2025年9月6日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1278) 「ヒトツ・ベッチャリ・ベッチャリトラシベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヒトツ

sittoki?
その曲がり角
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河ルスナイ(通称?)の北、元浦川が南東側に大きく張り出したカーブの内側の地名(これも通称?)です。陸軍図には「ヒトツ」と描かれていますが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「シトチ」となっています。

それでは……ということで『北海道実測切図』(1895 頃) を見てみたところ、「ピトチ」という川が描かれていました。見事に両者を折衷した名前ですね……。

戊午日誌 (1859-1863) 「宇羅加和誌」には次のように記されていました。

七八丁も上るや
     シ ト (キ)
左りの方小川也。其名義は餅を喰しと云事也。訳は此川の奥に金銀山が有りて、昔しは余程繁昌なしたる由なるが、其節には此処に餅をつきあぶりし爺有りしと。依て号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.473 より引用)
(キ)」とありますが、これは編者注とのこと(「シトチ」は「シトキ」ではないか、とのことですね)。各種のアイヌ語辞書にも sitoki という語が採録されていますが、いずれも「首飾りについている円盤状の金属」を意味するとのこと。「餅」を意味する語は sitoki ではなく sito なので、「チ」あるいは「キ」が何を意味するのかは不明です。

一方で永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Shittoki   シットキ   岬 直譯臂
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.273 より引用)
sittok は「ひじ」ですが、地名では「(川や路の)曲がり角」を意味するとのこと。所属形は -i/-u らしいので、sittoki で「その曲がり角」だったのかもしれません。sittoksittoki の違いは、英語の a bendthe bend の違いだ……と考えれば当たらずとも遠からずかなぁ、などと想像しています。

ただ、ここでちょっと気になるのが「実測切図」の「ピトチ」です。「ヒ」が「シ」に化けるのは江戸っ子ですが、「シ」が「ヒ」に化けるのは「七月」が「ヒチガツ」に化けるようなものでしょうか。「シ」が「ヒ」に化けるのは江戸っ子に限った話では無いという説も見かけました。

永田地名解には、「ライ ペッ」(=「ライベツ川」)と「ポロ ナイ」(=「ホロトナイ川」のネタ元か?)の間に次のような川が記されていました。

Pittuk ush nai   ピット゚ㇰ ウㇱュ ナイ   防風草シヤクアル澤
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.276 より引用)
面白いことに、この川は『東西蝦夷山川地理取調図』にも『北海道実測切図』にも見当たりません。位置的には浦河町姉茶と富里の間、元浦川の南東側だと思われるので、現在の「ヒトツ」とは若干位置が異なるものの、「ピトチ」に発音が近くて現在は行方不明……ということで、念のため参考までに……。

pittok は「ハナウド」とのこと。pittok-us-nay であれば「ハナウド・多くある・川」となりますね。

ベッチャリ

pet-charo
川・その口
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河町ヒトツの北東には元浦川を渡る「野深かみのぶか橋」がありますが、「上野深橋」の北東側が浦河町ベッチャリ(これも通称かも)です。ベッチャリ川とベッチャリトラシベツ川、ツケナイ川などが合流して上野深橋の南で元浦川に注いでいます。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヘツチヤロ」という川が描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) にも「ペッチャロ」と描かれていました。陸軍図では現在と同じ「ベッチャ」と描かれています。

戊午日誌 (1859-1863) 「宇羅加和誌」には次のように記されていました。

川巾ひろく浅瀬にして小石川
     ベツチヤリ
右の方相応の大川也。是当川すじ第一の支流なり。其名義は川すじ爰にて広くなりしによつて号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.474 より引用)※ 原文ママ
「川すじここにて広くなりし」とありますが、これはベッチャリ川とベッチャリトラシベツ川がまとまって元浦川に注いでいて、扇状地のようになっていることを指している……と考えたいところです。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Pet charo   ペッ チャロ   川口
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.275 より引用)
pet-char で「川・口」ですが、char の所属形は charo(あるいは charu)なので pet-charo で「川・その口」と言ったところでしょうか。

松浦武四郎は「ベツチヤ」と記録していますが、{char-i} は「~を散らす」を意味します。ただ「川を散らす」というのも意味不明なので、pet-charo あるいは pet-charu が訛ったと見るべきなのでしょうね。

ベッチャリトラシベツ川

ru-turasi-nay
路・それに沿ってのぼる・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河町ベッチャリを流れる「ベッチャリ川」の南支流……の筈ですが、地理院地図の「地名情報(自然地名)」では「ベッチャリ川」が「ベッチャリトラシベツ川」に合流して、「ベッチャリトラシベツ川」として元浦川に合流していることになっています。

国土数値情報では「ベッチャリトラシベツ川」が「ベッチャリ川」に合流後、「ベッチャリ川」として元浦川に合流していることになっています。色々と謎の多い国土数値情報ですが、今回に限っては国土数値情報のほうが正しそうな感じが……。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ピシクㇱュペッチャロ」と描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒシクシヘツチヤリ」とあり、川下側に「ルートラシナイ」と「ヲサツナイ」という南支流があるように描かれています。

ちょっとややこしいことになってきたので、久しぶりに表にまとめてみましょうか。

東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
北海道実測切図
(1895 頃)
陸軍図
(1925 頃)
国土数値情報
ヘツチヤロペッチャロ-ベッチャリ川
ヲサツナイルオシペッ-ベッチャリ一号川
ルートラシナイ-ルトラシベツ澤ベッチャリトラシベツ川
トキヲマナイ-ツケナイ澤ツケナイ川
ヒシクシヘツチヤリピシクㇱュペッチャロ-ベッチャリ川
キンクシヘツチヤリキㇺウㇱクㇱュペッチャロ-ベッチャリ二号川

これで一目瞭然ですが、どうやら「ベッチャリトラシベツ川」は「実測切図」には描かれておらず、また元の名前は「ルートラシナイ」だったと見られます。ru-turasi-nay で「路・それに沿ってのぼる・川」ということになりそうですが、現在も川沿いを道道 746 号「高見西舎線」が通っています。見事に現在も「名が体を表している」川名と言えそうですね。

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