2023年2月28日火曜日

釧網本線各駅停車 (45) 「原生花園」

浜小清水を出発して、涛沸湖の北を走ること数分で次の原生花園駅に到着です。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

原生花園駅(B75)

原生花園駅に到着しました。JR 北海道が発足した 1987 年に臨時駅として開業した駅ですが、国鉄時代の 1964 年に仮乗降場として開設されて、一旦 1978 年に廃止されていたんですよね。

2023年2月27日月曜日

釧網本線各駅停車 (44) 「浜小清水」

止別やんべつ川を渡って、謎のフェンスを眺めながら列車に揺られること数分で……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

浜小清水駅(B74)

線路が見えてきました。浜小清水駅に到着です。

2023年2月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1016) 「ハッタリ川・恋問川・紅煙岬」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ハッタリ川

hattar
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室の市街地の西側を流れる川です。国土数値情報では「ハッタリ川」が根室湾に注ぐとされていますが、地理院地図のベクトルタイル「自然地名」では「ハッタリ川」が旅館「二美喜にびき」の近くで「西月ヶ丘川」に合流して、「西月ヶ丘川」が根室湾に注いでいることになっています。

これは「ベクトルタイル」がやらかした……と考えるべきなんでしょうね。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には何故か「ハッタリ川」に相当する川名・地名が見当たりません。ただ「竹四郎廻浦日記」(1856) には次のように記されていました。

     コイトイ 子モロより四丁、ハツタラへ二十丁
     ハツタラ 十五丁
     アツケシヱト 十丁
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.424 より引用)
また「初航蝦夷日誌」(1850) にも次のように記されていました。

     アツケシヱト
砂浜。出岬也。廻り而直于
     ヱルウシ
沙浜通りしばし行
     ハツタラ
沙浜少し山の方岡山。雑木立有るなり。越而
     コヱトイ
此処少し出岬。廻りて湾の方へ入りて小川有。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 上巻」吉川弘文館 p.421 より引用)
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Hattara   ハッタラ   淵 根室市街ト根室村ノ境に在ル川ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.367 より引用)
どう見ても解に迷うことは無さそうなので、ここまで引用する必要も無かったような気もしますが……。素直に hattar で「」と見て良いかと思われます。共和町(後志総合振興局)の「発足」とは「兄弟地名」なんでしょうね。

恋問川(こいとい──)

koy-tuye
波・切る
(記録あり、類型あり)

2023年2月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1015) 「トフケナイ岬・シロカラモイ岬・アッケシエト」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

トフケナイ岬

tu-pok-ke-nay?
峰・麓・のところ・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌茂尻の西で根室湾に面した岬の名前です。トフケナイ岬の南に「トフケナイ川」が流れており、岬の名前は川の名前に由来すると考えられます(「──ナイ」なので)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「トウケイ」という名前の川が描かれていました。また「午手控」(1858) には次のように記されていました。

トフケナイ
 (川が)山え行、曲りし由。よって号く
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.367 より引用)
こちらは現在の川名と同じく「ナイ」になっています。ありがたいことに由来まで記されているのですが、これは一体……?

永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Tu pok ke nai   ト゚ー ポㇰ ケ ナイ   丘蔭ノ川「フルポクナイ」ト同義ナリト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.367 より引用)
ふむふむ。tu-pok-ke-nay と考えたようですね。tu は「峰」だと考えられますが、ご丁寧に hur(丘)と同じ意味だ……と注釈が入っていますね。pok は「下」か、あるいは「麓」と言った所でしょうか。pok-ke で「麓のところ」と解釈できるので、tu-pok-ke-nay で「峰・麓・のところ・川」と考えられそうです。

気になる点があると言えば、tu-pok-ke-nay(トゥーポッケナイ)と「東西蝦夷──」の「トウケイ」では「ポッ」の有無が異なる……というところでしょうか。ただ「竹四郎廻浦日記」(1856) には「トフケナヱ」と記録されているので、「フ」が「プ」だとすれば問題ないと言えそうです。

シロカラモイ岬

heroki-kar-us-i
イワシ・獲る・いつもする・ところ
(記録あり、類型あり)

2023年2月24日金曜日

釧網本線各駅停車 (43) 「止別」

斜里町を抜けて小清水町に入りました。引き続き海の近くを西に向かって走りますが、このあたりでは防砂林・防風林の南側を通っているため、海は見えなくなりました。走ること数分で側線が見えてきた、ということは……
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止別駅(B73)

止別やむべつ駅に到着です。進行方向右側は林しか見えないので、往路での写真を使い回します(汗)。

2023年2月23日木曜日

「日本奥地紀行」を読む (女性のための日本の道徳律 (1))

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは、初版の「第二十九信」の最後に添えられた「女性のための日本の道徳律」を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

女性のための日本の道徳律[女大学]

