2025年7月20日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1258) 「海辺川・冬似・鵜苫・ワッカクナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

海辺川(うんべ──)

ota-humpe
砂・クジラ
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町西部、かつて日高本線・西様似駅があったあたりを流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ウンペッ」という名前の川が描かれています。

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

「ウン・ペ」は何々のもの(川) ととれるが意味不明。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.579 より引用)
まぁ、確かにそうなんですが……。ただ戊午日誌 (1859-1863) 「志也摩尼誌」には次のように記されていました。

 扨是より其沢まヽ両岸さして高山もなき処を上り行、それよりして雑木立の山を一ツこへて
      ホンウンベ
 川すじへ出たり。此ウンベは会所元より拾五丁西にして相応の川也。ウンベの其枝川也。名義は本名ヲタフンベと云しを、今詰めてウンヘと云也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.396 より引用)
ふむふむ。この時の松浦武四郎は様似町岡田(の南方?)から西に山越えをしていたので、「海辺川」ではなく支流の「ポンウンベ川」の流域に出た関係で、「ホンウンベ」の記録が先に出てきた……ということのようです。

松浦武四郎が記録した「ヲタフンベ」という地名には次のような説話があったとのこと。

 其儀土人の云伝えに、大古合戦の有りし時、磯にて鯨を作り、其陰にかくれ居て合戦をなしたりと。依て砂鯨と云義のよし也。ヲタは砂也、フンベは鯨也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.396 より引用)
まぁ、この手の説話は必ずしも全てが事実とは限らない……と思うのですが、波風の関係で砂が溜まる場所があり、それがクジラのように見えた……と言ったところでしょうか。ota-humpe で「砂・クジラ」と見て良いかと思います。

冬似(ぶゆに)

puyna-i??
石・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつての日高本線・鵜苫駅の東あたりの地名で、同名の川も流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「プイニウㇱュナイ」という名前の川が描かれています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「フユニ」とだけ描かれていますが……。

エゾノリュウキンカの沢?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Puini ush nai   プイニ ウㇱュ ナイ   流星花ノ澤
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.281 より引用)
どうやら実測切図のネタ元は永田地名解っぽいですね。puy は確かに「エゾノリュウキンカ」なのですが、エゾノリュウキンカは多年草なので、「木」を意味する -ni が後ろについているのは妙な感じがします。

フユニという女子?

もっとも、この説は永田方正のオリジナルでは無いみたいで、『午手控』(1858) にも次のように記されていました。

フユニ
 フユと云草有りしを、始てフユニと云女の子喰始てより号
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.432 より引用)
「フユと言う草」は明らかに「エゾノリュウキンカ」のことですが、何故か「フユニという女子が食べた」というストーリーが追加されてしまっています。

妙な尾鰭がついた理由は、もともと「フユニ」と呼ばれていたので、「プイ」だけでは地名の由来が説明できないから……のような気がします。「プイを食べたフユニという女子がいた」というストーリーは取ってつけた感が満載なので、誰かが適当に誂えた説話と見るべきに思えます。

「プイ」は「穴」?

puy は「エゾノリュウキンカ」のほか、「穴」という意味もあります。アポイ岳の麓の「冬島」が puy(穴)系の地名のように思われます。

「冬似」は puy-un-i で「穴・そこにある・もの」ではないか……とも考えてみたのですが、puy-un で受ける例も無さそうなので、ちょっと無理がありそうに思えます。

「プイナ」は「ポイナ」

さてどうしたものか……と思ったのですが、知里さんの「アイヌ語地名単語集」に次のような記述がありました。

プイナ(puyna) = ポイナ。
(「アイヌ語地名単語集」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.446 より引用)
肝心の「ポイナ」の項には、次のようにあります。

ポイナ 《ちしま・北海道アバシリ》石。
(「アイヌ語地名単語集」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.449 より引用)
よく見ると『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも立項されていました。

poyna ぽィナ【ビホロ《雅》;北チシマ《常》】石。ビホロでは yukar-itak(詞曲語,=雅語)で石をそう云い,use-itak(普通語,=常用語)の suma に当ると。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.101 より引用)
どうやら suma の古語のようですね。美幌様似は相当離れていますが、様似のあたりは(どちらかと言えば)道東寄りの方言が使われていたという話もありますし、また『藻汐草』(1804) にも記録があるとのこと。

poyna-us-i で「石・ある・ところ」だったのが、-us が略されて poyna-i になったのかもしれません。「アイヌ語地名単語集」に言及があるように、poynapuyna に転訛したのであれば、puyna-i で「石・ところ」だった可能性がありそうでしょうか。

ただ poyna という語が(様似のあたりでは)廃れてしまい、仕方なく「フイニという女子がプイを食べた」という取ってつけたストーリーが捻り出されたのでは……という想像です。

鵜苫(うとま)

utumam-pet
抱き合って寝る・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
冬似川の西側の地名で、集落の西端を流れる「鵜苫川」は浦河町との境界となっています。かつて日高本線の「鵜苫駅」のあったところなので、まずは「駅名の起源」を見てみましょう。

  鵜 苫(うとま)
所在地 (日高国)様似郡様似町
開 駅 昭和12年8月10日
起 源 アイヌ語の「ウトマム・ペッ」(だき合う川) から出たもので、前項の「ポロ・ペッ」の古川と合流するところから名づけられた。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.94 より引用)
utumam-pet で「抱き合って寝る・川」では無いかとのこと。「前項の『ポロ・ペッ』」は「日高幌別川」のことですが、『北海道実測切図』(1895 頃) ではとんでもなく西側に河口が偏っていました。陸軍図でも同様ですが、浜堤?をカットしてすぐ海に注ぐ流路が追加されているように見えます。

またよく見ると、東に向かう旧河道らしきものも描かれています。「実測切図」をよく見ると、「ウト゚ㇺアンペッ」(=鵜苫川)は日高幌別川の旧河道と合流して海に注いでいるようにも見えます。このことを指して「抱き合って寝る川」と呼んだ……と考えられそうですね。

河口は o- であり、これは「川尻」あるいは「尻」とも認識されますが、知里さんは一歩進んで「陰部」という解釈も唱えていました。要は「陰部と陰部が合わさる」=「抱き合って寝る」なのだ、ということになりますね。ほぼ同義の地名としては o-u-kot-pe(興部など)が有名ですね。

ワッカクナイ川

wakka-e-ku-nay?
水・そこで・飲む・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵜苫漁港と鵜苫稲荷神社の間あたりを流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ワクカエクナイ」とあり、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ワツカエクナイ」とあります。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Wakka eku nai ワㇰカ エク ナイ   飮水アル澤
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.280 より引用)
wakka-ku-nay は「水・飲む・川」と解釈できそうなので、wakka-e-ku-nay であれば「水・そこで・飲む・川」でしょうか。

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