2025年4月30日水曜日

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非名阪をゆく (2) 「加太越え」

 

名阪国道・伊賀 IC 付近にあるクランク状の交叉点にやってきました。国道 25 号(いわゆる「非名阪」)はここを右折ですが……
かなりレトロなデザインの 105 系標識と、下には何故か傾いている「⇒国道25号」の補助標識?が。これは……わくわくドキドキですよね(何が)。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

伊賀ドライブイン

レトロな感じのする国道 25 号ですが、今風の 118 号標識がこの道が「国道 25 号」であることを示しています。
ガードレールにもちゃんと「国道 25 号」の「おにぎり」が。
築堤の向こうに赤い建物が見えますが、あれは「伊賀ドライブイン」の建物みたいです。伊賀 IC の近くには「伊賀ドライブイン」と「道の駅 いが」、「伊賀 SA(上り)」があり非常にややこしいのですが、「伊賀 IC」に隣接する「伊賀ドライブイン」が民営のドライブインで、「道の駅 いが」がかつての「伊賀 SA(下り)」……ということみたいです。
なお「伊賀 IC」は JR 西日本・関西本線と草津線の接続駅である「柘植つげ駅」のすぐ近くですが、1959(昭和 34)年に柘植町春日村が合併して発足した「伊賀町」の名前に由来する……ということなのでしょうね(広域合併による「伊賀市」の発足は 2004 年)。

バイパスルート

国道 25 号(いわゆる「非名阪」)は名阪国道の横を並行します。このあたりの国道 25 号はかつての「大和街道」のルートを踏襲していますが、この区間は旧大和街道とは別に整備された区間です。名阪国道が整備されたために国道 25 号(非名阪)の整備は大幅に遅れているのですが、旧大和街道が市街地を通る区間は大半が別ルートに切り替えられています。
この区間がいつ頃整備されたのかはわかりませんが、1970 年代の航空写真では名阪国道が 4 車線で完成していて、国道 25 号(非名阪)が舗装中に見えます。1970 年から 1980 年にかけての間に完成したと見て良さそうでしょうか。

この先幅員狭小

国道 25 号(非名阪)で亀山方面に向かいます。大和街道を改良した区間に入りました。
このあたりは採石場があるため、大型のダンプカーが道路を行き来します。ところが二桁国道では滅多に見かけない?「この先幅員狭小」の文字が。
ただ不思議なことに、この看板はいつの間にか撤去されてしまったみたいです。


「幅員狭小」の文字があった通り、確かにセンターラインは消え失せてしまいました。結構な急カーブですが、急カーブの存在を知らせる大型の看板などもありません。

「どうせ潰れるなら」

国道 25 号(大和街道)は関西本線の下をくぐります。そう言えば……という話ですが、この関西本線も名古屋と大阪・湊町(JR 難波)を結ぶ幹線路線でありながら、未だに一部区間が電化されないまま現在に至ります。随分と浮世離れした路線ですね。
この関西本線はかつて「関西鉄道」という私鉄で、名古屋-大阪間の都市間輸送において官設鉄道(官鉄、後に国鉄を経て現在の JR)と壮絶なバトルを繰り広げたことで知られています。

このバトルは速達性のみならず、運賃やサービスなども含めた全面的なもので、運賃面で劣勢に立たされた官鉄が「往復運賃を片道運賃より安くする」などの常軌を逸した反応に出ると、すぐさま関西鉄道も追従するなどの熾烈なものだったとされます。

現在は当該部分が削除されていますが、かつての「関西鉄道」の記事によると

当然過当競争状態であったが、関西鉄道はほとんど「やけくそ」で勝負していたようである(関西鉄道の社長は倒産も覚悟し、「どうせ潰れるなら官鉄を潰してから」といったと言われる)。
(Wikipedia 日本語版「関西鉄道」2018/4/16 版より引用)
日本の鉄道史に残る名(迷?)台詞も飛び出していたのだとか。

このガチバトルは 1904(明治 37)年に日露戦争が勃発したことで一旦収束し、最終的に 1907(明治 40)年の「鉄道国有法」で関西鉄道が国に買収されたことで終焉を迎えます。ただ後の国鉄は(大阪鉄道管理局管内において、かもしれませんが)「買収路線」を徹底的に冷遇したこともあり、特に関西本線は電化などの近代化が大きく遅れることになります。

現在も関西本線の亀山と木津の間は非電化で、ディーゼルカーがのんびりと走るローカル線の佇まいがそのまま残っています。沿線には上野市(伊賀上野駅、現在の伊賀市)という都市もあるため、潜在的なニーズはそれなりにあったようにも思われるのですが、早いタイミングで都市間輸送の主役が高速バス(忍者ライナー)に変わってしまったため、鉄道路線が強化されずに取り残された……ということのようです(但し「忍者ライナー」の大阪発着便は 2022 年 3 月から運休中)。

ものすごく乱暴なロジックで語るならば、無料の自動車専用道路として完成した「名阪国道」が、他のインフラの芽を軒並み摘み取ってしまった……とも言えるのかもしれません。まぁ、そのおかげで「非名阪」と「関西本線」という鄙びた景観が未だに生き残っている、とも言えるのですけどね。

加太越え

伊賀市柘植から亀山市関(宿場町として有名)に抜けるには「加太かぶと越え」として知られる難所を抜ける必要があるのですが、関西本線(や名阪国道)が「加太トンネル」で抜ける一方で、国道 25 号(大和街道)は本家本元の「加太越え」に向かって進みます。
難所として知られる「加太越え」ですが、国道 25 号(大和街道)は標高 309 m の鞍部を越える緩やかな峠道で、勾配は続くもののそれほど険しい地形ではありません。
市境も分水嶺と一致していないくらいで、峠らしい峠を通過しないまま……
いつの間にか下り坂になっていた、という感じの道路です。

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