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5 分ほど経過した後……右舷側に「東京ゲートブリッジ」が見えてきました!
2025年3月31日月曜日
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2025年3月30日日曜日
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サクハイまた、戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」にはもう少し詳細に記されていました。
岩石岩壁の間ニ滝有。風景よろし。風波の節は中々行がたし。
しばしにて
ホンサクハイ
ホロサクハイ
大岩峨々たる処の岬の名也。其左右少しの湾に成る。其名義は不解也。
(四丁卅二間)ホンサクハイ(川有、急流)幷 て(四丁廿二間) サクハイ(小川、急流、昆布場)、此處ソウヤ岳の東南に當り、灣をなし、ウトマウニと對す。
咲梅川(さくばいがわ)
庶野の北で海に出る川。サク・パイェーイで夏に行く路の意。
2025年3月29日土曜日
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ト ヨ イ「此上の山をトヨイノホリと云。神霊有て──」とあるのが気になりますが、東蝦夷日誌 (1863-1867) に詳細が記されていました。
峻嶮暫くにして(一里半)南山峨々たる間に一つの沼有。是をトヨイと云。深き沼也。其上なる蹊より見るに至て清く見ゆ。此上の山をトヨイノホリと云。神霊有てむかしより此山へ夷人共鹿を追て上りし時に暴雨甚敷、雷電厳敷、よつて早々帰り来りしとかや云伝ふ。少々行峠。トウブチ峠ともまた沼見峠とも云よし。前後の眺望よろし。
予此岳に登ん事を弘化度通行の時謀りしに、支配人なる者の談に、文化頃、或役人此岳に登り給ひしや、五六分にして晴天忽ち暗 り、此沼より雲立上り、大雷坤軸 を碎く如く、雨車軸 を流がし、其頂を窮めずして下り給ひぬ。
其後天保頃なりしが、松前の家來此岳に上らんと、土人の斷 を強て案内申附上り給ひしが、二三合目にしてまた空かき暗 り、大雨盆を傾け、自ら戰栗 して上り給はず、其御方三日を過て死し給ひしと聞。
其故土人も甚恐るゝ由申けるまゝ空しく心を齎 て有しが、去々辰年〔安政三年〕又登山の事を謀しに、一昨寅年〔安政元年〕堀使君〔利煕〕の御家來登山の事を被二仰付一候問、無レ據案内者を出せしが、是また果して大雷大雨にて上り給はず下り給ひぬ。
依て土人其山靈の著 に恐れて、案内を申付といへども逃去りて、來る者無よしを以て答るが故、又空敷 過たる、おかしくぞ有ける。
從レ峠右の山の半腹の狹き道行に、(左り)カムイトウ〔神湖〕(周廻一里餘) と云、其深知る者なし(從二往來一水際まで貳百餘問)。水色如レ藍、山の懷 に在る故、周圍高けれども其水増減なく、又流口もなし。是久摺 領なる摩周岳 の湖と同じ。
トウフチノホリはホロヰツミ領分にして、サルヽ番屋を出立し、弐里半にしてトウフチ峠有。是則トウフチ山のつゞきなるが故に此名有るなり。
其峠の峯つゞきにして北面に当り、峨々たる一ツの峻嶺にして、其名義は此麓にカモイトウと云る周り凡一里計の深き沼有。よつて此名有りと。トウフチとは沼端と云儀也。
こちらの山は「ト・オ・イ」で沼ある所と解されている。東裾にカムイトウ(神の沼)と呼んだ豊似湖がある山。
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2025年3月28日金曜日
2025年3月27日木曜日
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2025年3月26日水曜日
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2025年3月25日火曜日
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2025年3月24日月曜日
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2025年3月23日日曜日
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○サルヽヘツ
サリヘツ 左小川、番屋の向ふ也
サツサルヽ 右小川
ナンフケ
ノホリサルヽ 右小川
カルシコタン 左小休所。小川
タン子ナイ 右小川
此上小川多けれども当時名しれず
(平山、二十四丁) サツテクサルヽ(川原)是サルヽの乾たる義也。(一丁) ノホリサルヽ(川幅七八間)橋有、共にサルヽ〔猿留〕川に落る。
川兩濱にて(番の向)サリベツ(左川)、ヌフリサルヽ(右川)、ナンフケ(左川)是椎茸 取の住み所也。ワヽウシ(渡場)、カルシコタン(右川)、タンネナイ(右川)、此源少川數條有、鮭 ・鱒 ・鯇 ・桃花魚 ・杜父魚 多し。水淺冷、兩岸奇石怪岩多し。また瀑布も有て、分入る時は頗る奇觀有也。
| 東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | 午手控 | 東蝦夷日誌 | 北海道実測切図 | 陸軍図 |
|---|---|---|---|---|
| サルヽ | サルヽ | サルヽベツ | サロルンウシ川 | 猿留川 |
