この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
旅先の珍しさ
第三十一信は次の文から始まっています。昨日はよい天気であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.325 より引用)
第三十信は冒頭に「黒石にて 八月五日」と明記されているのですが、第三十一信は「黒石にて」としか記されていません(原文では Kuroishi. のみ)。イザベラが隣家伊藤がついて来るのを初めて断って、私は一人で人力車に乗り、たいそう楽しい遠出をして、山で行き止まりの道を進んだ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.325 より引用)
イザベラは通訳兼アシスタントの伊藤を伴って旅をしているのですが、自身はどの程度の日本語を操ることができたのでしょう。伊藤を伴わずに人力車に乗る……ということは、自力で車夫と交渉したのでは……と思わせますが、あるいは交渉までは伊藤も立ち会ったとかでしょうか……?車夫は親切で楽しそうな良い人間で、外国人が一度も来たことのないような町へ、外国人のようなすばらしい見世物を乗せてゆく機会が得られたことをたいそう喜んでいる、と伊藤が言っていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.325 より引用)
あ、軽く種明かしがありますね。やはり交渉には伊藤も同席したっぽい感じでしょうか。ただ「外国人のようなすばらしい見世物」という表現は、色々と良くないような……(言い回しはさておき、人種差別そのものとも言えるので)。私は、日本の中を旅行するのは絶対に安全だということをだいぶ前からよく理解していたから、粕壁 で私が危険を感じて恐ろしかったことも、今ではばからしく思われてくる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.325 より引用)
「絶対に安全」というのは思い切った表現ですが、原文を見てみると……In the absolute security of Japanese travelling, which I have fully realised for a long time,
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
確かに the absolute security of Japanese travelling とありますね。そして粕壁(春日部)で何があったかと言うと……宿屋で「怖い思いをした」という話のようですね。夜中に大勢で拍子木を叩いて「火の用心!」と繰り返しながら練り歩くというのも、それを知らない人にとっては恐怖の対象となり得る……ということですね。人力車の上からイザベラが眺めた景色は「素朴で家庭的な風景であり、まことに楽しい土地であった」とのこと。「美しい」や「みすぼらしい」という表現が出てこないあたり、イザベラの感性がワンランクアップしたような気もするような……そうでもないような……(どっちだ)。
粗末な住居
イザベラは「農民は実に原始的な住居に住んでいる」とも記していました。原文では very primitive habitations で、wretched(みすぼらしい)ではありません。イザベラが「原始的な住居」と記したのは……壁土の家で、あたかも手で木の枠に泥をなすりつけた感じである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.325-326 より引用)
あー。でも竹の格子に土を塗り固めた壁って、昭和の頃でも普通に見かけたような気がします。これって「竹小舞土壁」と言うそうですね。壁は少し内側に傾斜し、藁葺きも粗末で、軒は深く、いろんな材木でおおわれていた。煙の穴のある家もあったが、大部分は煉瓦窯のようにあたり一面に煙を出していた。窓はなく、壁と垂木は黒光りしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.326 より引用)
「壁は少し内側に傾斜し」というのは、確かにちょっと不安を覚えますね。「壁と垂木は黒光りしていた」ともありますが、これは煤によるものでしょうか。木材を燻煙させることで腐りにくくし、また防虫の効果もある……なんて説もありますが、当時はどこまで意図的に行われていたのでしょうか。いつの間にかそうするのが当たり前になってしまって、効能・効用が意識されなくなったというオチがあったりして……。原始的な素朴さ
イザベラは、農家とそこでの人々の暮らしぶりを詳らかに記していました。鶏や馬は家の内部の片側に住み、人は別の側に住んでいる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.326 より引用)
ふむふむ。畜舎と家が一体化しているのですね。家には着物をつけていない子どもたちが群がっていた。私が夕方にふたたび通ったときには、腰まで裸の男女が、家の外に腰を下ろしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.326 より引用)
あー……。これは明治政府にとっては隠しておきたかった話かも。それだけおおらかな時代だったと言えるのかもしれませんが、「近代的」な暮らしだったかと言われると、若干の疑問が出てきそうなエピソードです。一方で、イザベラは「百姓たちは多くの良い馬をもち、その作物もすばらしかった」としていて、また「彼らがそれほど貧乏だとは思えない」とも記しています。彼らは「現在の生活に満足している」としつつ、次のように続けていました。
しかし彼らの家は今まで見たことがないほどひどいものであり、泥まみれになったエデンの園の素朴な生活といった感じで、毎週一回でも入浴しているだろうかと疑いたくなる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.326 より引用)
入浴については……まぁ、ごく一部の都市部を除けば必要最低限だったのだろうなぁ……と想像できます。家畜とともに暮らしていたということもあるので、臭気の面や衛生面では今とは比べ物にならないところが多々あったのでしょうね。www.bojan.net
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