(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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二七山(にしちやま)
nina-us-nay?
焚木を切る・いつもする・川
焚木を切る・いつもする・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似ダムのダム湖である「さまに湖」の東に「二七山」という三等三角点が存在します(標高 423.9 m)。また、同名の「二七山」という三等三角点がもう一つ存在するのですが(汗)、こちらは「にひちやま」とのこと(標高 394.9 m)。陸軍図を見ると、三角点よりも下流側、イサカナイ川が様似川に合流するあたりに「二七」と描かれていることに気づきます。様似町史には次のように記されていました。
現在田代のタンネツ゚(通称タンネト)の神社の南方に接続した地域の中に、ニナナウシュナイ(薪の多くある沢)といった沢がある。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.48 より引用)
昔のアイヌは薪にするのに良さそうな木を見つけると、根元の皮を剥いで立枯れにして、枯れて乾燥した木を持ち帰って薪にしたとのこと。このニナ(薪)をもじって二七村が生まれ、のちに田代と改められた。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.49 より引用)
『地名アイヌ語小辞典』(1956) によると nina は「焚木を切る」という意味の完動詞とのこと。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) は「エシヤマニ」(=様似川)の『北海道実測切図』(1895 頃) にも「エサマンペツ」(=様似川)の西支流として「ニナナイ」という川が描かれていました。
『様似町史』の言うとおり「ニナ
キミチベツ沢
yam-o-pe?
栗の実・多くある・もの(川)
栗の実・多くある・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「二七山」三角点の北、「東金山」三角点の西を流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ヤモッペッ」と描かれているように見えます。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヤモヘツ」とあります。戊午日誌「志也摩尼誌」には次のように記されていました。
またしばし過る哉
ヤモベツ
左りの方小川。其名義はヤムヘツにして、冷水の在る川と云義也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.393 より引用)
「ヤモッペッ」あるいは「ヤモヘツ」は yam-pet だとするのですが、以前に知里さんは斜里郡小清水町の「止別」について、次のように記していました。アイヌ語ではヤㇺ・ワッカ(冷い・水)とは云うが,ヤㇺ・ペッ(冷い・川)とは云わないからである。
(知里真志保『知里真志保著作集 3「斜里郡内アイヌ語地名解」』平凡社 p.251 より引用)
よって「止別」は yam-pet ではなく、ヤワンペッで ya-wa-an-pet だ……としたのですが、様似の「ヤムヘツ」こと「ヤモベツ」は「冷水のある川」と明言されてしまっています。しかも永田地名解 (1891) にも……Yamope ヤモペ 冷水うーむ。困りましたね。yam は確かに「冷たい」という意味ですが、道南では yam ではなく nam となるのが一般的です。「ヤモッペッ」や「ヤモペ」を素直に解釈すると yam-o-pe で「栗の実・多くある・もの(川)」となるでしょうか。
これまでの「冷たい川」という解は、道内各地や樺太のアイヌ語に精通していた松浦武四郎が、無条件に yam を「冷たい」と解釈してしまい、永田方正が追随した……あたりの可能性も考えたくなります。
川名も無惨に?捻じ曲げられた上に地名解も間違いだ……と想定するのはドキドキものですが、現時点ではこう考えるのが(個人的には)限界です……。
オトマップ沢
o-kut-oma-p?
河口・喉 ・そこにある・もの(川)
河口・
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似川の北支流で、「キミチベツ沢」の東を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には川名が描かれていませんが、『北海測量舎図』には「オクトマㇷ゚」と描かれています。戊午日誌 (1859-1863) 「志也摩尼誌」にも次のように記されていました。
またしばしを過て
ヲコトマフ
左りの方小川。其名義不解なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.393 より引用)
むー、残念ですが仕方がありません。幸いなことに永田地名解 (1891) にも記載がありました。Oku omap オク オマㇷ゚ 機弓ヲ置ク處うーむ……。o-ku-oma-p で「河口・仕掛け弓・そこにある・もの(川)」ではないかとのこと。ただ、やや「整いすぎ」のような気もするんですよね。松浦武四郎が記録した「ヲコ
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ヲコトマフ」とありますし、何よりも現在の名前も「オ
ということで地形図とにらめっこしてみたのですが、o-kut-oma-p で「河口・
問題は「ク」がどこに消えたのか……というところですが、一体どこへ消えたんでしょうね……(汗)。
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