| - | サリヘツ | サリベツ | オン子ナイ | - |
| - | サツサルヽ | - | - | - |
| - | ナンフケ | - | - | - |
| - | - | - | オン子ペッ | (川名不明) |
| ノホリサル | ノホリサルヽ | ヌフリサルヽ | ヌㇷ゚リサロルン | チャツナイ澤 |
| サツテクサルヽ | - | - | サㇰテキサロルン | 登澤 |
| ロウシ | - | - | - | - |
| ナンフケ | - | ナンフケ | - | - |
| - | - | ワヽウシ | - | - |
| カルシコタン | カルシコタン | カルシコタン | カルシコタン | ワラビタイ |
| タン子ナイ | タン子ナイ | タンネナイ | タン子ナイ | 丹根内澤 |
| 東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | 午手控 | 東蝦夷日誌 | 北海道実測切図 | 陸軍図 |
|---|---|---|---|---|
| サルヽ | サルヽ | サルヽベツ | サロルンウシ川 | 猿留川 |
| - | サリヘツ | サリベツ | オン子ナイ | - |
| ノホリサル | ノホリサルヽ | ヌフリサルヽ | ヌㇷ゚リサロルン | チャツナイ澤 |
| サツテクサルヽ | サツサルヽ | - | サㇰテキサロルン | 登澤 |
| ナンフケ | ナンフケ | ナンフケ | - | - |
| カルシコタン | カルシコタン | カルシコタン | カルシコタン | ワラビタイ |
| タン子ナイ | タン子ナイ | タンネナイ | タン子ナイ | 丹根内澤 |
登沢川 (のぼりさわがわ) 猿留川下流左支流でアイヌ語「ヌプリ・サロロペッ」(山のサロロペツ) の意。
2025年3月22日土曜日
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ヲン子トウonne-to で「大きな・沼」ではないかとのこと。確かにそう解釈するしか無さそうですが、それらしき沼が見当たらないという致命的な問題が……。
是は此川上ニ有る名、海岸之字になりしものなり。ヲン子は大、トウは沼也。
Onne top オンネ トㇷ゚ 大竹(岬) 「アイヌ」此竹ヲ取リ籠ヲ作ルト云フふむふむ。onne-top で「大きな・竹」と考えたのですね。確かにこの解であれば近くに沼が無くても問題はないのですが、都合よく「竹」という対案が出てきたあたりに疑いの目を向けたくなるんですよね(性格が悪いのでは)。
2025年3月21日金曜日
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2025年3月20日木曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
もちろん夢は極めて重要な力を持つとみなされています。というのは、黒い球体となった魂は眠っている間に、その肉体から離れ、色々な働きのために出て行くと思われているのです。
わが国でもそうなのですが、夢というものは、しばしば、逆夢だと思われています。したがって、誰かに刺されたり、お金をなくした夢を見ることはいいことがあるということで、逆に、お金を拾う夢をみたならば、きっと近々物乞いに身を落とすことになるのです。
でも、日本の十二支の一つである「子 の日」に、寺で買い求めた大黒の絵を枕の下に置いて富の夢を見ると、1 年以内に運を呼び寄せることは確かです。
愛情と結び付けられた迷信には限りがありません。
女の子が畳 に、頭髪から長いヘアピン[簪、笄]を落とすと、その落ちた場所から畳の端まで畳の目を数えて、一つ目を「すき」二つ目を「きらい」……と続け、恋人が信頼できるかどうかを占います。
神道が栄えるところにはどこでも、神聖な木(御神木)があり、それにはところどころひらひらした藁の付いた「なわ」の輪のしるし[注連縄 ]がついていてその神聖さを記しています。
私は以前に愛の絶望がしばしば自殺を惹き起こすと述べました。しかし場合によっては、失恋した乙女は神の助けを借りた復讐へと駆り立てられるのです。
裏切った恋人にみたてた粗末な藁人形を作り、その身代わりの人形と釘と金槌を手にして、「丑 の刻」、つまり朝方の 2 時[丑三つ時]に、神社の杜に通う。そして、神聖な木に、藁で作った男を釘で打ちつけ、そうすることで、神に彼女の恋人に木を穢した罪を負わせ、その男に彼女の復讐を遂げるように神に拝みます。
このお参りは、復讐の相手が病になり死ぬまで、同じ時刻に毎晩続けられます。私は、そのような藁人形の男が打ち付けられた木を見たことがある──悲しみと情念の証しであり、いつの世もどんな国でも、心と心のあり方は一家のように似ていて、また嫉妬の徴しでもあり、これも他のどこの国でもそうであるように、日本でも「墓のように残酷」なのです。
I have seen such a tree with the straw effigy of a man nailed upon it ─ a token of sorrow and passion, of the family resemblance of heart to heart in all ages and lands, and of the jealousy which in Japan as elsewhere is “cruel as the grave.”
