(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
ピリカノカ襟裳岬(オンネエンルム)
onne-enrum
長大な・岬
長大な・岬
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
北海道の脊梁山脈の最南端に位置する岬です。地理院地図で襟裳岬を見ると、岬の先に伸びる岩礁群のところに「∴ピリカノカ襟裳岬(オンネエンルム)」と描かれています。襟裳岬がどのように呼ばれてきたか、手元の資料をまとめてみました。
東蝦夷地名考 (1808) | ヱリモ崎 | 古名ヱンルモイドと云 |
---|---|---|
東行漫筆 (1809) | エリモの崎 | 鼠之事を云 |
大日本沿海輿地全図 (1821) | ヱリモ岬 | - |
蝦夷地名考幷里程記 (1824) | ヱリモ | 鼠といふ事 |
初航蝦夷日誌 (1850) | ヱリモ岬 | 遠くより見る時は鼠の如し |
竹四郎廻浦日記 (1856) | エリモ岬 | - |
辰手控 (1856) | エリモはオン子エンルンと云処也 | |
午手控 (1858) | エリモ | むかし此処の岩皆鼠の如く見えし |
東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | エリモサキ | 沖合に「ヲン子エンルン」の記載あり |
戊午日誌 (1859-1863) | エリモサキ | 鼠の形ち成る故 |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | エリモ岬 | 遠くより眺む時、鼠の伏たる如き故 |
蝦夷地道名国名郡名之儀 申上候書付 (1869) | エリモ岬をヲンネエンルンと言て | |
改正北海道全図 (1887) | 襟裳岬 | - |
アイヌ語地名の命名法 (1887) | エリモザキ(岬) | Enrum nottu「ネズミ岬」 |
永田地名解 (1891) | オンネ エンルㇺ | 襟裳岬ノ元名 |
北海道実測切図 (1895 頃) | 襟裳岬 | - |
アイヌ語地名単語集 (1954) | エン「尖っている」、ルム「頭」 これが訛ってエドモともエリモともなる | |
地名アイヌ語小辞典 (1956) | en-rum | 岬[つき出ている・頭] |
北海道地名誌 (1975) | 襟裳岬 | 「エンルㇺ」で岬の意 |
北海道の地名 (1994) | 襟裳岬 | enrum 岬 |
見落としもあると思いますが、大体こんな感じでしょうか。「
また「ヲン
そして問題の「ピリカノカ」が全く出てこないのですが、実は……「室蘭の観光情報サイト おっと!むろらん」にこんな風に記されていました。
北海道には、アイヌのユーカラに謡われた物語や伝承の舞台をはじめ、アイヌ語により命名された独特の地形から成る土地など、文化財として保護すべき名勝地が数多く存在します。これらの言語に彩られた、良好な自然の風致景観を持つ優秀な景勝地をアイヌ語で「美しい・形」を意味する「ピリカノカ」と総称し、国指定の名勝として保護されています。は? なんと……そういうオチでしたか。pirka は「良い」とか「美しい」という意味で noka は「形」とか「像」とか「姿」を意味しますが、これらの語を組み合わせて「創出」された「概念」だったんですね(つまり地名ではない)。
確かに、改めて考えればアイヌ語の地名としては奇妙なものですが、アイヌ語の単語が組み合わされていると、昔からそう呼ばれていた……と勘違いする人が出てくるかもしれません(私のように)。気をつけたいものです(汗)。
オショロスケ川
esoro-us-ke??
それに沿って下る・いつもする・ところ
それに沿って下る・いつもする・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町油駒と東洋の間、ジェイ・アール北海道バス・日勝線の「南東洋」バス停のあたりを流れる川です。川を遡った先には航空自衛隊襟裳分屯基地があります。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) に「ヲチヨロケ」と描かれているのが現在の「オショロスケ川」でしょうか。『北海道実測切図』(1895 頃) には「オシヨロシケ」と描かれています。
戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。
また少し行て
ヲチヨロツケ
大岩峨々たる処、其名義はしらざる也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.199-200 より引用)
松浦武四郎は「意味はわからない」としていますが、頭注には次のようにありました。o 尻が
sir 断崖に
us ついている
ke ところ
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.199 より引用)
他に『午手控』(1858) には「ヲショロスケ」とあり、東蝦夷日誌 (1863-1867) には「ヲチヨロツケ」とあります。残念ながらどちらも意味については記されていません。あと、『初航蝦夷日誌』(1850) にはそれらしい地名が確認できません。ちょっと気になったので対比表にまとめてみました。
初航蝦夷日誌 | 戊午日誌「南岬志」 | 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | 現在名 |
---|---|---|---|
ヲニタラヽフ | ヲニタヽラフ | ヲントタル | 歌露 |
ヱンシヤニ | エイシユマ | エイシユマ | - |
- | ヒン子ワタラ | - | - |
- | マチワタラ | - | - |
リフンヱントモ | リフンエントモ | - | エンドモ |
ヲリマツフ | チカフノコエ | チカフノツ | - |
ヤンケヘツ | ヤンケフチ | 焼別川 | |
ヲチヨロツケ | ヲチヨロケ | オショロスケ川 | |
シヽヤモサキ | シヽヤモサキ | - | - |
- | ホンヌル | ホンヌル | - |
アブラコマ | アブラコマ | シリホク | 油駒 |
初見ではかなり違いがあるように見えたのですが、表にしてみるとそれほどでも無かったですね……。
頭注の o-sir-us-ke で「尻・断崖に・ついている・ところ」という解も傾聴に値しますが、カナ表記では「オ
osor-us-ke で「尻・ある・ところ」だとすればどうでしょう。カナ表記だと「オショルシケ」となるので悪くないのですが、一般的には osor-kot で「尻・くぼみ」となりますし、そもそも「尻があるところ」というのは意味不明です。
では o-so-us-ke で「河口・水中のかくれ岩・ある・ところ」はどうか……と思ったのですが、これだと「オショスケ」になってしまい「ロ」の出どころが不明になってしまいますし、そもそも -us-ke となる必然性も見いだせないような気がします(素直に -us-i でいいのでは)。
ちょっと変化球ですが、esoro-us-ke で「それに沿って下る・いつもする・ところ」とかはどうでしょうか。カナ表記では「
焼別川(やぎべつ──?)
yanke-pet
陸に上げる・川
陸に上げる・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町東洋のほぼ真ん中を流れる川です。現在の読み方が不明だったのですが、えりも町の Web サイトの pdf に「ヤギベツ川」という表記がありました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヤンケフチ」というコタンが描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) には「ヤン
戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。
また少し行て
ヤンケヘツ
小川也。沢目の間に有。水少し有。其名義は何品によらず此川え打上るによつて号るとかや。ヤンケはゆり上ると云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.199 より引用)
「ヤンケヘツ」は「色んなものが打ち上げられる川」だとしています。「ヤンケはゆり上がるという意味だ」としていますが、yan が「陸へ上永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。
Yange pet ヤンゲ ペッ 揚川 諸物ヲ海ヨリ川ヘ運ビ陸揚スル處同じようでいて、やや具体的な表現になっています。「(勝手に)ものが打ち上げられる川」と言うよりは、yanke-pet で「陸に上げる・川」と見て良さそうですね。
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