2025年4月11日金曜日

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南海フェリー「フェリーかつらぎ」乗船記(水軒編)

 

かつての「100 円橋」こと「紀ノ川河口大橋」を渡ってからは、県道 752 号「和歌山阪南線」の「紀の川大橋」で紀の川の南岸に戻って、そのまま県道 15 号「新和歌浦梅原線」(大浦街道)を南に向かったのですが、そろそろお腹が空いてきたので……
ちょいとすき家へ。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 7 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

新和歌浦線

その後は県道 151 号「新和歌浦線」をのんびりとドライブしました。ご覧の通りのかなりツイスティな道です。
かなりクラシックな路線標識?がありました(残念ながら現存しないようです)。
カーブの先に観光ホテルっぽい建物が見えてきました。ただ Google マップを見た感じでは、現在は営業していないみたいです。写真で見ても、既に営業を終了してそうな感じですね……。

おま します

県道 151 号は和歌浦の高台を走る道で、カーブが多く道幅も十分ではないところもあるのですが、風光明媚なところです。「ゴミ投棄厳禁」の看板も見えますが……(汗)。
国道 42 号から和歌浦にやって来る車に向けて「歓 ようこそ和歌ノ浦へ 迎」という看板が立っているのですが、後ろから見ると「またのお越しをおま します」と見えます。
明らかに「ち」の字が落ちているのですが、現在はペンキで再塗装したようです。

謎の銅像?

このまま直進すると国道 42 号に出てしまうので、左折して「大浦街道」に戻ります。
少し坂を登った先に……
「和歌ノ浦隧道」があり、
トンネルを抜けると左手に謎の銅像?がありました。
この銅像は、どうやら「和歌山市立松下体育館」の前に建てられたもののようです。松下幸之助って和歌山生まれだったんですね。

水軒堤防

西浜交叉点を左折して県道 13 号「和歌山橋本線」を西に向かいます。
県道 13 号の終点(水軒交叉点)を右折します。交叉点の手前の歩道が小高くなっているのですが、地理院地図に「∴水軒堤防」と記入がありました。「水軒堤防」は江戸時代に築かれた防潮堤・防波堤とのこと。

水軒行きは一日2列車です

「水軒堤防」沿いの 4 車線道路を北に向かいます。かつてこの道路と(右側の)水軒堤防の間に南海和歌山港線の線路がありました。
和歌山港駅と南隣の水軒駅の間は 5.4 km もあったのですが、その間に駅はありませんでした。和歌山港線は(一部区間を除き)和歌山県が建設し、南海電気鉄道が「第二種鉄道事業者」として借用する形となっているのですが、和歌山港駅と水軒駅の間は貯木場からの木材を輸送する貨物列車を走らせるために建設された路線でした。
そのため、和歌山港駅から水軒駅までの間は普通電車が 1 日 2 往復しか走っていなかったのですが、Wikipedia によるとこれは開業当初からそうだったとのこと(!)。昔、地図でこの駅の存在を知り、時刻表で本数を調べたところ、確かに 1 日 2 往復しか設定がなく「なんだろうこの区間は」と思っていたのですが、まさか開業当初からそうだったとは……。

結局、和歌山港駅と水軒駅の間は 2002 年に廃止されたのですが、そもそも路線を建設した主目的だった筈の「木材輸送」はトラックに取って代わられたため、結局和歌山港線で木材が輸送されることは無かったとのこと。「かつての輝かしい歴史」がそもそも存在せず、31 年もの間ずっと 1 日 2 往復の運行を粛々と続けてきたというのは「悲劇」をも通り越した何かが感じられますね。

創英角ポップ体

ということで、水軒交叉点から北に向かうこと 1.8 km ほどで、前方に「青岸橋」と和歌山港駅のボーディングブリッジが見えてきました!
ボーディングブリッジには「徳島港ゆき南海フェリー」「信号の先すぐ右折」「きっぷうりば」とあります。道路が右にカーブしているので右側の見通しは良くないのですが、この案内はわかりやすいですね。
そして、よく見るとここも「徳島港ゆき」の文字が創英角ポップ体(!)
【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:フロントガラスの映り込み除去

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