2014年12月6日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (235) 「浜小清水・蒼瑁・止別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

浜小清水(はまこしみず)

hur-tuy-i
丘・きれる・ところ
(典拠あり、類型あり)
斜里郡小清水町の北部(海沿い)にある地名で、同名の駅もあります。このあたりは元々は「古樋」という地名だったのだそうです。

というわけで、まずは「北海道駅名の起源」から。

  浜小清水(はまこしみず)
所在地 (北見国)斜里郡小清水町
開 駅 大正14年11月10日
起 源 もと「古樋(ふるとい)」といったが、小清水町の海浜にあるので昭和27年11月15日、「浜小清水」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.165 より引用)
ふむふむ。「古樋」はそれほど難読でも無いような気もするので、わざわざ「浜小清水」に改称したのは小清水町の知名度を上げようという目論見でもあったのでしょうか。

また「古樋」は、アイヌ語の「フル・ツ゚イ・イ」(丘のきれている所)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.165 より引用)
なるほど。hur-tuy-i で「丘・きれる・ところ」なのですね。浜小清水駅から北浜駅までの間は涛沸湖を形成する浜堤が伸びているのですが、確かに浜小清水駅のあたりは後背の地形がやや小高くなっていることもあってか、浜堤が「薄く」なっているようにも見えます。

ところで、東西蝦夷山川地理取調図を見ると、今の原生花園駅のあたりに「フレトエ」と書いてあります。これが後の「古樋」であることは容易に想像できるのですが、「フレ」だと hur(丘)ではなくて hure(赤い)っぽく聞こえてしまいます。

なお、山田秀三さんの「北海道の地名」によると、やはり hure とした解も存在していたようです。

上原熊次郎地名考は「フレとは赤いと申事,トイは土の事にて,此近辺赤土なる故此名ある由」と書いた。アイヌからの説だろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.216 より引用)
どうやらそのまま hure-toy で「赤い・土」と解したようですね。この上原説を否定したのが永田方正で、また、知里さんも「赤土説」を否定していたとのこと。

 ふるとい 古樋。原名「フレト゚イ」。語原はフル・エ・ト゚イ・イ(hur-e-tuy-i 丘が・そこで・きれている・所)。ここに小丘が二つあって,その間の低い所は以前に決潰した所だからそう名づけた。そこは現に赤土が露われているのでフレトイ(hure-toy 赤い・土)の義に解する説もあるが非である。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.250 より引用)
ふーむ。何を根拠に「非である」とされたのでしょう。hure-toy という解釈も十分妥当性はあるような気がするのですが……。

蒼瑁(あおしまい)

ay-osma-i?
矢・入る・ところ
(? = 典拠あるが疑わしい、類型多数)
すでに失われてしまった地名ですが、大日本地名辞書には次のようにあります。

蒼瑁(アヲシマイ)
斜里郡の西北端、濤沸湖の東端沙浜に在り、オホツク海に面す。網走郡濤沸村を距る二里、北海岸道の通路に当り、駅逓の設あり。今地籍はウラシ川、ポンヤム川の間に拡がり、釧路国川上郡境に延ぶ。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.212 より引用)
というわけで、もともとは「蒼瑁」で「あおしまい」と読ませていたのだそうです。そして、「濤沸湖の東端沙浜に在り、オホツク海に面す」という文からは、現在の浜小清水のあたりを指すと考えるのが自然です。つまり、もともとは「蒼瑁」という地名だったのが、いつの間にか「古樋」が西から引っ越してきて、そして「浜小清水」に変わった……と見るべきでしょうか。

この「蒼瑁」の地名解ですが、知里さんは次のように記しています。

 スマオイ シュマオイ。そうまい(蒼瑁)。語原「スマ(シュマ)・オ・イ」(suma-o-i 石・群在する・所)。砂浜続きの海岸にここだけ石原があったのでそう名づけた。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.252 より引用)
ふーむ。どうやら「蒼瑁」を「あおしまい」と読ませるのは無理があったのか、いつしか「そうまい」という読みに変わってしまったことを思わせます。もっとも「蒼瑁」が難読であるという認識は「大日本──」が編纂された時点でもあったらしく、「蒼瑁の文字、難訓甚し、俗に青島(アヲシマ)というに従ひて可なり」ともあったのですが、「青島」という解は普及しなかったということになりますね。

さて、ここで問題となるのは、知里さんが「蒼瑁」をかつて「アヲシマイ」と読ませていたことを認識していたか否かです。東西蝦夷山川地理取調図を見ると、「ヤンヘツ」河口から見て斜里側に「シユマヲイ」という地名が記されていて、それを「蒼瑁」の原型であると考えていたように見て取れます。ところが、実際の「蒼瑁」の場所は涛沸湖の東端であり、止別川から見て斜里側ではなく網走側に位置していました。

そして、涛沸湖の東端には「アヲンマナイ」(あるいは「アヲシマナイ」)という地名が記されていました。これらの点から考えると、「蒼瑁」の原義を「シユマヲイ」に求めるのは錯誤だったのではないかと思われるのです。

肝心の「アヲシマイ」の意味ですが、永田地名解には次のようにあります。

Aoshmai, = Ai-oshm-ai 海濱 アオㇱュマイ  矢落チタル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.487 より引用)
「矢落チタル處」に続く解説としては、次のようにあります。

矢ノ入ル處トモ譯スベシ昔アイヌ等戦争セシ時敵ノ射ル矢此處ニ達シタレバ名クト云フ「アオㇱュマイ」ハ「アイ、オシマ、イ」ノ急言○蒼瑁村ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.487 より引用)
ふむふむなるほど。ay-osma-i で「矢・入る・ところ」ではないか、と云うのですね。何とも説話的な解ですが、ウカルシュベツ川の例もあるので、一概に否定すべきでは無い……のかもしれません。

止別(やむべつ)

ya-wa-an-pet
陸のほう・に・ある・川
(典拠あり、類型あり)
斜里郡小清水町を南から北に流れる川の名前で、同名の駅もあります(止別川の河口と止別駅の位置は 2 km ほど離れていますが)。

「北海道駅名の起源」には、次のようにあります。

  止 別(やむべつ)
所在地 (北見国)斜里郡小清水町
開 駅 大正14年11月10日
起 源 アイヌ語の「ヤム・ペッ」(冷たい川)、すなわち止別川からとったものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.165 より引用)
おお~。久しぶりにすっきりはっきりした解ですね! ところが……、知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のようにありました。

 やむべつ 止別。原名「ヤンペッ」。従来ヤム・ペッ(yam-pet 冷い・川)の義に解かれていたけれども賛成できない。アイヌ語ではヤム・ワッカ(冷い・水)とは云うが,ヤム・ペッ(冷い・川)とは云わないからである。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)
むむっ。まだ続きがあります。

もとの形はヤワンペッで, 松浦竹四郎の『廻浦日記』にもそのように出ている。語原はヤ・ワ・アン・ペッ(ya-wa-an-pet 内地の方・に・ある・川)で,斜里よりも手前にある川なのでそう名づけたのであろう。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.251 より引用)
ふーむ。確かに「按東扈従」にも「ヤワンベツ」とありますね。ya-wa-an-pet で「陸のほう・に・ある・川」と読み解けそうです。yarep(沖)に対して「陸」「陸岸」「陸のほう」だとされるので、「斜里よりも手前にある」というのは少々納得がいかないところもあるのですが、もしかしたら網走からの視点で名付けられた地名だったのかもしれません。このあたりには、似た感じのする地名として以久科という例もあるので……。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事