2019年4月30日火曜日

きょうの出来事(2019/4/30)

昨日に引き続き、新日本海フェリー「ゆうかり」よりお送りします。
「ゆうかり」といえば確かにこのイメージなんですが、改めて考えると何故「ユーカリ」なんでしたっけ。

気がつけば秋田港

新日本海フェリーの「寄港便」は、敦賀から新潟、秋田を経由して苫小牧東港に向かいます。秋田港到着は朝の 5 時過ぎで、さすがに船内アナウンスで起こされるのも難儀なこっちゃ……ということで、アナウンスをオフにしてしっかりと熟睡させてもらいました。
定刻通り、朝 7 時に秋田港を出港して、最終目的地・苫小牧東港に向かいます。秋田から苫小牧東港までは 10 時間 20 分かかる予定です。
朝の 7 時に秋田港を出るということは、当日の朝刊の積み込みができるということでもあったんですね。

クイズラリー(二日目)をチェック

朝食をいただいた後は、定番の「クイズラリー」をチェック。二日目の問題もなかなかの良問揃いでした。
ちなみにこの写真、ちゃんとした解像度のものなので、船首にしっかりと船名が書いてあるのを読むことができます(笑)。

オーシャンビューの風呂

そして、昨晩入りそこねたオーシャンビューの風呂に。
すりガラスのドアを開けると……
こんな感じで。他船と比べると少し湯船が小さいようにも思えますが、その代わりになんとシャワーブースが存在します。これはいいかも……!

津軽海峡で昼食を

敦賀港を出発してから 26 時間ほどで、「ゆうかり」はようやく津軽海峡に入りました。
いつもは黙々と自船の位置を表示するだけのチャンネルですが、竜飛岬の近くでいきなりナレーションが入ります(ちょっとびっくり)。
そして、津軽海峡に入ったところで昼食です。津軽海峡は船の数の多いところなので、こんな風に大型コンテナ船を眺めながら食事を楽しむこともできます。
ちなみに、こんな船です。艦橋とファンネルがちゃんと見えているのが凄いと言うべきか……。

フローズンヨーグルト・チャレンジ

今日も生憎の空模様で、恵山(だと思う)のまわりには、怪しげな雲が立ち込めていました。
そして最後はこちら。
昨日の「フローズンヨーグルト」に続き、本日は「フローズンヨーグルト Fruit Selection」にてチャレンジです(何の)。結果はご覧の通り!
遺憾なことに(何故)、割とふつーにスプーンが埋まってしまいました(ヒマなのね)。

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2019年4月29日月曜日

きょうの出来事(2019/4/29)

連休ですね! ということで、敦賀港フェリーターミナルにやってきました。今日は月曜日ということで、新日本海フェリーの「寄港便」が週に一度だけ敦賀にやってくる日でもあります。

客室、襲来

聞くも涙、語るも涙な壮絶なチケット争奪戦に辛うじて勝利できたので(大げさ)、さっそく乗船です。まずは「客室、襲来」と言った感じでしょうか(たぶん違う)。
案内所で鍵(カードキーではなく、シリンダー錠です)を受け取って、早速部屋に襲来してみました。おっ、これはまた結構(これまでの船とは)雰囲気が違いますね。
全体的なレイアウトは他船と似たところもあるのですが、部屋の奥行きが(他船と比べて)無いので、若干窮屈なレイアウトになっているように思えます。
テレビの台がベッドルームとリビングルームの間の衝立のようになっているところが大きな違いでしょうか。まぁ、これはこれで良くできていますし悪くないのですが、廊下からソファーが丸見えというのが若干戸惑うところです。

映画か、下船か

今回乗船したのは、いつもの「直行便」ではなく「寄港便」です。月曜日の朝に出港して翌日の夕方に苫小牧に到着するというスケジュールのため、食事は 4 回もありますし、ほかに細かいところでは「映画上映」の時間もいつもと異なります。もっとも、19 時に上映を開始して新潟で降りる人は間に合うのだろうか、という疑問も出てきますが……。

謎のインスタ枠

案内所の前には、毎度おなじみ記念撮影用のオブジェとグッズが用意されていました。ところであのインスタのフレームはどうやって使うんでしょう……?

