2025年4月20日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1230) 「ピリカノカ襟裳岬・オショロスケ川・焼別川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ピリカノカ襟裳岬(オンネエンルム)

onne-enrum
長大な・岬
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
北海道の脊梁山脈の最南端に位置する岬です。地理院地図で襟裳岬を見ると、岬の先に伸びる岩礁群のところに「∴ピリカノカ襟裳岬(オンネエンルム)」と描かれています。

襟裳岬がどのように呼ばれてきたか、手元の資料をまとめてみました。

東蝦夷地名考 (1808)ヱリモ崎古名ヱンルモイドと云
東行漫筆 (1809)エリモの崎鼠之事を云
大日本沿海輿地全図 (1821)ヱリモ岬-
蝦夷地名考幷里程記 (1824)ヱリモ鼠といふ事
初航蝦夷日誌 (1850)ヱリモ岬遠くより見る時は鼠の如し
竹四郎廻浦日記 (1856)エリモ岬-
辰手控 (1856)エリモはオン子エンルンと云処也
午手控 (1858)エリモむかし此処の岩皆鼠の如く見えし
東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
エリモサキ沖合に「ヲン子エンルン」の記載あり
戊午日誌 (1859-1863)エリモサキ鼠の形ち成る故
東蝦夷日誌 (1863-1867)エリモ岬遠くより眺む時、鼠の伏たる如き故
蝦夷地道名国名郡名之儀
申上候書付 (1869)
エリモ岬をヲンネエンルンと言て
改正北海道全図 (1887)襟裳岬-
アイヌ語地名の命名法 (1887)エリモザキ(岬)Enrum nottu「ネズミ岬」
永田地名解 (1891)オンネ エンルㇺ襟裳岬ノ元名
北海道実測切図 (1895 頃)襟裳岬-
アイヌ語地名単語集 (1954)エン「尖っている」、ルム「頭」
これが訛ってエドモともエリモともなる
地名アイヌ語小辞典 (1956)en-rum岬[つき出ている・頭]
北海道地名誌 (1975)襟裳岬「エンルㇺ」で岬の意
北海道の地名 (1994)襟裳岬enrum 岬

見落としもあると思いますが、大体こんな感じでしょうか。「襟裳えりも」は erum で「ネズミ」だとする解が長らく大勢を占めていましたが、「北海道駅名の起源 (1973) (昭和29年版)」の付録だった「アイヌ語地名単語集」(執筆:知里真志保)で en-rum で「尖った・頭」という解釈が出され、現在はこの解釈が一般的です。

また「ヲンエンルン」という記録もありますが、これは onne-enrum で「長大な・岬」と考えられます。「オン子エンルン」という呼び方は、えりも町の隣の様似町にも「エンルム岬」があり、この岬を pon-enrum(小さな・岬)と呼んだのに対比するものとされます。

そして問題の「ピリカノカ」が全く出てこないのですが、実は……「室蘭の観光情報サイト おっと!むろらん」にこんな風に記されていました。

北海道には、アイヌのユーカラに謡われた物語や伝承の舞台をはじめ、アイヌ語により命名された独特の地形から成る土地など、文化財として保護すべき名勝地が数多く存在します。これらの言語に彩られた、良好な自然の風致景観を持つ優秀な景勝地をアイヌ語で「美しい・形」を意味する「ピリカノカ」と総称し、国指定の名勝として保護されています。
は? なんと……そういうオチでしたか。pirka は「良い」とか「美しい」という意味で noka は「形」とか「像」とか「姿」を意味しますが、これらの語を組み合わせて「創出」された「概念」だったんですね(つまり地名ではない)。

確かに、改めて考えればアイヌ語の地名としては奇妙なものですが、アイヌ語の単語が組み合わされていると、昔からそう呼ばれていた……と勘違いする人が出てくるかもしれません(私のように)。気をつけたいものです(汗)。