但しこの概念を提唱したルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは 1889 年生まれなので、イザベラが「家族的類似」という概念について言及することは(時系列的に)不可能です。
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2025年3月19日水曜日
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2025年3月18日火曜日
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2025年3月17日月曜日
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2025年3月16日日曜日
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| 東蝦新道記 (1798) | 鐚田奴月 | - |
|---|---|---|
| 東蝦夷地名考 (1808) | ヒタヽヌンゲ | ヒタヽは濡るゝの名、ヌンゲは撰事也 |
| 東行漫筆 (1809) | ビタヽヌムケ | 「ヒタヽルムケ」表記もあり |
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | ホンヒタ子シケ | - |
| 蝦夷地名考幷里程記 (1824) | ビタヽヌンケ | 波の碎ると譯す |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ビタヽヌンケフ | 瓠也。ヌンケフは形也 |
| 蝦夷紀行 (1854) | ビタヽヌイ | - |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ヒタヽヌンケ | - |
| 辰手控 (1856) | ヒタヽヌンケ | - |
| 午手控 (1858) | ヒタヽヌンケ | - |
| 東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | ヒタヽヌンケ | - |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ビタヽヌンケ | ビタヽは解く、ヌンケは撰む 少きより上り盛りし 此崕危き處を土人等爰を割開きし |
| 改正北海道全図 (1887) | ヒタヽヌンケ | - |
| 永田地名解 (1891) | ピタタヌンケㇷ゚ | 寶物ヲ與ヘタル處 |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | ピタタヌンケㇷ゚川 | - |
| 十勝地名考 (1914) | ピタタヌンゲプ | 「ピ」とは解く、「タタ」とは切る、 「ヌンケプ」とは選ぶという義 |
| 三等三角点「比多良毛」 点の記 (1917) | ピタランケ | (現在の「ピタタヌンケ川」) |
| 陸軍図 (1925 頃) | ピタタヌンケ | - |
一 ヒタ丶ヌンゲ
ヒタヽは濡るゝの名、ヌンゲは撰事也。蝦夷此處にて物をぬらし撰たるより名となれる歟。
夷語ビタヽヌンケとは波の碎ると譯す。扨、ビタヽとは解くと申事、ヌンケとは波の絶間なし、亦は撰むともいふ事にて、此海岸波のうね甲乙なく絶へす寄る故、地名になすといふ。
ビタヽヌンケフ「瓠」は「ひさご」で、ヒョウタンやユウガオなどの一年草を意味し、あるいは「ふくべ」で容器としてのヒョウタンを意味するとのこと。「ヌンケフは形也」というのも意味不明ですが、ヒョウタンの形をした何か(山?)があったのでしょうか。
訳而瓠也。ヌンケフは形也。
大崖の下廻りて、(十九丁五十間) ビタヽヌンケ〔鐚田貫〕(川有、六間、小休所有)名義、ビタヽは解く、ヌンケは撰むと事故也(地名解)。またビタヽヌンケは少きより上り盛りしを言より〔しカ〕(リクナシ、イフイサシ申口)、又此崕危き處を土人等爰 を割開きしに依て號 ると(惣乙名ハエヘク申口)。
Pi tata nunkep ピ タタ ヌンケプ 寶物ヲ與ヘタル處 「ピ」ハ解ク、「タタ」ハ切ル「ヌンケプ」ハ擇ブ處ノ義往昔十勝「アイヌ」來攻大ニ敗ラル竟ニ荷物ヲ解キ切リテ寳物ヲ撰ミ之ヲ與ヘ降ヲ乞ヒシ處ナリト云フ何故か武勇伝(と敗走譚)の多いことで知られる「十勝アイヌ」が「日高アイヌ」との戦いに大敗したため、降伏に際して荷を解き宝物(賠償品)を差し出した場所だ……と言うのですが、山田秀三さん風に言えば「説話くさい」解ですね。『十勝地名考』もこの解をそのまま踏襲していました。
土屋茂氏によると,土地のアイヌ古老や一般の人たちはビタランケと呼んでいた由。ピタル・ランケ(小石川原・を下す),あるいはピッ・ランケ(小石・を下す)と聞こえる。ピタタヌンケㇷ゚の簡略化された形であったか,あるいは元来からその称があったものか。難しい地名である。
地元でアイヌ語の地名研究をしておられる土屋茂氏は、アイヌの古老や地元では、ピタランケと呼んでおり、現地を調査した結果ピタルは小石川原と解し、ヌンケについては不明であると記した(南十勝地名考)。
アイヌの古老などがいうピタランケであれば、ピタル・ランケ・プ「小石川原・下方にある・もの(川)」と、解せそうである。