「日本奥地紀行」の「初版」には、第二十九信の最後に「女性のための日本の道徳律[女大学]」と題した文が添えられていました。この「女大学」は貝原益軒の「和俗童子訓」巻5の「女子ニ教ユル法」をベースにしたものと言われ、Nicholas McLeod が "Epitome of the Ancient History of Japan" にて「女大学」を英訳しています。イザベラは「女大学」の内容を当該書から引用している……ということになるので、つまりは……えーと……

貝原益軒「和俗童子訓『女子ニ教ユル法』」
 ↓(読みやすい形に改変)
「女大学」
 ↓(英訳)
Nicholas McLeod "Epitome of the Ancient History of Japan"
 ↓(引用)
Isabella L. Bird "Unbeaten Tracks in Japan"
 ↓(和訳)
高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」

ということになるでしょうか。

これから、この「女大学」を見ていこうと思うのですが、これがまぁ吐き気がするような酷い内容でして……。間違いなく江戸時代の *負の遺産* なのですが、未だにこんな価値観を良しとする人もいるんですよね……(誰とは言いませんが)。

 第1の教訓。すべての女子は、適齢において他家の男性と結婚しなければならない。それで、女子は舅・姑に従い仕えねばならないので、両親は男児以上に女児の教育に注意深くあらねばならない。もし女子が甘やかされるならば、彼女の夫の親戚と争うことになるであろう。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.102 より引用)
この性差別的で時代錯誤な考え方、今でもちょくちょく目にしますよね。「女子は──他家の男性と結婚しなければならない」「女子は舅・姑に従い仕えねばならない」とか、まるで奴隷じゃないですか……。

 第2.女性はよい心根を持つことが見目麗みめうるわしさよりも良しとする。性根のよくない女性は、その激情により騒動を起こし、その目は恐ろしく、大声で、騒々しく、怒るときは家族の秘密を口にし、そのうえ、他の人々を嘲笑い、他の人々を侮り、嫉妬し、他人に対して意地が悪い。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.102-103 より引用)
なんかもう、早速引用したことを後悔しているのですが……。「女性は見た目よりも性格」と言えば「そうだよね」と思えるのですが、「性根のよくない女性は──」から始まる文章は……なんですかこれは。

 第3.両親は娘を男性に近づかせないように教育すべきである。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.103 より引用)
これはまぁ……多少は理解できなくも無いですが……。

夜分、女性が外を歩くときは、提灯を持ち歩き、出歩くときは、家族の男性ですら、親族の女性と距離を置かねばならない。これらの決まりを無視する人間は礼儀知らずとされて、家族が指弾される。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.103 より引用)
は、はぁ。もはや完全に腫れ物扱いのような気も……。

 第4.夫の家は、妻の家である。夫が貧しくなったとしても、妻はその家を去ってはならない。もしそのようなことをして離縁などされれば、その女にとって生涯の恥となろう。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.103 より引用)
これはまぁ……今の日本国憲法の下では否定されるべき考え方ですが、まぁ「そんな時代もあったねと」と思わせるものでしょうか。

 夫が妻を離縁してもいい七つの理由がある。妻が舅・姑に従わない場合、不貞を働いた場合、嫉妬深い場合、らい病[ハンセン病]の場合、子どもがない場合、盗みをする場合、お喋りな場合である。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.103 より引用)
……は? 「お喋りな場合」は妻を離縁してもいい?

これらの離縁の理由の最後には、いずれも「女性がひとたび夫の家から出されたならば、大変な不名誉である」と付け加えられている。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.103 より引用)
なんというか……めちゃくちゃですよね。ひとたび夫の家に入ったならば、死ぬまでこき使われることが前提で、しかも夫の家から *脱出* することが「大変な不名誉」だとされたら、もう逃げ道は無いわけで……。

 第5.娘が結婚していない場合は、両親を敬うべきであるが、結婚したのちは、自分の親以上に舅・姑を敬うべきである。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.103 より引用)
これはまた……どこかの宗教団体が喜びそうな内容ですね。いや、舅・姑に敬意を払うのは当然じゃないか……と思われるかもしれませんが、

朝夕に舅・姑の健康に気遣い、彼らのためにすることはないかと尋ねなければならない。また同様に彼らが命じたことはすべてしなければならない。もし、彼らが彼女を叱っても口答えしてはいけない。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.103-104 より引用)
続くこの文章を見てしまうと、どう見ても一線を越えてますよね。これは「家族の一員」ではなく「奴隷」「召使い」の心得を記したものにしか見えません。

彼女の気立てが優しい気質を示すならば、最後には、問題も平和的に解決するであろう。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
……は? ツッコミを入れる気力も失われつつありますが……。

 第6.妻は夫以外の主人も師匠も持ってはならない、
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
これは当然と言えば当然なのかもしれませんが、「習い事」で師事するという可能性も完全に封じられているんですよね。

それゆえ、夫の言いつけに従い、愚痴をこぼしてはならない。女性が守らなければならない規則は従属である。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
はいぃぃぃぃいいい?(リアクションが壊れつつある) 

