沢のいちごは栗沢一」に負けず劣らずの名コピーですね。
「オショロコマ」と「アメマス」が似たようなもの……というのも初耳でしたが、海に出る個体が多いアメマスとは異なり、オショロコマは生まれた川で一生を過ごすんですね……。確かに「真狩川のオショロコマは世界に一つ」ですね。

カーナビを過信すると……

「熱唱 細川たかしの像」を見るには、本来は(手前に見える)橋を渡った先に駐車する必要があったっぽいのですが……
既報の通り、うっかり「唄う細川たかし記念像 河川公園直売所」の駐車場に車を停めてしまっていたのでした。
問題の駐車場に戻ると……あっ、車が増えてる(笑)(「室蘭 わ」の車でした)。もしかしたらカーナビが「河川公園直売所」の駐車場に誘導しちゃうのかもしれませんね……。

旅程の健全化

ということで、Day 2 で見ておきたかった場所はおおよそクリアできたので、最終目的地をナビに設定しましょう。この日の宿までは 33.0 km で 46 分とのこと。まだ 15 時を少し過ぎたあたりなので、このままだと 16 時ごろに宿に着いてしまいますね……。自分で言うのも何ですが、旅程が随分と健全になったような気がします。

真狩にもスパーが!

では、洞爺湖町に向かって出発しましょう。道道 66 号「岩内洞爺線」と道道 97 号「豊浦京極線」の重複区間を南に向かいます。
留寿都に向かう道道 66 号はこの先の交叉点で左折です。豊浦に向かう道道 97 号は直進なのですが、道道 66 号が優先なのか、何も考えずに交叉点に突っ込むと左折を強いられることになります。直進するには右側車線に移らないといけません。
それはそうと、この交叉点の南東角には……
なんと真狩にもスパーが!

橋崩落の為

道道 97 号「豊浦京極線」(道道 230 号「三ノ原ニセコ線」と重複区間)を南に向かいます。右手に学校が見えてきましたが、真狩中学校とのこと。なかなか立派な体育館ですね。
羊蹄山の麓には妙に多い「知来別川」を渡ります。南麓だけで 3 つくらいあったような記憶が……。
道道 97 号「豊浦京極線」と道道 230 号「三ノ原ニセコ線」が分岐する交叉点が見えてきました。左折すると留寿都村三ノ原で国道 230 号と接続するとのことですが……
洞爺湖方面に向かう車に左折を促しています。「橋崩落の為」とありますが、洞爺湖町伏見のあたりで橋が崩落して通行止めになっていたんですよね(2016 年 5 月時点。その後復旧済)。道道 97 号から洞爺湖町成香に抜けるバイパスルートだったのですが……

距離にして倍以上の遠回り

幸いなことに時間はあるので、とりあえずこのまま道道 97 号を南下することにしましょう。真狩村南部の川崎あたりでは、道道 97 号は台地のてっぺんを通っています。
道道 777 号「川崎三ノ原線」が分岐する交叉点が見えてきました。道道 777 号で留寿都村三ノ原に向かったところで、最終的には道道 230 号に合流するだけなので、道道 777 号は道道 230 号と比べて単に「遠回り」ということになりますね。

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2020年8月26日水曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (62) 「熱唱!細川たかしの像」

道道 66 号「岩内洞爺線」を西に向かい、真狩村に入りました。真狩村は未踏の市町村のひとつだったんですが、国道も高速道路も鉄道も通っていないので、どうしても通過するチャンスが限られるんですよね。
道道 230 号「三ノ原ニセコ線」が分岐し、道道 97 号「豊浦京極線」と合流する十字路(ややこしいな)を右折して北に向かい、真狩川の手前までやってきました。川の上には沢山の鯉のぼりが吊るされて……いや、並んでいます。
真狩川の手前を右折して向かった先は……
「河川公園直売所」というお店の駐車場、です。今頃気づいたんですが、実は川の北側に「真狩河川公園」の駐車場があったので、そこに車を停めるのが正解だったみたいです(いや、妙に駐車枠が少ないなぁ、とは思ったのですが)。大変失礼しました。ごめんなさい!
ちょいと言い訳をすると、真狩川の南側にこういう案内が出ているんですよね。これはあくまで歩いている人向けの案内で、車で来た場合は北側の駐車場へ……という案内が欲しいところです。

夏風邪に注意

お店の駐車場からは、真狩川に並ぶ鯉のぼりが見えています。
そしてこの先(右後ろ方向)に「細川たかし記念像」があるとのこと。真狩村に来たならば、これは見ておかないといけないだろう……ということで。
ただ、本来は「徒歩 1 分」と書かれている場所の上になにやら張り紙が……。
「細川たかし」は「風邪で声が出せません」とのこと。「夏風邪に注意」とありますが、夏からずっと風邪ひきだったんでしょうか……?

真狩河川公園

このあたりは「真狩河川公園」として整備されているようで、遊歩道や橋などが整備されています。その一角に……
「トイレのご案内」が。橋を渡った向かい側(本来の駐車場があるところ)にトイレがあるみたいです。

熱唱!細川たかしの像

そして、「トイレのご案内」の先に……いました!
そこには羊蹄山を背に熱唱する「細川たかしの像」が!
もちろん台座にも「熱唱」「細川たかしの像」とあります!
ちなみに、「細川たかしの像」を右から見ると……謎の手形が並んでいますね。
これらの手形がどうやらスイッチになっているようです。左上から「心のこり」「メッセージ」「北酒場」「浪花節だよ人生は」「矢切の渡し」とあります。よーく見ると「細川たかし像の歌う時間は 9:00~18:00 です」とありますね。
駐車場やトイレを川の北側に設けたのに、「細川たかしの像」を川の南側に設置したのは、羊蹄山と真狩川を背景にしたかったのでしょうね。思惑通り、すんごくいい感じの借景?になっています。

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