tununkot, -i ト゚ぬンコッ 谷間;狭間。[<utur(間)un(にある)kot ( 谷)]
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2025年3月15日土曜日
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(六丁卅間) ムエケシ(小澤、漁場) 灣の端と云儀。海中大岩有、是をレフンシユマと云。
Moi keshi モイ ケシ 灣端また『十勝地名考』(1914) にも次のように記されていました。
モイ・ケシ
「モイ」とは静なるという心にして、ここは湾あるいは港をいう。「ケシ」とは端という意、函館の旧称臼岸(ウスケシ)、又厚岸(アッケシ) のケシと同意義なり。
2025年3月14日金曜日
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2025年3月13日木曜日
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2025年3月12日水曜日
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2025年3月11日火曜日
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2025年3月10日月曜日
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2025年3月9日日曜日
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シュマラウス 野塚川の北海岸。
島臼 (しまうす) 野塚川口の北海岸。アイヌ語「シュマ・ウシ」で, 石が多いの意。
しまらうす シマラウス <広尾町>
〔近代〕昭和23年~現在の広尾町の行政字名。もとは広尾町大字広尾村の一部。アイヌ語で岩,下り道のある所の意による地名。行政区は音調津(おしらべつ)。
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | ヨシランヘ川 | タン子イシヨ | ホンヒタ子シケ |
|---|---|---|---|
| 蝦夷地名考幷里程記 (1824) | ヲシランベツ | ルベシベツ | ビタヽヌンケ |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヲシラベツフト | ルベシベシ ヱコアヱウタ チカフシウシ ソウウシベ タン子シヨ チヨマナイ レフシベ トモチクシ | ビタヽヌンケフ |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ヲシラヘツ | ヲクチシ峠 ヒナイ | ヒタヽヌンケ |
| 辰手控 (1856) | ヲシラヘツ | ヲクチシ峠 ルヘ ヲクチシ崎 ヒナイ | ヒタタヌンケ |
| 午手控 (1858) | ヲシラルンベ | サトシランベ | ヒタヽヌンケ |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヲシラルシベツ | ムエケシ ルウクシ カムイサンヌイワ アエワタラ エマコエウク チカフンウシ ソウウシベ タン子エシヨ チヨマナイ レフシ トモチクシ | ヒタヽヌンケ |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ヲシラベツブト | レフンシユマ ムエケシ ルベシベツ ヒナイ エコアエウシ ホロイソ ソウウシベ タンネソウ チヨマナイ レフシヘ トムチクシ ホントモチクシ | ビタヽヌンケ |
| 改正北海道全図 (1887) | 音調津 | ルウシ ヒナイ | ビタヽヌンケ |
| 永田地名解 (1891) | オシラルンベ | オㇰチシ モイケシ ルペㇱュベ アイワタラ チカㇷ゚ウシ ト゚モチクシ | ピタタヌンケㇷ゚ |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | オシラルンペ川 | ヒマラニシ モイケシ ルペㇱュペ チカㇷ゚ウシ ルーラノシ ヨコマ サマイクニプ タン子ソー シモチクワㇰカ エクシペワタラ ト゚モチクシ オタオッチシ | ピタタヌンケㇷ゚川 |
| 十勝地名考 (1914) | オシラルンベ | ヒマラヌシ モイ・ケシ ルペシンペ チカプ・ウシ ローラノシ ヨロマ サマイクンプ タンネ・ソ- シモチク・ワッカ ドモチケン オタ・オツ | ピ・タタ・ヌンゲプ |
| 陸軍図 (1925 頃) | ムイケシ ルベシベツ タニイソ | ピタタヌンケ | |
| 地理院地図 | 音調津 | 字シュマラウス モエケシ ルベシベツ タンネソ | ビタタヌンケ |
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | ヨシランヘ川 | - | - | - |
|---|---|---|---|---|