妻が夫と話をするときには、笑顔をもって、控えめな言葉をもってして、粗野であってはいけない。これは女性の主たる義務である。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
女性の「主たる義務」って……。ただ、「妻」を「女性社員」に、そして「夫」を「男性社員」に置き換えたりとか、あるいは「夫」を「顧客」に置き換えたりすると、今でも普通に通用しそうな職場もありそうで、ちょっと寒気がしますよね。

妻はその夫の命じるところに従わねばならない。夫が怒っても反抗せずに、従わねばならない。すべて女性は夫を天とあがめ、夫に反抗せず、天の罰を受けねばならない。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
そのうち「妻は夫に鞭打たれても歓喜の声を上げなければならない」とか言い出しそうな予感……(汗)。

 第7.すべての夫の親族は彼女の親族である。彼女は彼らと争ってはならない、さもなければ家族は不幸になるであろう。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
うわっ、この脅し方はまるで「○○教会」そのまんまじゃないですか……。この後絶対「壺」を買わされるパターンですよこれ。

 第8.妻は夫が彼女に対して不実であっても嫉妬してはならないが、優しく、親切な態度で諭すべきである。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
なんとまぁ自分勝手な……。妻が不貞を働いた場合は「離縁しても良い」のに、夫が不実な場合は「嫉妬してはならない」って、どんな不平等条約ですか。

 第9.女性はお喋りであってはならないし、誰の告げ口をしてもいけないし、嘘をついてもいけない。彼女が誰かの中傷を聞いたとしても、繰り返してはいけない──それは家族間の言い争いの原因になるからだ。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.104 より引用)
ここまでの「第1」から「第8」があまりに酷かったので、こんな内容でも比較的マトモに見えてくるのが恐ろしいですね。「告げ口は良くない」「嘘はいけない」というのは現代においても有効な処世術というか、ある種の社会規範として有用だと考えられます。ただ、明らかに主語が間違ってますよね……。

こんな調子でまだまだ続くんですが、読むだけで疲労感が半端ないので、今日はこの辺で……。現代においてこんな規範を理想とするのは、もはや異常者としか言いようがないですよね……。

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2023年2月22日水曜日

釧網本線各駅停車 (42) 「知床斜里」

斜里の市街地が近づいてきました。お、こんなところに太陽電池パネルが……?
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国道 334 号の下を通過すると、今度は……おや?

2023年2月21日火曜日

釧網本線各駅停車 (41) 「南斜里・中斜里」

網走行き 4730D は清里町を出発しました。空模様は相変わらず怪しいですが、畑に芽吹いた新緑が景色に彩りを加えるべく全力奮闘中……でしょうか。
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南斜里駅(B70・2021/3/13 廃止)

おや、ここはどこでしょう……?

2023年2月20日月曜日

釧網本線各駅停車 (40) 「清里町」

進行方向右側にバスやダンプなどの大型車の溜まり場?が見えてきました。屋根の骨組みが丸見えになっている建物?が見えますが、これ、Google マップの航空写真でも骨組みのままだったりして……。
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清里町駅(B69)

清里町駅に到着しました。名所案内が見えますが、「斜里岳」と「裏摩周展望台」なのは緑駅と同じですね。2 駅(16.1 km)離れた駅の名所が同じ……なんですね。

2023年2月19日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1014) 「カイカラコタン川・後静川・辨慶」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

カイカラコタン川

kay-kor-kotan???
波・持つ(・島に向かう)・村
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚床駅のあたりから国道 44 号の南側を東に向かって流れて、最終的には風蓮湖に注ぐ「別当賀川」という川がありますが、別当賀川の河口から 1.7 km ほど西北西を「カイカラコタン川」という川が流れています。

また、西側を流れる「厚床川」の北側に「貝殻古丹」という名前の四等三角点もあります(標高 14.25 m)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしい名前の川が見当たりません。2023/2/18 の記事で検討したように、「東西蝦夷──」で「ヲホコヲマナイ」とされている川のあたりに「カイカラコタン」という地名があった可能性がありそうです。

「カイカラコタン」という地名を考える上で忘れてはならないのが、かつて風蓮湖に存在したと思しき「カイカラモシリ」という島です。現在の地形図では見当たりませんが、古い地図を見た限り、ハルタモシリ島の南東、湖口から 1.4 km ないし 1.7 km ほど西のあたりにあったと思われます。

この「カイカラモシリ」や「カイカラコタン」についての記述は、松浦武四郎の書物には見当たらないように思えるのですが(見落としだったらすいません)、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Kai kara kotan   カイ カラ コタン   櫂ヲ取リシ處 古ヨリアイヌ部落ハナシト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.370 より引用)
うーん。手元の辞書類で「櫂」を牽いてみるといくつも出てくるのですが、assap あるいは asnap とあるほか、和語からの移入語と思しき sakkaytomonkay なども「櫂」を表す語彙として出てきます。「アイヌ語方言辞典」(1964) にも「櫂」の項があるのですが、殆どが assap あるいは asnap のようで、要は kai あるいは kay だけで「櫂」を表したケースがあったかどうか、ちょいと疑わしいように思えます。