いろいろと細かな違いが

今回乗船した「ゆうかり」は、「すずらん」「すいせん」とも、また「はまなす」「あかしあ」とも違う設計で、もしかしたら先代の「すずらん」「すいせん」と近い部分もあるのかもしれませんが、いつもと勝手が違って楽しいです。なぜか立派なエアホッケー場?があったり……
新潟での G20 会合に関する交通規制の情報が掲示されていたり……(寄港便は、新潟から苫小牧の間はほぼ毎日運航されています)。

令和記念セール

船内のレイアウトもかなり他とは違っていて、売店の向かいにカフェコーナーがあったりします。
その売店では、早速改元に便乗したセールが……(汗)。

クイズラリーも連日開催

多客期のイベントとしてすっかり定着した感のある「クイズラリー」が、今日も開催されていました。どうやら明日も秋田港を出たあとに別問題で開催されるとのこと。楽しみです。
あ、ちなみにこの問題ですが、いつもの癖で「そんなん 4 甲板に決まってるよね~」と思っていると痛い目に遭います。

ビデオシアターでビンゴ大会

(「コンファレンスルーム」ではなく)「ビデオシアター」での映画の上映は午後からだったはずですが、なぜか多数の船客が詰めかけています。何故……? と思ったのですが、
どうやら「ビンゴ大会」の会場が「ビデオシアター」だった模様でした。他のフェリーだと「カフェ前広場」で開催されるのが定番だったのですが、これまた他とは違って新鮮な感じがします。

すごい硬いアレ

今回は新潟に立ち寄る「寄港便」ということで、売店でフローズンヨーグルトを入手してみました。
ということで……
#シンニホンカイフェリースゴイカタイフローズンヨーグルト です。お収めください。

京都?

寄港便で敦賀から苫小牧東港までは 24 時間以上かかるため、食事も 4 回提供されます。グリルは 4 甲板右舷後方にあるのですが、店名が何故か「嵯峨野」でした。普段は新潟と秋田、苫小牧の間を往復しているのに、何故に「嵯峨野」……。

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2019年4月28日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (627) 「美流渡・マップ川・シコロ沢川・ポンネベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

美流渡(みると)

sir-utur-oma-p?
山・間・そこにある・もの
(典拠あり、類型あり)
岩見沢市東部の地名で、かつて国鉄万字線の「美流渡駅」があったところです。「美流渡」と書いて「みると」と読ませる、響きの美しい地名がどのようにして生まれたのか、気になるところですが……。

かつて駅があったということで、まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。

  美流渡(みると)
所在地 (石狩国)空知郡栗沢町
開 駅 大正 3 年 11 月 11 日
起 源 アイヌ語の「ミユルトマップ」から出たといわれているが、意味は不明である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.86 より引用)
駅の開業が大正 3 年で、しかも貨客どちらも扱っていたというところに驚いてしまいます。本題の「アイヌ語の『ミユルトマップ』」というのは確かに意味不明で、さてどう解釈したものか……。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

ミユルトマップはひどく訛った名であろう。このままでは解しようがない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.43 より引用)
うわっ、一行で片付けられてしまいました。確かにこのままでは解釈のしようが無いのも事実なんですが。

さてどうしたものか……と思っていたところに救世主が現れました。更科さんの「アイヌ語地名解」には、次のような明確な解釈が記されていました。

 美流度(みると)
 国鉄万字線の駅名、アイヌ語のシュルトルマップから出たという、シリ・ウトㇽ・オマ・プで、山の間にある川の意か。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.72 より引用)※ 原文ママ

ああああ、そういうことか! 「シュルトルマップ」が「ミユルトマップ」に誤記されて、そこから「美流渡」になった……というオチだったのではないか、ということですね。現時点では更科さん以外に典拠が無いですが、「シュ」を「ミユ」に誤記したというのは十分ありそうな話に思えます。

ということで、「美流渡」は sir-utur-oma-p で「山・間・そこにある・もの」と考えられそうです。おそらくは川の名前だと思われますが、これ以上書いてしまうと次が大変なことになるので……

マップ川

sir-utur-oma-p??
山・間・そこにある・もの
(?? = 典拠なし、類型あり)
栗沢町美流渡で幌向川に合流する北支流の名前です。川名は「マップ川」ですが、「幌向川ダム」があります。

「なんとかマップ」という地名は道内のあちこちで目にしますが、そのものずばり「マップ」という地名はあまり目にすることがありません。「真布」という地名が沼田町にあるようですが、これも「シルトルマップ」の省略形ではないかと言われています。あれ、そういえば「美流渡」も元を辿れば sir-utur-oma-p という説を目にしたような……?