| 蝦夷地名考幷里程記 (1824) | ヲシランベツ | - | - | ルベシベツ |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヲシラベツフト | - | - | ルベシベシ |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ヲシラヘツ | ヲクチシ峠 | - | - |
| 辰手控 (1856) | ヲシラヘツ | ヲクチシ峠 | - | ルヘ |
| 午手控 (1858) | ヲシラルンベ | - | - | - |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヲシラルシベツ | - | ムエケシ | ルウクシ |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ヲシラベツブト | レフンシユマ | ムエケシ | ルベシベツ |
| 改正北海道全図 (1887) | 音調津 | - | - | - |
| 永田地名解 (1891) | オシラルンベ | オㇰチシ | モイケシ | ルペㇱュベ |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | オシラルンペ川 | ヒマラニシ | モイケシ | ルペㇱュペ |
| 十勝地名考 (1914) | オシラルンベ | ヒマラヌシ | モイ・ケシ | ルペシンペ ルペシペツ |
| 陸軍図 (1925 頃) | - | ムイケシ | ルベシベツ | |
| 地理院地図 | 音調津 | 字シュマラウス | モエケシ | ルベシベツ |
(六丁卅間) ムエケシ(小澤、漁場) 灣の端と云儀。海中大岩有、是をレフンシユマと云。名義、沖の岩と云義。濱まで(二十丁三十間)ヲシラベツブトに到る。
なお「ルベシベツ」と「ムエケシ」(=モエケシ)の間の距離も「六丁卅間」とあり、これも約 0.7 km ほどなので、このあたりの記録はかなり信用できそうに思えます。
ヒマラヌシ
山あるいは岸などの高きところより、石の落ち来るところとの義なり。
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2025年3月8日土曜日
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| 大日本沿海輿地全図 (1821) | ヨシランヘ川 | - |
|---|---|---|
| 蝦夷地名考幷里程記 (1824) | ヲシランベツ | ヲとは有るの訓。シラリは潮の事。 |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヲシラベツフト | - |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ヲシラヘツ | - |
| 辰手控 (1856) | ヲシラヘツ | - |
| 午手控 (1858) | ヲシラルンベ | - |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヲシラルシベツ | - |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ヲシラベツブト | - |
| 改正北海道全図 (1887) | 音調津 | ヲシラルシ川 |
| 永田地名解 (1891) | オシラルンベ | 磯多キ處 |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | オシラルンペ川 | - |
| 十勝地名考 (1914) | オシラルンベ | 岩石多き磯 |
| 陸軍図 (1925 頃) | - |
O-shirar’un be オシラルン ベ 磯多キ處o-sirar-un-pe で「河口・磯(水中の岩盤)・ある・もの(川)」と読めそうでしょうか。山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) にも次のように記されていました。
今の音調津の音は,たぶんオシラルンペッ(o-shirar-un-pet 川尻に・岩・がある・川)あるいは un を省いたオシラル・ペッの形から残った名であろう。
行ったら,海に岩が見えないのでおやと思ったが,聞いて見ると漁港のテトラポッドが積んであるのは岩礁の上だし,それから南は海難があって恐れられていた大岩礁だとのことであった。
2025年3月7日金曜日
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2025年3月6日木曜日
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2025年3月5日水曜日
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2025年3月4日火曜日
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2025年3月2日日曜日
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| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヲナヲベツ | 川有。歩行渉り。上ニ滝有。 |