また、「櫂を取るところ」という考え方は、風蓮湖のど真ん中に存在したと考えられる「カイカラモシリ」には相応しくないように思えます。もちろん似て非なる地名がたまたま近くに存在したという可能性もあるのですが、両者がリンクしていたと考えるほうが自然なのではないかと思えるのですね。

ということで、永田説を否定するならどうするか……という話になってしまうのですが、kay は「折れ波」を意味するとされるので、kay-kor-mosir で「波・持つ・島」あたりでしょうか。

そして、結局「カイカラコタン」って何なのさ……という疑問に戻ってしまうのですが、「カイカラモシリ」に行き来する拠点だった、とかでしょうか(永田方正も「コタンは無かった」と書いていますし)。だとすると「カイカラコタン」の意味を云々することも多分に循環参照気味にも思えてきますが、kay-kor-kotan で「波・持つ(・島に向かう)・村」となるでしょうか。

明治時代の記録があるので、アイヌ語に由来する可能性が高いと考えていますが、明治以前の記録が見当たらないという点で若干不穏な感じもするので、「要精査」としています。

後静川(読み不明)

osura-us-i??
捨てる・いつもする・ところ(川)
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)

2023年2月18日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1013) 「厚別(根室市)・槍昔・ソウサンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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厚別(あつべつ)

at-us-pet?
おひょう(楡)・群生する・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
風蓮川河口(別海町と根室市の境界)から 2.8 km ほど東に「厚別」という名前の三等三角点があります(標高 20.6 m)。このあたりは古くから交通の要衝だったようで、明治 5 年には「厚別村」が成立しています(後に別海村 → 釧路市)。

ただ後に鉄道などの陸上交通が整備されるとともに、交通の要衝としての位置づけは大きく低下し、現在は地名も「釧路市槍昔」になってしまいました(辛うじて 1980 年代の土地利用図に「アツベツ」との記載がありました)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「アツウシヘツ」という川が描かれていました。この川は三角点と風蓮川河口の間の中間地点あたりを流れているように見えます。

「午手控」(1858) には次のように記されていました。

アツウシヒラ
 魚が来り此処よりはなれをつけるよし
アツウシヘツ
 同じ
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.369 より引用)
また、このページの頭註には次のような補足がありました。

旧厚牛別→旧厚別。現在は「アツベツ」の地名があるだけ。銛を放つ・放れを付ける
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.369 より引用)
「アツウシ」に「銛を放つ」と言った意味があったかな……と思って少し考えてみたのですが、「アイヌ語沙流方言辞典」(1996) に次のような記述がありました。

at アッ 3 【名】[概](所は atu(hu)アトゥ(フ))①ひも(紐)(何かについているひも)。②ツノザメ漁 (repa レパ)をするときに使うもりの柄のうしろにつけてある haytus ハイトゥシ〈イラクサの綱〉。☆参考 ただ置いてあるだけの細いひもは ka 、ものをしばってつなぐ頑丈なのは tus トゥㇱ
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.31-32 より引用)
なるほど、at は「銛につける紐」を意味するのですね。そう言えば「地名アイヌ語小辞典」(1956) にも……

②ひも。③モモンガー。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.9 より引用)
あっ。

ただ、at が「紐」を意味するのは理解できましたが、「紐・多くある・川」というのも今ひとつピンと来ません。ということで永田地名解 (1891) を見てみると……

At ush pet   アッ ウㇱュ ペッ   楡川 楡樹多キ處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.371 より引用)
あっ(しつこい)。いやまぁ、普通に考えるとそうなりますよね。at-us-pet で「おひょう(楡)・群生する・川」と考えられそうです。厳密には at は「おひょう(楡)の樹皮」で、「おひょう(楡)」は at-ni ですが、知里さんの小辞典にも

ただし地名の中では単に at とだけ云って at-ni をさしていることも多い。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.9 より引用)
とあるので、まぁいいですよね。

穿った見方をすると、松浦武四郎のインフォーマントは「おひょう(楡)」の存在を公にしたくなかった……という可能性も考えたくなりますね。

槍昔(やりむかし)

ya-rum-kus-i??
網・岬・の向こう・の所
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)

2023年2月17日金曜日

釧網本線各駅停車 (39) 「札弦」

網走行き 4730D は緑を出発しました。札弦川沿いの平野には畑が広がっています。ん、またしても雲行きが若干怪しくなってきましたね。
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札弦駅(B68)

緑から走ること 7~8 分ほどで、間もなく札弦に到着です。

2023年2月16日木曜日

釧網本線各駅停車 (38) 「緑」

川湯温泉駅と緑駅の間にある「釧北トンネル」を抜けて清里町に入りました。こちらも日陰には僅かに雪が残っていますね。
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線路脇で蛇行しているのは「オニセップ沢川」……ですよね(他に思い当たる川が無いので)。地理院地図ではここまでクネクネしているようには見えないので、ちょっと不思議な感じもしますが……。