オショロスケ川

esoro-us-ke??
それに沿って下る・いつもする・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町油駒と東洋の間、ジェイ・アール北海道バス・日勝線の「南東洋」バス停のあたりを流れる川です。川を遡った先には航空自衛隊襟裳分屯基地があります。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) に「ヲチヨロケ」と描かれているのが現在の「オショロスケ川」でしょうか。『北海道実測切図』(1895 頃) には「オシヨロシケ」と描かれています。

戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。

また少し行て
     ヲチヨロツケ
大岩峨々たる処、其名義はしらざる也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.199-200 より引用)
松浦武四郎は「意味はわからない」としていますが、頭注には次のようにありました。

o 尻が
sir 断崖に
us ついている
ke ところ
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.199 より引用)
他に『午手控』(1858) には「ヲショロスケ」とあり、東蝦夷日誌 (1863-1867) には「ヲチヨロツケ」とあります。残念ながらどちらも意味については記されていません。

あと、『初航蝦夷日誌』(1850) にはそれらしい地名が確認できません。ちょっと気になったので対比表にまとめてみました。

初航蝦夷日誌戊午日誌「南岬志」東西蝦夷山川地理取調図 (1859)現在名
ヲニタラヽフヲニタヽラフヲントタル歌露
ヱンシヤニエイシユマエイシユマ-
-ヒン子ワタラ--
-マチワタラ--
リフンヱントモリフンエントモ-エンドモ
ヲリマツフチカフノコエチカフノツ-
ヤンケヘツヤンケフチ焼別川
ヲチヨロツケヲチヨロケオショロスケ川
シヽヤモサキシヽヤモサキ--
-ホンヌルホンヌル-
アブラコマアブラコマシリホク油駒

初見ではかなり違いがあるように見えたのですが、表にしてみるとそれほどでも無かったですね……。

頭注の o-sir-us-ke で「尻・断崖に・ついている・ところ」という解も傾聴に値しますが、カナ表記では「オルスケ」となり、「ヲショロスケ」との違いが気になります。

osor-us-ke で「尻・ある・ところ」だとすればどうでしょう。カナ表記だと「オショルシケ」となるので悪くないのですが、一般的には osor-kot で「尻・くぼみ」となりますし、そもそも「尻があるところ」というのは意味不明です。

では o-so-us-ke で「河口・水中のかくれ岩・ある・ところ」はどうか……と思ったのですが、これだと「オショスケ」になってしまい「ロ」の出どころが不明になってしまいますし、そもそも -us-ke となる必然性も見いだせないような気がします(素直に -us-i でいいのでは)。

ちょっと変化球ですが、esoro-us-ke で「それに沿って下る・いつもする・ところ」とかはどうでしょうか。カナ表記では「ショロシケ」となり、「エ」が「ヲ」に化けたことになりますが、道路がアップダウンを繰り返す地形にも合っているような気もするのですが……。まぁ、山田秀三さん風に言えば「試案にすぎない」のですけどね。

焼別川(やぎべつ──?)

yanke-pet
陸に上げる・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町東洋のほぼ真ん中を流れる川です。現在の読み方が不明だったのですが、えりも町の Web サイトの pdf に「ヤギベツ川」という表記がありました。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヤンケフチ」というコタンが描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) には「ヤン?ペツ」という川が描かれています。陸軍図では「ヤンケベツ」は地名扱いになっています。

戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。

また少し行て
     ヤンケヘツ
小川也。沢目の間に有。水少し有。其名義は何品によらず此川え打上るによつて号るとかや。ヤンケはゆり上ると云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.199 より引用)
「ヤンケヘツ」は「色んなものが打ち上げられる川」だとしています。「ヤンケはゆり上がるという意味だ」としていますが、yan が「陸へ上る」で yanke だと「陸に上る」というニュアンスになるので、yanke-pet で「陸に上げる・川」と捉えたほうが良さそうでしょうか。

永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Yange pet   ヤンゲ ペッ   揚川 諸物ヲ海ヨリ川ヘ運ビ陸揚スル處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.287 より引用)
同じようでいて、やや具体的な表現になっています。「(勝手に)ものが打ち上げられる川」と言うよりは、yanke-pet で「陸に上げる・川」と見て良さそうですね。

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