|---|---|---|
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ヲナウヘツ | - |
| 辰手控 (1856) | ホンヲナウヘツ | - |
| 東西蝦夷 山川地理取調図 (1859) | ヲナヲヘツ | - |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | エナヲベツ | 小川 |
| 改正北海道全図 (1887) | ヲナヲコツヘ | - |
| 永田地名解 (1891) | オナウケオッペ | |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | オナウケオッペ | - |
| 十勝地名考 (1914) | オナヲベツ | 「オナウケ・オツ・ベ」で「蔓掛け」 |
| 陸軍図 (1925 頃) | オナオベツ | - |
| 北海道地名誌 (1975) | オナオベツ | 「オナウケオッペ」(そこに鈎をおくところ) |
| 地理院地図 | ヲナヲベツ | - |
過てエナヲベツ(小川)、寛政度近藤・最上此處より新道を切初しが故に、爰 にて木幣を作り神に手向し故此名有と。
O-nauke ot pe オ ナウケ オッ ペ永田さんが熱弁を振るっている……ということは、自信のなさの現れだったりして……(ぉ)。nawke ではなく nawkep であれば、『地名アイヌ語小辞典』(1956) に次のように記されていました。蔓掛 往時山道ノ入口ナル瀧ノ傍ニ葡萄蔓ヲ懸ケ之レヲ攀援シテ上下セシ處ナリト「アイヌ」云フ「オナウコツペ」ハ「オ、ナウケ、オツ、ペ」ノ急言、「オ」ハ山腰「ナウケ」ハ掛ケル、「オツペ」ハ在ル處ノ義
nawkep, -i なゥケㇷ゚ 木かぎ。──自然の木の枝をそのまま利用してつくる。これで高い所にある枝を引きよせて果実を採集したり,山中で魚(マスなど)をとったが容器も縄もないというようなばあいに即席に木の枝を切ってこれを作り,5 本でも 10 本でもそれに剌して引いて来たりする。
ナウケという語を知らないが,木のまたを利用して作り,物を引っかける道具をナウケ・ㇷ゚という処から見ると,永田氏の書いたような意味があったのであろうか。
wa わ 【H 北;K】《不完》 水中を歩いてわたる; 徒渉する; かちわたりする。nay ~ 川を徒渉する。
2025年3月1日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | フンヘヲマモイ | - | ビホロ川 |
|---|---|---|---|
| 蝦夷地名考幷里程記 (1824) | - | - | ビボロ |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | フンベヲマナイ | ヱヒヲアエ | ヒヨロ |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | フンベマモイ | イヘニマヱ | ヒホロ |
| 辰手控 (1856) | フンヘマモイ | イヒニマイ(山道) | ヒホロ |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | フンヘヲマナイ | ヌヒンナイ | ヒホロ |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | フンベマムイ(岩岬) | エヘニマイ(岩山幷び) | ビボロ |
| 改正北海道全図 (1887) | フンヘモイ | - | 美幌 |
| 永田地名解 (1891) | フンベ オマ ナイ | イベニ マイ | ピ ポロ |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | ワッカチヨコキイ | イペニマイ | ピポロ川 |
| 北海道地形図 (1896) | ワㇰカチヨコキイ | - | ピポロ川 |
| 十勝地名考 (1914) | フンベ | エビニマイ | - |
| 陸軍図 (1925 頃) | 濱フンベ | - | 美幌 |
| 地理院地図(地名情報) | フンベ | 字エビニマイ 字エヒニマイ | 美幌 |
ヱヒヲアヱ風光明媚な場所っぽいですが、それ以上のことは何もわかりませんね(汗)。
同じく岩磯なり。其風景さまざま目を驚かせり。
ビボロ〔美幌〕川を過て小石濱、(七丁五間)マタルクシ(小澤)名義は冬路越と言儀。昔し新道無りし頃に此上を越たる處のよし也。大岩崖の下を過、(一丁十間) エヘニマイ(岩山并び)、小瀧有。惣 て岩に當りて落、頗る風景の趣也。
イペニマイ
イベニマイ(営林署図)
美幌から北へ 0.7 キロの小さな出先付近の地名。
Ibeni mai イベニ マイ ? 「アイヌ」云墜雪ノ爲メニ行人死シタレバ此名アリトおお、久しぶりに伝家の宝刀「?」が出ましたね。この解について前述の鎌田さんは次のように評していました。
場所がらこのような事故があることも考えられる地形ではある。イペ・ノ・オマ・イ(食物・充分・にある・所) とも解せそうであるが、どうも現地とあわない。何んともわからない地名である。
エビニマイ
原称は「エベノマイ」にて、真西に向うところとの意なり。