2023年2月15日水曜日

釧網本線各駅停車 (37) 「川湯温泉」

美留和を出発して 7~8 分ほどで「川湯温泉駅」に到着です。2 面 2 線の相対式ホームがあり、その奥に保線車輌(除雪車輌かも)用の側線がある構造です。奥に見えているのは車庫(機関庫?)に向かう線路で、側線でスイッチバックして出入りする構造のようですね。
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川湯温泉駅(B66)

川湯温泉駅に到着しました。駅舎は進行方向左側にあり、釧路方面に向かう列車のホームとは構内踏切で接続しています。ホームへ登る階段の半分がスロープになっているものの、なかなかの急勾配のような……。

2023年2月14日火曜日

釧網本線各駅停車 (36) 「摩周・美留和」

網走行き 4730D は国道 391 号と並走して弟子屈の市街地に向かいます。
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製材所が見えてきました。製材所の奥には信号機のある交叉点がある……ということは……あれ?

2023年2月13日月曜日

釧網本線各駅停車 (35) 「磯分内・南弟子屈」

網走行き 4730D は標茶を出発しました。旧・標津線の多和駅跡を通り過ぎて、なにやら妙な形の山が見えてきましたが……どうやら土砂?を採取しているみたいですね(道路などを建設している訳では無さそうです)。
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磯分内駅(B62)

進行方向右側の車窓に太陽電池パネルが見えてきました。場所的にはおそらく雪印メグミルク・磯分内工場のあたりです。

2023年2月12日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1012) 「ニニンタル川・ライベツ川・アチャポンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ニニンタル川

i-mintar??
アレ(熊)・遊び場
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
別海町と根室市の境界となっている「風蓮川」の南支流で、国道 243 号の東側を流れています。地理院地図には川として描かれていますが、残念ながら川名の記入はありません。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には似た位置に「カムイチセンヘ」と「ホロカムイチセンベ」という川が描かれていました。

これらの川については、永田地名解 (1891) に次のように記されていました。

Kamui chisei un be  フーレベツ東支 カムイ チセイ ウン ベ  熊穴
Poro kamui chisei un be  ポロ カムイ チセイ ウン ベ 大ナル熊穴
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.371 より引用)
{kamuy-chise}-un-pe で「{クマの穴}・そこにある・もの(川)」と読めそうでしょうか。

ところが、明治時代の地形図(複数)を見ると、「ニニンタル」あるいは「ニンタル」と描かれています。一見、意味不明な感じですが、「?ミンタル」であれば mintar で「」である可能性が出てくるでしょうか。

kamuymintar であれば kamuy-mintar で「クマ・遊び場」と言う可能性が真っ先に思いつきます。「カムイミンタル」が「ニニンタル」あるいは「ユニンタル」に化けるのは少々難易度が高そうですが、kamuy を憚って i(アレ)と呼んだとしたら、i-mintar で「アレ(熊)・遊び場」となりそうな気も。縦書きが前提ですが、「イミンタル」が「ユニンタル」に転記ミスされたんじゃないかな……と。

ライベツ川

ray-pet
死んだように流れの停滞した・川
(記録あり、類型あり)

2023年2月11日土曜日

「日本奥地紀行」を読む (144) 久保田(秋田市) (1878/7/25)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十四信」(初版では「第二十九信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

結婚は民事契約

久保田(秋田)で天候の好転を待っていた筈のイザベラは、何故か宿の主人の姪の結婚式にしれっと参列しているのですが、「嫁入り衣装」や「家具」について一通り記した後に「結婚は民事契約」と題した一節を記していました。流石にオフトピすぎると判断したのか、普及版ではサクっとカットされていますが……。

 結婚は僧侶・神官によって厳粛に祝われなければならないとしばしば書かれてきたが、これは間違いです。日本における結婚は純粋に民事的な契約である。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.101 より引用)
「ん、『結婚は民事契約』って、何を当たり前のことを……」と思ってしまいますが、イザベラによると日本での結婚は「いかなり宗教儀式も必要とされていない」とのこと。

結婚は、戸長役場の登録によって法的に成立する。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.101 より引用)
確かに、結婚に必要なのは婚姻届だけですからね。

これらの人々は仏教徒であったが、その場には僧侶すら一人もいなかった。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.101 より引用)
これはイザベラのナイスなボケなのか、それとも純粋にそういった疑問を抱いたのか……。後者だと思いたいのですが、当時は「神前式」という習慣が存在しなかったということなんでしょうか。

「神前式」は 1900 年に執り行われた(後の)大正天皇の結婚式が起源という説もあるみたいですね。となると 1878 年には「神前式」は存在しなかった、と言えるのしれません。

結婚式

話題は結婚式の描写に戻りました。ここからは「普及版」でもカットされること無く収録されています。

 花聟は二十二歳、花嫁は十七歳で、非常にきれいである──彼女が豊富に塗りたくっている白粉を通して見たかぎりでは。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.272 より引用)
ここなんですが、原文では次のようになっていて……

The bridegroom is twenty-two, the bride seventeen, and very comely, so far as I could see through the paint with which she was profusely disfigured.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
この文章を、時岡敬子さんは次のように訳されていました。

