2014年2月11日火曜日

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「日本奥地紀行」を読む (34) 春日部 (1878/6/10)

 

引き続き、1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)を見ていきます。

私的生活の欠如

イザベラの奥地への旅で最初に投宿したのが「粕壁」(春日部)でした。その時の様子を、イザベラは実に詳らかに記しています。

伊藤は、このときだけ私の指示を受けて、徽臭い緑色の麻の粗布で作った大きな蚊帳の下に私の携帯用ベッドを広げ、私の浴槽にお湯を満たし、お茶や御飯や卵をもってきたり、私の旅券を宿の亭主のところに持っていって写させた。それが終わると、どこか知らぬところに去った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.78-79 より引用)
「伊藤」とは、通訳 兼 雑用係の伊藤少年のことですが、その利発さを高く評価する反面、どうしても警戒せざるを得ない、と思っていた節があります。この記載を見る限り、きちんと仕事はするけれど、裏で何を企んでいるか知ったことでは無い……と感じていたことがありありと見て取れますね。

イザベラは宿屋で、ここまでの旅の経過を記した手紙を書こうとしたのですが、様々な要因でそれが容易ではないことを悟ります。

手紙を書こうとするのだが、蚤や蚊がうるさかった。その上さらに、しばしば襖が音もなく開けられて、幾人かの黒く細長い眼が、隙間から私をじっと覗いた。というのは、右隣の部屋には日本人の家族が二組、左隣の部屋には五人いたからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.79 より引用)
この宿屋は「旅籠」だったのだと思われますが、客間と客間の間は襖で仕切られているだけだったようです(あるいは間に廊下があったかも知れませんが)。現代の日本では基本的にはあり得ないと思うのですが(民宿であっても間仕切りは襖だけ、ということはあまり無いのではないかと)、当時はそれが当たり前だったと言うことでしょう。

当時の日本人の不躾な行動を非難することは容易いことですが、当時、すぐ隣の部屋に西洋人の女性が投宿している……と知ったら、一目その姿を見たくなるのはやむを得なかったのではないかと擁護したくなります。何しろその物珍しさは、現代におけるトップクラスの芸能人以上のものがあったんじゃないかな……と。

そういった好奇の、あるいは珍奇の視線に始終晒され続けたイザベラは、やはり相当にストレスとして感じていたようです。

私は、障子と呼ばれる半透明の紙の窓を閉めてベッドに入った。しかし、私的生活の欠如は恐ろしいほどで、私は、今もって、錠や壁やドアがなくても気持ちよく休めるほど他人を信用することができない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.79 より引用)
こうやって考えてみると、横浜などで外国人居留地を設けたのは、ある意味理に適っていたのだなと思えてきます。純朴な民の住む世界において広く見られる開けっぴろげな風習は、旅慣れたイザベラにとって「警戒せざるもの」となったのも仕方がなかったのでしょう。

隣人たちの眼は、絶えず私の部屋の側面につけてあった。一人の少女は、部屋と廊下の間の障子を二度も開けた。一人の男が──後で、按摩をやっている盲目の人だと分かったのだが──入ってきて、何やら《もちろん》わけの分からぬ言葉を言った。その新しい雑音は、まったく私を当惑させるものであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.79 より引用)
少女は好奇心からイザベラの姿を一目覗き見ようとしたのでしょうか。「わけの分からぬ言葉」を発した盲目の男性は一体何をしようとしたのでしょう。

騒がしい群衆

イザベラにとって、図らずも「心休まらぬ夜」となってしまった春日部での一夜ですが、それは覗き見からのストレスだけでは無かったようです。

片方ではかん高い音調で仏の祈りを唱える男があり、他方ではサミセン《一種のギター》を奏でる少女がいた。家中がおしゃべりの音、ばちゃばちゃという水の音で、外ではドンドンと太鼓の音がしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.79 より引用)
この騒ぎは一体何だったのでしょう。想像ですが、日本中(と言っても範囲は限られていたでしょうが)を旅して回る一座が偶々同じ宿に泊まっていた、といったあたりでは無かったのでしょうか。当時の日本の宿場町が、どこでも毎晩どんちゃん騒ぎをしていた、というのは俄には信じがたいものがあります。イザベラは運が悪かったのだ……と思いたいです。

街頭からは、無数の叫び声が聞こえ、盲目の按摩の笛を吹く音、日本の夜の町をかならず巡回している夜番の、よく響き渡る拍子木の音がした。これは警戒のしるしとして二つの拍子木を叩くもので、聞くにたえないものだった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.79 より引用)
もっとも、この「拍子木の音」については日常の光景だったのでしょうね。今でも冬場には「火の~用~心!(カン、カン!)」という声を耳にします(ん、もしかして田舎だからですかね?)。イザベラは拍子木の音がお気に召さなかったようです。

夜の心配

イザベラは春日部にて、心配事だらけの一夜を過ごすことになります。貴重品の盗難を気にしなければならなかった上に、衛生面でも不安を感じたようです。

私のお金はその辺にころがっていたから、襖から手をそっとすべりこませて、そのお金を盗んでしまうことほど容易なことはないように思われた。井戸はひどく汚れているし、ひどい悪臭だ、と伊藤が私に言った。盗難ばかりでなく、病気まで心配せねばならない! 私はそんなことをわけもなく考えていた。(*)
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.79-80 より引用)
しかし、衛生面の不安はさておき、貴重品の盗難などは全くの杞憂だったことを、次のように書き記しています。

私の心配は、女性の一人旅としては、まったく当然のことではあったが、実際は、少しも正当な理由がなかった。私はそれから奥地や北海道(エゾ)を一二〇〇マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.80 より引用)
この「世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている」という第一級の賛辞は、良き伝統として大事に守っていかないといけませんよね。

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