2019年4月21日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (625) 「美唄達布・幌達布・幌向」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

美唄達布(びばいたっぷ)

{pipa-o-i}-nutap
{美唄川}・川の湾曲内の土地
(典拠あり、類型あり)
岩見沢の北北西、新篠津の北東に「北村」という自治体がありました(2006 年に岩見沢市に編入合併)。ちなみにこの「北村」は開拓功労者の人名(北村雄治)に由来するもので、合併せずに町制していたらどうなったのか……と、誰もが興味津々だったと思われます。

「美唄達布」は美唄市ではなく、かつての北村村域に存在します(そのため現在は「北村美唄達布」が正式な地名のようです)。あまりに右左折が多いことでも知られる道道 139 号「江別奈井江線」が近くを通っていますが、道道沿いに「旧石狩古川」という川が流れています。

この「旧石狩古川」は「旧美唄川」と合流して、旧美唄川は幾春別川と合流後に石狩川に注いでいます。石狩川もそうですが、美唄川や幾春別川、そして「旧美唄川」すらも近代の河川改修の結果、昔の流路と比べてかなり直線的なものに生まれ変わっています。

松浦武四郎がこの地にやってきた頃は、「旧石狩古川」が石狩川の本流でした。流路はほぼ S 字トラップのような形で、蛇行どころかほぼ U ターンするような曲がり方をしていました。南に向かって流れているはずの石狩川が北東に向きを変えた先に美唄川の河口があったため、石狩川に囲まれた土地のことを {pipa-o-i}-nutap で「{美唄川}・川の湾曲内の土地」と呼んだのでした。

「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。

扨此川。口までは針位卯に向ひ来り、川口より上は酉に向ふ也。此処大なる一ツのノタと成、其ノタを船曳越て遣る時は、凡一里半も近しと云り。則是を
     ヒハイノタフ
と云也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.181 より引用)
「ノタ」というのが nutap のことです。nutap の語義は土地によって若干のブレがあるようですが、ここ「美唄達布」では網走の「大曲」と同じ意味で解釈されていたようです。「美唄達布」のように {pipa-o-i}- が頭についているのは、近くにも同様の nutap があったからと考えられます。具体的には、「美唄達布」のほかにも……(つづく

幌達布(ほろたっぷ)

poro-nutap
大きな・川の湾曲内の土地
(典拠あり、類型あり)
幌向の北に「幌達布」と呼ばれる場所があります(「幌達布」も、「美唄達布」と同様にかつての北村村域の地名であるため、現在は正式には「北村幌達布」となっているようです)。幌達布の対岸には袋達布(新篠津村)もありますが、このあたりでは「美唄達布」と「幌達布」、そして幌向駅の西に nutap(川の湾曲内の土地)がありました。

これらの nutap の中では、幌達布(新篠津村では「袋達布」)の nutap がもっとも大きなものだったので、poro-nutap で「大きな・川の湾曲内の土地」と呼んだものと考えられます。

「再篙石狩日誌」の記述を引用しておきます。

此辺より丑寅の方え多く針位を取る。
     ホロノタフ
     ホロヒリ
     ヘンサイヲチ
ホロノタフと云は川流屈曲して大なる岬平地に成居るなり。其岬をノタフと云。ホロヒリ、ヘンサイヲチと云は小川にて、左りの方より落来る。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.180 より引用)
「ホロヒリ」と「ヘンサイヲチ」については「東西蝦夷山川地理取調図」や「登加知留宇知之日誌」にも出てきますが、具体的にどの川のことを指していたのかは不明です。

そして今頃重大なことに気づいたのですが、nutap が「達布」になった際に nu が抜け落ちているんですよね。知里さんの「──小辞典」によると、nutap は「ヌたㇷ゚」とのことで、アクセントは ta にあるとのこと。なるほど、それだと頭の nu が落ちるのもなんとなく理解できます。

ちなみに、tap だけだと「肩」を意味し、地形では「(山や崖などの)上の部分」を意味するとのこと。nup で「野原」という語彙もあるので、あるいは nutap は元々は nup-tap だったという可能性も、ほんの少しはあるかもしれません。

幌向(ほろむい)

poro-moy
大きな・川の曲り角の水のゆるやかに流れている所
(典拠あり、類型あり)
岩見沢市の南西端の地名で、同名の駅があります。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  幌 向(ほろむい)
所在地 岩見沢市
開 駅 明治 15 年 11 月 13 日(幌内鉄道)
起 源 もと「幌向太(ほろむいぶと)」といったが「幌内太」とまぎれやすいので、まもなく「幌向」と改めた。アイヌ語の「ポロ・モイ」(大きなよどみ)から出たもので、幌向川が石狩川に出るところが曲ってよどんでいるところから名づけられたといわれている。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.43 より引用)
なるほど、「幌向太」は「幌内太」と似ていて紛らわしいので「幌向」に改名した……とありますが、いくつか歴史的経緯を問われる記述と言えそうですね。

まず、現在は函館から札幌を経由して旭川に向かう「函館本線」の幌向駅ですが、開業当初は小樽から幌内(三笠市)に向かう「幌内鉄道」の駅でした。幌内鉄道の岩見沢から幌内までは後に「国鉄幌内線」となり、国鉄分割民営化の直後の 1987 年に全線廃止されています。

そして「紛らわしい」とされた「幌内太駅」自体も 1944 年に「三笠駅」に改名されています(現在の「クロフォード公園」)。「国鉄幌内線」が廃止されたことで諸々の「紛らわしい」が全部解決してしまっているのはなんとも皮肉な話ですね。

moy についてはいくつかの解釈があるというか、本質的には大体同じものを指しているのですが、日本語での表現に幅がある、と言ったところでしょうか。知里さんの「──小辞典」には次のように記されています。

moy, -e 【H】 / -he 【K】 もィ ①岬の陰になっているような波静かな海;浦;入江;入海。②【ナヨロ】川の曲り角の水のゆるやかに流れている所。③山谷の中で平地が湾のように入りこんでいる所。[< mo-i(静かな・所)]。④【ナヨロ】渦巻いている深淵。[<poye-i(かきまぜる・もの)?]。⑤【ホロベツ】山頂。【puy, muy と同原】
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.62 より引用)
この中では「⑤【ホロベツ】山頂」が本質的に意味の異なる語彙で、①から③については大体似通ったニュアンスのものです(④については似ているような、そうでもないような)。永田方正は④の解釈で捉えていたようで、永田地名解には次のように記されていました。

Poro moi putu  ポロ モイ プト゚  大渦ノ川口 ポロモイ川ノ石狩川ヘ入ル川口ナリ今「ポロムイプト」ノ停車場ニアラズ此停車場ノアル處ヲ「ホロムイブト」ト名ケタルハ非ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.69 より引用)
色々と「卵が先か鶏が先か」的な話になっていますが、常識的に考えると poro-moy(川名)の河口なので poro-moy-putu である、となります。そういう意味で「『ホロモイブト』は河口のあたりの地名だから駅の近くをそう呼ぶのは間違いだ」という永田方正の指摘は適切なものであるように思えます。

もっとも、poro-moy という川名が「駅名の起源」の言うように「幌向川の河口が淀んでいた」ことに由来するのであれば、「幌向太」が「幌向」になったところで、結局似たようなものじゃないか……とも考えられるのですよね。そして {poro-moy}-putu で「{大きな・川の曲り角の水のゆるやかに流れている所}・河口」というのも「屋上に屋を架す」感があるんですよね。

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