 花婿は二二歳、花嫁は一七歳で、たっぷりと化粧を施したせいでかえって美しさを損ねている姿から判断したかぎりでは、とてもきれいな顔立ちでした。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.390 より引用)
これを見た限りでは、時岡さんの訳のほうがより正確に思えますが、高梨さんの訳もある意味「完成された訳」という印象を受けるんですよね(必ずしも「貞淑な訳」では無いかもしれませんが)。イザベラの、おそらく悪意のない「軽い皮肉」がうまく日本語化されているように思えるんです。

夕方近く彼女は乗り物によって花聟の家に送られてくる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.272 より引用)
この「乗り物」は、原文では norimon となっていました。さすがのイザベラも英訳できなかった……ということでしょうか。

前に小さなテーブルが置かれて、その上には飲み口が二つあるやかんがあって、酒がいっぱい入っていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.272 より引用)
「飲み口が二つあるやかん」とは……。原文では次のようになっていました。

A low table was placed in front, on which there was a two-spouted kettle full of saké, some saké bottles, and some cups,
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
確かに a two-spouted kettle とありますが、時岡さんの訳では……

低いテーブルが前に置かれ、その上にはつぎ口のふたつついた銚子に酒を満たしたものと、酒の瓶、盃が置いてあり、
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.390 より引用)
なるほど、「やかん」ではなく「銚子」ではないか、ということですね。それでも「つぎ口がふたつついた」が若干意味不明なのですが、ググってみると https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/culture/vessel/vessel01.html に「もともとの『銚子』」という写真が紹介されていました。イザベラが描写した「つぎ口がふたつついた銚子」と *完全に一致* してますよね?

 次に花嫁と花聟はいったん退席したが、まもなく他の礼服を着て現われた。しかし花嫁はまだ白い絹のヴェールをつけていた。これはいつかは彼女の経帷子きようかたびらとなるのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.273 より引用)
花嫁衣装がいつか経帷子に化けるとか、イザベラはどこでこのような知識を身に着けたのでしょう……?

古い金塗りのお盆が出され、それに三個の盃がのっていた。これに花嫁付き添いの少女二人が酒をつぎ、舅と花嫁の前に出した。舅は三杯飲んで、盃を花嫁に手渡した。花嫁は二杯飲み、舅から箱に入った贈り物を受け取ってから三杯目を飲み、それから盃を舅に返した。彼はまた三杯飲んだ。次に米飯と魚肉が出された。その後に花嫁の母は二番目の盃をとって、三度酒を満たし、干した。その後に彼女はそれを花嫁に渡した。花嫁はその盃で二杯飲み、姑から漆の箱に入った贈り物を受け取り、三杯目を飲み、その盃をこの年配の婦人にやった。彼女はまた三杯飲んだ。次に汁が出された。それから花嫁は三番目の盃から一度飲み、それを夫の父に渡した。彼はさらに三杯飲むと、花嫁はまたそれを受け取り、二杯飲み、最後に姑がさらに三杯飲んだ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.273 より引用)
これは……明らかに「算数の問題」ですよね? 花嫁の痛飲ぶりが際立つとともに、花聟は一体どこへ……という疑問も。

もし私が努力したようにあなたも明察力をもって観察するならば、二人がそれぞれたっぷりお酒の入った盃を九杯飲んだことになるのに気がつくであろう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.273 より引用)
えーと……。「花嫁は二杯飲み」「三杯目を飲み」「花嫁はその盃で二杯飲み」「三杯目を飲み」「花嫁は三番目の盃から一度飲み」「花嫁はまたそれを受け取り、二杯飲み」とあるので……九杯で間違いないですね(!)。

イザベラは、豪快な回し飲みが目の前で繰り広げられたにも拘わらず、誰も悪酔いしていないことが気になったようで、次のような注をつけていました。

*原注──これほど多く飲まれる酒がどういう種類のものか、私は知ることができなかった。しかしその後見苦しい酔いぶりが何もなかったところを見ると、それは軽い大阪葡萄酒か、あるいは軽いお酒だったにちがいないと思う。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.273 より引用)
「大阪葡萄酒」というのが謎ですが、原文でも Osaka wine とあるんですよね。

 この後に二人の花嫁付き添いの少女は、二つの飲み口のついたやかんを上げて、結婚した両人の口先にそれを差し出した。彼らはそれから注いで代わるがわる飲み、ついに中の酒を空にした。この最後の儀式は、人生の喜びも悲しみも共に味わうということを象徴しているといわれる。かくして彼らは、死亡か離婚かで別れるまでは決して離れることのない夫婦となったのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.274 より引用)
イザベラは「結婚は民事契約」と記していましたが、ここまでを見ると「結婚は酒の勢い」のような気も……(汗)。