沼田町の「真布」が「シルトルマップ」の省略形だったというのは全くの偶然ですが、美流渡の近くに「シュルトルマップ」という川(おそらく)があったと考えられ、また「マップ川」の立地も sir-utur-oma-p と呼ぶに相応しいことを考えると、「マップ川」こそが sir-utur-oma-p だったんじゃないかな……と思えるんですよね。

ということで、「マップ川」は正確には sir-utur-oma-p で、「山・間・そこにある・もの」だったんじゃないかなぁ……と推察してみました。

シコロ沢川

kucha-un-nay
常設の山小屋・ある・川
(典拠あり、類型あり)
幌向川の南支流で、美流渡の少し上流で幌向川に合流しています。「シコロ」は「キハダ」の北海道・東北方言で、キハダはアイヌ語で sikerpe と呼ばれています。「シコロ沢川」は「キハダの自生する川」と考えられるかもしれません。

ただ、この川はもともとは違う名前で呼ばれていたようで、明治時代の地形図では「クチャフシナイ」あるいは「クチヤウンナイ」と記されていました。kucha は常設の山小屋・仮小屋のことで、kucha-un-nay であれば「常設の山小屋・ある・川」だったと考えられそうです。

kucha-un-nay という川名は、大正から昭和の頃にかけては地名としても現役だったようで、当時の地形図には「クッチャンナイ」と記されていました。「クチャウンナイ」が「クッチャンナイ」に変化したようですが、「倶知安」の影響なのか、それとも自然発生的に変化したのか、はてさて……。

ポンネベツ川

pon-net-pet??
小さな・流木・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
国鉄万字線の終点だった「万字炭山駅」のすぐ北側で幌向川に合流する西支流の名前です。「ポンネベツ」があるなら「ポロネベツ」もありそうな気もしますが、ちらっと見た限りでは見当たりませんでした。

「ポンネベツ」を素直に読み解くなら、pon-net-pet で「小さな・流木・川」あたりでしょうか。流木と言っても巨大な丸太が流れてくるわけではなく、乾かすと焚き木に使えそうな小枝のことだったと思われます。故に pon-net で「小さな・流木」なのかな、と考えたりもしますが、このような用法が成り立つのかどうかは、若干疑問も残ります。

あと、思い切った想像としては、このあたりでは幌向川が {nay-e}-pet({水源}・川) に類する名前で呼ばれていて、その支流ということで pon-{nay-e}-pet という可能性もあったりしないかな……というものもあります。もっとも、それだと隣に「ポンポロムイ川」が存在すること自体が大いなる矛盾となるわけですが。

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2019年4月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (626) 「清真布川・茂世丑・苗川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

清真布川(きよまっぷ──)

ki-oma-p
茅・ある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
幌向川の南支流で、室蘭本線の栗沢駅のあたりを流れています。ちょっと面白いのが上流部の支流の名前で、「由良川」「最上川」「加茂川」など、どこかで聞いたことがあるような名前が並んでいます。

栗沢町由良は「香川県山田村字由良」に由来するとのことですが、「最上川」は「最も上に位置していたこと」に由来し、「加茂川」に至っては香川県出身の農場主が「京都の加茂川にちなんで命名したもの」とのことで、それ以上の関係性は無さそうな感じでした。

なお、現在の栗沢駅のあたりをかつて「清真布」と呼んでいたのだそうです。ということで「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  栗 沢(くりさわ)
所在地 (石狩国)空知郡栗沢町
開 駅 明治 25 年 8 月 1 日(北海道炭砿鉄道)(客)
起 源 もと「清真布(きよまっぶ)」といったところで、アイヌ語の「キ・オマ・プ」(カヤのある所)から出たものであるが、昭和 24 年 9 月 1 日「栗沢」と改めた。栗沢はアイヌ語の「ヤム・オ・ナイ」(栗の多い沢)の訳語である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.76 より引用)
「栗沢」の由来までついていてお買い得感バッチリな感じですね(どこが)。本題の「清真布」ですが、ki-oma-p で「茅・ある・もの(川)」と読み解けそうですね。

茂世丑(もせうし)

mose-us-i
草を刈る・いつもする・ところ
(典拠あり、類型多数)
栗沢町(2006 年に岩見沢市に編入合併)東部の地名で、同名の川も流れています。典型的な「読めたら意味は楽勝」系の地名ですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

茂世丑 もせうし
 幌向川中流に南から茂世丑川が入っていて,その川筋が茂世丑である。明治の地図ではその川にモセウシと仮名書きされていた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.42 より引用)
地図によっては「モーセウシ」とありますね。「海が割れるのよ」でしょうか?(全く違います

