2023年8月20日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1065) 「沖万別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

沖万別(おきまんべつ)

o-kim-un-pet?
尻・山・についている・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚岸苫多の南西、尾幌分水の河口の北北東あたりの地名です。地理院地図では尾幌分水と苫多の間に川がひとつだけ描かれていて、明治時代の地形図ではその川のあたりに「オキマンペツ」と描かれています。

幸いなことにそれなりの数の記録が見つかったので、表にしてみます。

初航蝦夷日誌 (1850)ヤアアンベッ
竹四郎廻浦日記 (1856)ヤワンヘツ
午手控 (1858)ヤワンベツ  ヤワンは岡と言う事。
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ヤーマシヘツ
東蝦夷日誌 (1863-1867)ヤワアンベツ  岡川。アーは陸の事。
永田地名解 (1891)-
明治時代の地形図 (1897 頃?)オキマンペツ
陸軍図 (1925 頃)沖万別
地理院地図沖万別

なんということでしょう~松浦武四郎の記録では、ほぼ「ヤワンヘツ」で統一されていたのが、明治に入ってからコロっと「オキマンペツ」に置き換わったように見えます。

「陸のほうにある川」?

「ヤワンヘツ」は ya-wa-an-pet で「陸のほう・に・ある・川」となるでしょうか。「川が海やのうて陸のほうにあるのは当たり前やないかい、責任者出てこい!」と言いたくなりますが……。

オホーツク海に面した小清水町を流れる「止別川」という川がありますが、知里さんによるとこの川が ya-wa-an-pet だったのではとのこと。また知床半島に「テッパンベツ川」という川がありますが、「テッパンベツ川」の南西隣を流れる「ルシャ川」の別名が ya-wa-an-pet だったみたいです。

また、別寒辺牛川の西支流の「チャンベツ川」も ya-wa-an-pet ではないかという説がありました。これも(別寒辺牛川よりも)「手前のほうにある川」という解釈だった可能性がありそうでしょうか。

そう言われてみると……という話ですが、地理院地図に描かれている名称未詳の川の 0.3 km ほど南西にも、降雨時に水が流れそうな谷があります。あるいはこの谷が rep-an-pet(沖のほうに・ある・川)で、ya-wa-an-pet はそれと対比する形のネーミングだったのかもしれません。

ある日突然「オキマンペツ」に

ところが、明治時代の地形図では責任者[誰?]に断りなく「オキマンペツ」という名前に変わっていました。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されています。

 沖万別(おきまんべつ)
 厚岸湾沿いの漁村。川口に萱のある川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.271 より引用)
むむ、これは……。ki で「」を意味するので、o-ki-un-pet であれば「河口・茅・ある・川」となりそうですが、これだと「オキウンペッ」になってしまって「沖万別」とはならないような気もします。-un ではなく -oma だとしたら、o-ki-oma-pet で「河口・川・そこにある・川」となるかもしれませんが……。

「尻が山にある川」?

「おきまんべつ」という音を素直に捉えたならば、o-kim-un-pet で「尻・山・にある・川」となるでしょうか。知里さんが唱えた「地名人体化」の考え方では、川の「尻」は「河口」のことなので、尻が山の方にあるというのはちょっと意味不明な感じもしますが……。

また {o-kim-un-pe} で「山津波」という表現もあります。{o-rep-un-pe} で「津波」を意味する語があり、これは o-rep-un-pe で「尻・沖・についている・もの」と分解できるのでは……とのこと。となると o-kim-un-pe は「尻・山・についている・もの」となるでしょうか……?

「山津波」と「鉄砲水」

ここで言う「山津波」は「鉄砲水」のことかな……と思ったのですが、Wikipedia の「土石流」の項には次のようにありました。

土石流(どせきりゅう、英語: debris flow)とは、土石が河川の水と混合して、河川・渓流などを流下する現象のこと。渓流沿いで発生する土砂災害の代表的なものである。山津波鉄砲水泥流ともいう。
(Wikipedia 日本語版「土石流」より引用)。

また「鉄砲水」の項には次のようにありました。

日本の災害報道では1960年頃から山津波と同義語として使用されていたが、1975年頃からは土石流が使用されるようになり山津波や鉄砲水も同義語として使用されるようになった。その後、1991年の雲仙普賢岳の土石流災害で土石流が広く認知されるようになったことから土石流に対して用いられることは少なくなった。
(Wikipedia 日本語版「鉄砲水」より引用)。

改めて地形図を見てみると、尾幌分水から苫多にかけての海岸線で、海に注ぐ川らしい川は一つしかありません(前述の通り、南西隣にも谷はありますが、川としては描かれていないため、降雨時以外は水が無いものと思われます)。

「山から流れ来る川」?

このあたりでは山から海に流れる川は随分とレアなもので、また降雨時は一気に水量が増加すると思われます(鉄砲水?)。このことを指して o-kim-un-pet で「尻・山・についている・川」、平易な表現をすれば「山から流れ来る川」と呼んだ……という可能性もありそうかな、と思います。

十勝の本別町に「オキラウンベ川」という川があり、それと似た名前の川かもしれません。

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