なお、ここまでの回し飲みプロセスは親族・親戚のみで行われるとのこと(イザベラは特別ゲスト扱いだったんですね)。この後で客を招いて披露宴が行われることになります。

その点から見た式の興味を除けば、式そのものはたいそう退屈で気のめいるような沈黙の中で行なわれるので、見ていて倦きてしまう。顔を白く化粧し、唇を赤くぬった若い花嫁姿は、あやつり人形のように動いて見えた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.274 より引用)
花嫁が「あやつり人形のように動く」というのは、今の神前式でもそんな感じのような……(なかなか的確な表現ではないかと)。

妻の地位

「普及版」では「あやつり人形のように動いて見えた」で「第24信」が終わっていますが、「初版」の「第29信」では「妻の地位」と「女性のための日本の道徳律」というセンテンスが続いていました。

 私が知りうる範囲から思うには、日本人の妻はわれわれが最も耐え難いと考えてしかるべき状況下においても貞潔で、誠実です。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.102 より引用)
これは……。「昔の女性」は俄に信じがたいレベルで「貞淑」でしたが、それはそれだけ抑圧されてきたからだ、とも言えそうな気もします。貞淑なのは良いことかもしれませんが、抑圧は良くないですよね。

 親子関係は夫婦関係より、明らかにはるかに高いものとみなされ、<妻> なるものを <母> なるものに沈めてしまう傾向があります。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.102 より引用)
あー……。「伝統的な家族観」というヤツだと思われますが、つまるところは「封建的な家族観」であり「家父長制」というヤツですよね。

父親が子どもの召使とするならば、母親は子どもの奴隷で、第一の義務は子どもを産み、ついで世話をし、仕えることにあり、彼女の運命は、非常に苦労する傾向にありますし、他方、結婚は彼女の位置をしゅうとめの奴隷の位置におくのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.102 より引用)
もう、読むだけでグサグサ胸に刺さる文章ですよね。反芻するのも嫌になります……。

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2023年2月10日金曜日

釧網本線各駅停車 (34) 「標茶」

網走行き 4730D は五十石駅跡を通過して標茶に向かいます。もう完全に「湿原」からは脱出してしまいましたね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

標茶駅(B61)

標茶駅にやってきました。線路脇の道路と住宅地の間になにやら謎の柱が見えますが……この正体はすぐに明らかになる……筈です。

2023年2月9日木曜日

釧網本線各駅停車 (33) 「茅沼」

網走行き 4730D はシラルトロ沼沿いを北北東に向かって走ります。2 羽の鳥が飛んでいますが、つがいでしょうか……?
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青空の手前にどんよりとした雲が立ち込めていますが、この日は塘路から標茶のあたりだけ曇っていたような気も……。

2023年2月8日水曜日

釧網本線各駅停車 (32) 「塘路」

標茶町に入りました。釧網本線は釧路川と山地の間の僅かな隙間をすり抜けているのですが……
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擁壁の上から普通に地層が見えちゃってます。大半が粘土層っぽい感じなので(違ってるかも)今すぐ崩落する危険性はそれほどでも無いかもしれませんが、いずれ手当が必要になりそうな……。

2023年2月7日火曜日

釧網本線各駅停車 (31) 「細岡」

網走行き 4730D は釧路湿原駅を出発しました。長い右カーブを抜けると、(左手だけではなく)右手にも湿原が見えてきました。湿原にしては灌木が少ないようにも思えますが、これは農地への転用を志して開拓を行った跡なのでしょうか……(と昨日の記事でも記したような気も)。
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細岡駅(B57)

4730D は「細岡駅」に到着しました。細岡駅は、かつては 2 面 2 線の交換可能な構造だったようですが、この土手のようなものがホームの跡でしょうか……?

2023年2月6日月曜日

釧網本線各駅停車 (30) 「遠矢・釧路湿原」

東釧路を出発すると、釧網本線は左にカーブして、釧路川沿いを北北東に向かいます。
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遠矢駅(B55)

東釧路から 7 分ほどで遠矢駅に到着です。意外と時間がかかったような気もしますが、東釧路から遠矢までは 7.4 km もあるんですよね(7.4 km を 7 分ということは、平均 60 km/h 以上で走っているということに)。

2023年2月5日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1011) 「裙別台・宇内丘・辺呂台」

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裙別台(くんべつだい)

ori-{chi-kus}-pet?
坂・{横切っている}・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
陸上自衛隊の「矢臼別演習場」(自衛隊では最大規模の演習場)の中に「裙別台くんべつだい」という名前の二等三角点が存在します。「風蓮川」には「ノコベリベツ川」という名前の南支流がありますが、「裙別台」三角点は「ノコベリベツ川」の北支流(西支流)に当たる「三郎川」の源流付近に位置しています。

「三郎川」は、明治時代の地形図では「オリチクンペツ」あるいは「オソチクンペッ」と描かれていました。「裙別台」という三角点名は、この川名から来ていると見て良さそうに思えます。

「オリチクンペツ」という音からは ori-{chi-kus}-pet で「坂・{横切っている}・川」あたりの解が想像できるでしょうか(色々と苦しいのも事実ですが)。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) や「東蝦夷日誌」(1863-1867) を見てみると、どうやら「シユフンナイ」と描かれた川が現在の「三郎川」のように思われるのですね。