道内諸地にモセウシ(mose-ush-i)の地名が多いが mose には「いらくさ」という意味と「草を刈る」という意味があって,いらくさ群生地であったか,草刈りをいつもする処であったか,伝承でもないと分からないのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.42 より引用)
あっ、言われてみれば確かに。田村さんの辞書や萱野さんの辞書を見ても動詞としての用法しか出てきません。mose-us-i を素直に解釈すれば「草を刈る・いつもする・ところ」と考えられそうです。

「いつも草を刈るところ」ですから、「草が多くあるところ」と解釈してもほぼ正解である……ということなのでしょうね。

苗川(なえ──?)

nay-e?
川・頭
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
岩見沢市東部に「萩の山スキー場」というスキー場がありますが、その近くを流れる川の名前です。かつて国鉄万字線の「上志文駅」が近くに存在していました。

「再篙石狩日誌」には、「ホルムイ」(幌向川)の支流の情報として、次のように記されていました。

 扨、此河源のことは当時誰も委細致せしものなきよし也。其大略ルヒヤンケとヤエタルコロ、イワクラン等に聞まゝを志るし置に、先川口より少し上り、ソコニタウシ、フシコベツウン、ユツケシ、ホトホブシベ等皆右の方、並びて向ひの方イチキシル、ヲチルケシ、セーセウシ等左りの方、ナヱ右の方相応の川のよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.180 より引用)
このあたりの聞き書き情報をベースに「東西蝦夷山川地理取調図」が描かれたと思われるのですが、「ホルムイフト」から伸びる川の情報は良くわからないことになっています。

実際には「幌向川」と、その支流である「幾春別川」が存在する筈なのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「幾春別川」に相当する川が描かれていません。そのため、「イチキルシ」(市来知川)が幌向川の北支流になっていたりします(実際には幾春別川の南支流)。また「セーセウシ」という川名は「モーセウシ」のようにも思えますが、茂世丑川は幌向川の南支流なので、アイヌの流儀で言えば「右支流」とされるべきなんですよね。

「苗川」=「幌向川」説

ここまで眺めた限りでは、左右が逆であることを除けば、「ナヱ」は「苗川」のことと考えて相違無さそうにも思えます。唯一引っかかるのが「相応の川のよし」という一文で、現実の「苗川」は流長 2 km 程度のかなり小さな川なので、とても「相応の川」とは言えない、というところです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ナヱイ」という川が描かれていますが、少なくとも現在の「苗川」よりは大きな川として描かれています。また「ナヱ」あるいは「ナヱイ」という名前からは、奈井江川との共通性が感じられます。

少々大胆な仮説ですが、「ナヱ」あるいは「ナヱイ」は、現在の「幌向川」上流部を指すとは考えられないでしょうか。仮にそうだとすれば、この「ナヱイ」も nay-e(-etaye-pet)? で「{水源}(・引っ張る・川)」と考えられそうな気がするのです。

幌向川を遡ると、万字のあたりで南東から南に向きが変わります。このことを「水源が引っ張られた川」と呼んだのではないか……といういつもの強引な仮説です。

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2019年4月26日金曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (24)「天売島一周・愛鳥の碑編」

レンタサイクルでの天売島一周も、ついに終盤に突入しました。道道 548 号の 9 km 地点に到達です。道道 548 号は総延長が 9.858 km ですから、最後のキロポストということになりますね。
夏季の一方通行規制も終了し、道路も一般的なアスファルト塗装に戻りました。そして、ようやくセンターラインが復活です。
ちなみに、手前左側に砂利が見えていますが、実はこの先も道が伸びていまして……
この道をずーっと先に進めば「天売島灯台」に行けるようです。ただ、その、なんと言いますか……。いかにも「関係者仕様」と言った雰囲気の道で「一見さんお断り」感がめっちゃしたので、灯台に向かうのは諦めたのでした。

靴っぽい天売島

道道 548 号の、最後の?下り坂を駆け下ります。
この看板は何度も撮影した感じがしますが……よほど気に入っていたのですね(汗)。そして、今頃気がついたのですが……
この天売島のシルエットって、どことなく靴っぽい感じが。

愛鳥の碑展望台

道道 548 号の最後の右カーブの途中に、何やら休憩所っぽい場所が見えてきました。ちょっと立ち寄ってみましょうか。
立派な屋根のある休憩所ですが、千鳥ケ浦園地の「海鳥観察舎」とは違って随分とオープンな構造です。そして、この建物を見てある場所を思い出したのですが……
ここは天売港を眼下に見下ろせる展望スポットで、「愛鳥の碑」が設置されています。展望スポットには少し前にも見かけた原チャのお兄さんが。
どの辺がどう「愛鳥の碑」なのか若干謎ですが、礎石には「開道百年 町開基七十周年 記念」と記されていました。昭和 43 年建立とのことで、なかなか歴史のある碑?のようです。若干気になるのは、台の上にボルトが見えていることで、もしかして上に何かあったのではないか……というもやもや感が。
ちょうどいいタイミングで船がやってきたようです。この時間ですと高速船「さんらいなぁ 2」でしょうか? 手前に見える赤い実はコケモモでしょうか?

