2025年7月12日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1254) 「二七山・キミチベツ沢・オトマップ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

二七山(にしちやま)

nina-us-nay?
焚木を切る・いつもする・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似ダムのダム湖である「さまに湖」の東に「二七山」という三等三角点が存在します(標高 423.9 m)。また、同名の「二七山」という三等三角点がもう一つ存在するのですが(汗)、こちらは「にひちやま」とのこと(標高 394.9 m)。

陸軍図を見ると、三角点よりも下流側、イサカナイ川が様似川に合流するあたりに「二七」と描かれていることに気づきます。様似町史には次のように記されていました。

 現在田代のタンネツ゚(通称タンネト)の神社の南方に接続した地域の中に、ニナナウシュナイ(薪の多くある沢)といった沢がある。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.48 より引用)
昔のアイヌは薪にするのに良さそうな木を見つけると、根元の皮を剥いで立枯れにして、枯れて乾燥した木を持ち帰って薪にしたとのこと。

このニナ(薪)をもじって二七村が生まれ、のちに田代と改められた。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.49 より引用)
地名アイヌ語小辞典』(1956) によると nina は「焚木を切る」という意味の完動詞とのこと。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) は「エシヤマニ」(=様似川)の西支流として「ニナンナイ」と描かれています。

北海道実測切図』(1895 頃) にも「エサマンペツ」(=様似川)の西支流として「ニナナイ」という川が描かれていました。

『様似町史』の言うとおり「ニナウシュナイ」なのであれば少々理解に苦しむのですが、nina-us-nay であれば「焚木を切る・いつもする・川」と解釈できそうです。松浦武四郎が記録した「ニナンナイ」は {nina-an}-nay で「{われら焚木を切る}・川」かもしれません。

キミチベツ沢

yam-o-pe?
栗の実・多くある・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「二七山」三角点の北、「東金山」三角点の西を流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ヤモッペッ」と描かれているように見えます。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヤモヘツ」とあります。戊午日誌「志也摩尼誌」には次のように記されていました。

またしばし過る哉
     ヤモベツ
左りの方小川。其名義はヤムヘツにして、冷水の在る川と云義也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.393 より引用)
「ヤモッペッ」あるいは「ヤモヘツ」は yam-pet だとするのですが、以前に知里さん斜里郡小清水町の「止別」について、次のように記していました。

アイヌ語ではヤㇺ・ワッカ(冷い・水)とは云うが,ヤㇺ・ペッ(冷い・川)とは云わないからである。
(知里真志保『知里真志保著作集 3「斜里郡内アイヌ語地名解」』平凡社 p.251 より引用)
よって「止別」は yam-pet ではなく、ヤワンペッで ya-wa-an-pet だ……としたのですが、様似の「ヤムヘツ」こと「ヤモベツ」は「冷水のある川」と明言されてしまっています。しかも永田地名解 (1891) にも……

Yamope   ヤモペ   冷水
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.283 より引用)
うーむ。困りましたね。yam は確かに「冷たい」という意味ですが、道南では yam ではなく nam となるのが一般的です。「ヤモッペッ」や「ヤモペ」を素直に解釈すると yam-o-pe で「栗の実・多くある・もの(川)」となるでしょうか。

これまでの「冷たい川」という解は、道内各地や樺太のアイヌ語に精通していた松浦武四郎が、無条件に yam を「冷たい」と解釈してしまい、永田方正が追随した……あたりの可能性も考えたくなります。

川名も無惨に?捻じ曲げられた上に地名解も間違いだ……と想定するのはドキドキものですが、現時点ではこう考えるのが(個人的には)限界です……。

オトマップ沢

o-kut-oma-p?
河口・のど・そこにある・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似川の北支流で、「キミチベツ沢」の東を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には川名が描かれていませんが、『北海測量舎図』には「オクトマㇷ゚」と描かれています。

戊午日誌 (1859-1863) 「志也摩尼誌」にも次のように記されていました。

またしばしを過て
     ヲコトマフ
左りの方小川。其名義不解なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.393 より引用)
むー、残念ですが仕方がありません。幸いなことに永田地名解 (1891) にも記載がありました。

Oku omap   オク オマㇷ゚   機弓ヲ置ク處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.283 より引用)
うーむ……。o-ku-oma-p で「河口・仕掛け弓・そこにある・もの(川)」ではないかとのこと。ただ、やや「整いすぎ」のような気もするんですよね。松浦武四郎が記録した「ヲコマフ」の「ト」の音が入り込む余地が無いのがどうしても気になってしまいます。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ヲコトマフ」とありますし、何よりも現在の名前も「オマップ沢」です。松浦武四郎が記録した「ト」の音を永田方正がうっかり(敢えて?)落としたと見るべきではないでしょうか。

ということで地形図とにらめっこしてみたのですが、o-kut-oma-p で「河口・のど・そこにある・もの(川)」と考えられないでしょうか。上流側から下流側を望んだ場合に、左右から山が迫って出口が狭くなっている地形を「喉」と形容する場合がありますが、オトマップ沢の西側も、様似川の谷がやや狭くなっているように思えるのです。

問題は「ク」がどこに消えたのか……というところですが、一体どこへ消えたんでしょうね……(汗)。

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