「竹四郎廻浦日記」(1856) には次のように記されていました。

又右の方を本川三里も上らば左右に又別れ、右はフウレンイトコ、左りノコベリベツ上に到りて沼有由なり。其中程より右の方シユフンナイ、ベンシユウモツヘツ、ヲラウシヘツ等此辺にては本道往来なるべし。惣て平山、槲・椴・ケ子の木立、下草は萩・熊さゝ多し。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.428-429 より引用)
「東西蝦夷山川地理取調図」には「ノコヘリヘツ」の北支流に「シユフンナイ」が描かれていて、上流で「ヘンシユフンナイ」と「ホンヘンシユフンナイ」に枝分かれしているのですが、「ベンシユウモツヘツ」は「ヘンシユフンナイ」のことである可能性もありそうです。pen-supun-ot-pet で「川上側の・ウグイ・群在する・川」が訛った形、だったかもしれません。

となると「オソチクンペッ」も -ot が含まれた形なのではないか……と考えたくなります。supun-ot-pet に近い解釈ができないか、色々と考えてみたのですが、os で「雌魚」を意味するとあるので、os-ot-kunne-pet で「雌魚・群在する・暗い・川」あたりの可能性は無いだろうか……と。

ただ、これまで os で「雌魚」を意味する地名を見かけたことがありませんし、kunne-pet という解も無理やり後付け感が半端ないので、かなり無理筋だったでしょうか。となると「ウグイが群在する川」という名前をあっさり捨てた……ということになるのですが、これも意図的な秘匿(隠蔽)と考えれば筋が通る……かも?

宇内丘(うないおか)

oo-nay?
(水嵩が)深い・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)

2023年2月4日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1010) 「兼金沼・ケネヤウシュベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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兼金沼(かねきんとう)

不明
(??? = アイヌ語に由来するかどうか疑わしい)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
海沿いの本別海と役場のある別海の間、西別川の南に位置する沼の中で、最も大きく最も西にある沼です。地理院地図には「兼金沼かねきんとう」と描かれていますが、近くにある四等三角点は「かねきんぬま」と読ませるとのこと。

東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい沼が見当たりいません。戊午日誌 (1859-1863) 「東部奴宇之辺都誌」には次のように記されていました。

また二里も下るや南岸に
     ヲン子フツナイ
川巾弐三間の由、上に沼一ツ有。是より落来るとかや。其沼の周り谷地多しと。うしろはアツウシベツの此方フウレンの川筋になるよし。また其より下りてしばしにて
     ホンヲン子フツナイ
川巾弐間計。是も上に沼有。是より落来るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.415 より引用)
明治時代の地形図を見てみると、現在の「兼金沼」に相当する沼(名称不詳)から「オン子ペツ」という川が流れ出ていて、現在の「栗木沼川」に相当する川と合流した後に西別川に注いでいます。「ヲン子フツナイ」の項に「上に沼一ツ有」とあるのが現在の「兼金沼」のことと見て良さそうな感じです。

「カネキントー」という音からは ka-ne-kim-un-to で「上・である・山側・そこにある・沼」あたりの解が想像できます。しかしながら、明治時代の地形図や大正時代の陸軍図には沼の名前が描かれていないため、「兼金沼」という沼名がいつ確立したのかが確認できません(昭和以降に確立した名前なのであれば、人名などの可能性も考えられます)。現時点では「アイヌ語に由来するかどうか疑わしい」と考えるしかなさそうです。

ケネヤウシュベツ川

kene-{ya-us-pet}
ハンノキ・{ヤウシュベツ川}
(記録あり、類型あり)

2023年2月3日金曜日

釧網本線各駅停車 (29) 「東釧路」

網走行き 4730D に乗車しました。このシートは昔の新幹線で使用されていたタイプでしょうか。平日(月曜日)ですが、ゴールデンウィークということもあり、それなりに乗客がいるようです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

シートには道東に生息する鳥類のイラスト(とシルエット)が織り込まれています。ちょっとした工夫ですが、非日常感を高めてくれているような気が。

2023年2月2日木曜日

釧網本線各駅停車 (28) 「網走行き 4730D」

皆様、大変長らくお待たせしました。釧路からは網走行き 4730D で網走に向かうのですが、なんとこの 4730D、網走方面に向かう全線通しの列車では、一日一本だけの *各駅停車* なんです!
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

頭上注意!

では、網走行きの乗車券を片手に改札に向かいましょう。

2023年2月1日水曜日

釧網本線ほぼ各駅停車 (27) 「釧路」

快速「しれとこ」は定刻の 13:33 に、終点の釧路に到着しました。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

釧路行き快速「しれとこ」は網走から釧路までの 169.1 km を 3 時間 9 分で走ったことになりますが、途中、知床斜里と東釧路で対向列車の到着を待っていた時間もあるので、この辺のタイムロスを削れば 3 時間を切れそうですね(実際に網走行き快速「しれとこ」は 3 時間を切っています)。