海難遭難者慰霊之碑

「愛鳥の碑展望台」の敷地の一角には、慰霊碑がありました。港を一望できる場所にある慰霊碑、ということは……
ああ、やはり。「天売島周辺海域 海難遭難者慰霊之碑」とありました。ちょっと特徴のある書に見えますが、著名な方のものなのでしょうか?
実は、この休憩所を見た時に「千鳥ヶ淵に似てるな……」と思ったんですよね。そんなことを考えているうちに目の前に慰霊碑があるのを見つけて、つい合点が行ってしまったのでした。
では、そろそろレンタサイクルに戻りましょう。……遠っ!

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2019年4月25日木曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (23)「天売島一周・一方通行編」

道道 548 号「天売島線」をレンタサイクルで一周します。「観音崎園地」の駐車場に戻ってきたところ、結構な数の自転車が駐輪してあることに気づきました。
道道から観音崎園地の駐車場までの脇道は、道幅は狭いですが、自動車も通行可能のようです。
そして……思いっきり話が脱線しますが、道端で見かけたこの花は何という植物のものなのでしょう。「すずらん」かなーと思ったのですが、色合い的に違うような気も……。樹木や草花に関する知識は情けないほど無いもので……すいません。

自転車も一方通行

道道 548 号との交叉点まで戻ってきました。6 月 1 日から 8 月 31 日までは、道道 548 号の西半分は時計回りの一方通行となっています。
今頃気づいたんですが、実はどこにも「軽車両を除く」とは書かれていません。つまり、この一方通行は自転車にも適用されるものだったんですね。
「観音崎」が、道道 548 号沿いの最後の観光スポットか!? と思ったりもしたのですが、いえいえどうして、次は「愛鳥の碑」なるものが控えているようです。

下り坂 スピード注意!!

それでは、道道 548 号で島内一周に戻りましょう。昨日の記事でも記した通り、道道 548 号が尾根伝いを通るのはここまでで、ここから先は 110 m ほどの高低差を一気に駆け下りることになります。
ということで、今度こそ本当に「下り坂 スピード注意!!」ですね。これまでとは違うレベルの下り坂が待ち構えている……筈です。
路傍の知らない植物シリーズ第 2 弾(シリーズ化?)です。どことなくドラゴンフルーツっぽいこちらの花?ですが、一体なんという植物なんでしょう?

天売島灯台

坂を下る途中で、野原の向こうに「天売島灯台」が見えてきました。天売島では失われた森林を取り戻すべく植林に取り組んでいるという話ですが、海沿いはやはり今でも草原が多いようですね。
天売島灯台は天売島の北部にありますが、残念ながら道道からはかなり離れています。「旅館 青い鳥」からは直線距離で 150 m 程度なんですが、道が無いみたいなんですよね……(北端のゴメ岬経由で獣道?があるみたいですが)。
お隣の焼尻島が見えています。天売島と焼尻島の間の距離は、最も近いところで 3.6 km 程度で、利尻島と礼文島の間が最も近いところでも 9.5 km ほどあることを考えると、かなり天売と焼尻の間は近いのだ、と言えそうです。

爽快なサイクリングロード

下り坂の先に、同じく自転車で島内一周中の方々を見かけました。赤岩園地付近の「魔の上り坂」を除けば、とっても気持ちいいサイクリングロードなんですよね。上り坂を除けば……(しつこい)。
でもまぁ、サイクリングロードとしては 10 km 弱という距離も絶妙ですし、車もほとんど走っていない上に適度に観光スポットもあり、かなりイケてると思います。この規模だとさすがにマイカー持ち込みはコストが高くつきすぎでしょうね。

一方通行ここまで

坂道を駆け下りて、標高 68 m あたりまで降りてきました。右手からやってきた道路とここで合流します。
そして、夏季限定の一方通行はこの交叉点で終了です。つまり、ここから先は生活道路としての側面が強くなるということでしょう。ようやく天売島の集落に戻ってきたということになります。

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