2025年4月27日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1232) 「歌露」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

歌露(うたろ)

o-nit-tarara-p??
河口・串・上に高く差し上げている・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町東洋の北西、西東洋覆道を抜けた先の地名です。『北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「歌露」と描かれています。かつて「歌露村」が存在した……ということですね。陸軍図では海岸部の地名として「歌露」と描かれていました。

砂浜の道……?

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

 歌露(うたろ)
 えりも町海岸漁村。オタ・ルで砂浜の道という意味。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.88 より引用)
また、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

歌露 うたろ
 東洋から少し北に行った処の海岸。オタ・オロ(ota-or 砂浜の・処) ぐらいから来た名であろうか。あるいはオタ・ル(砂浜の・道) か。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.338 より引用)
ところが、不思議なことに『北海道実測切図』や『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい地名が見当たりません。しかも『初航蝦夷日誌』(1850) や戊午日誌「南岬志」にも見当たらない……ということで、環境に優しいコピペでお届けしますと……

初航蝦夷日誌戊午日誌「南岬志」東西蝦夷山川地理取調図 (1859)北海道実測切図
チヤラセナイホロチヤラセナイチヤラセナイチヤラセナイ
-ホンチヤカキシ-ホンサカキウシ
-ホロチヤカキシ-サカキウシ
---カムイオマナイ
ヲニタラヽフヲニタヽラフヲントタルオン子タタロプ
ヱンシヤニエイシユマエイシユマエエンシュマ
-ヒン子ワタラ--
-マチワタラ--
リフンヱントモリフンエントモ-エンルㇺ
ヲリマツフチカフノコエチカフノツ-
-ヤンケヘツヤンケフチヤンゲペツ

なんということでしょう~™。どうやら「歌露」は「ヲニタヽラフ」あるいは「オン子タタロプ」だったみたいなのですね。なお永田地名解 (1891) は「ポン チャラセ ナイ」の次が「エエン シュマ」なので、スルーされた可能性がありそうです。

薬草が多くある?

謎の「ヲニタヽラフ」ですが、戊午日誌「南岬志」には次のように記されていました。

またしばしにて
     ヲニタヽラフ
本名ヲンラフシナイと云し由也。土人等薬に用ゆる草が多く有りしによつて号しと云へり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.198 より引用)※ 原文ママ
頭注には次のようにありました。

歌 露
ontrep
反魂草
七ツ葉
神経痛等に
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.198 より引用)
「神経痛等に」というのが興味を惹きますね()。「反魂草」は知里さん風に書けば「ハンゴンソォ」ですが、『植物編』(1976) には「反魂草」を意味する語彙として、以下が列記されていました。
  • ionka-kuttar名寄近文
  • oro-mun(胆振・日高沙流郡)
  • oremu長万部
  • oroma-kuttar穂別
  • yuk-kuttar(穂別)(上川)
  • yuk-kutu様似
  • pekampe-kutu(美幌・屈斜路足寄
  • pekampe-kuttar(石狩)
  • urayni-kina(白浦)※ 樺太
  • urayne-kina(眞岡)※ 樺太

また、用法としては次のように記されていました。

  葉わ,それを燒いて,灰を濕疹にすりつけた(眞岡)。莖葉も黒燒にして犬の油で練り白癬に塗った。根わ,煎じて咽喉の痛みに含嗽した(白濱)。根わ,また,鍋の水が半分になるほど濃く煎じて,性病,子宮病,神經痛,關節炎等の患部を洗った(眞岡)。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.21 より引用)※ 原文ママ
なるほど、確かに「神経痛」とありますね。

「薬」か、それとも「保存食」か

ただよく見ると「反魂草」の上に ontrep とあります。これについても『植物編』に言及があり……

 莖葉を敷いてその上にオォウバユリの鱗莖の搗き粕を寢かせておく。この寢かせておいたものを「おント゚レㇷ゚」on-turep(風化した・ウバユリ)とゆう(名寄)。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.21 より引用)※ 原文ママ
turep は「ウバユリの根」で on は「発酵する」を意味します。鷹栖町(と旭川市)を流れる「ヨンカシュッペ川」という川があるのですが、これは「アレウバユリの根をいつも発酵させる川」だとされています。

福岡イト子さんの『アイヌ植物誌』(1995) には次のように記されていました。

 オサラッペ川の川上に向かって右側の支流に、イオンカウシベツ(それを・風にさらし・つけているところの・川)、つまり、「ウバユリの根を搗き砕いてでん粉をとり、その繊維を乾かし、かためた場所の川」がある。発酵し、少し乾燥したでん粉を円盤状に丸める。指で中央とその周りに穴をあけてひもでつるし、屋内て乾燥させ、保存食とする。
(福岡イト子『アイヌ植物誌』草風館 p.97 より引用)
この「イオンカウシベツ」が「ヨンカシュッペ川」のことです。固めて乾燥保存したウバユリの根の澱粉は、適宜マキリ(ナイフ)で切り出したものを水で戻して、穀物や豆類を混ぜてお粥にして食べるとのこと。どことなくブルーチーズあたりと共通するものがありそうな感じも……。

ただ、これ、ちょっと気になりませんか? 松浦武四郎は「土人等薬に用ゆる草が多く有りし」と記していて、また(ネタ元と思われる)『午手控』(1858) では「ヲンラフシとは薬草の名のよし」と記しています。turep(オオウバユリの根)は確かに薬としての用法もあったようですが、on-turep(発酵したオオウバユリの根)はどう見ても「保存食」としか思えないのですね。

ヤマシャクヤク?

なので、「ヲンラフシ」は horap-us-i で「ヤマシャクヤク・多くある・ところ」と見るべきでは無いでしょうか。「ヤマシャクヤク」については、『植物編』には以下のように記されていました。

(參考)風邪の際の熱さましに,或いわ腹痛に,この根を單獨で,或いわ蕗の葉・イブキボォフゥの根・クズの根などと混ぜて煎じて飮んだ(幌別)。腹痛にわまた生の根を噛んで水で飮んだ(B)。根を噛んで關節の痛みにつけた(B)。この根を乾しておき,それを粉末にして湯でこねて布に塗り,打身の患部に貼った(白浦)。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.150 より引用)※ 原文ママ
色んな用法があったようですが、実はまだまだ続きがありまして……。

種子を噛み碎いて布で漉し,その汁を目藥にした(B 鵡川)。耳痛にわ根を燒いて温い水氣のあるものを布に包んで濕布した(幌別)。或いわ種子を粉末にしたものを煙草にまぜてその煙を耳の穴に吹き込んだ(B 有珠)。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.150-151 より引用)※ 原文ママ
まぁ、実は「また,この根わ食用にもなった」とも記されていて、白浦では on-turep と全く同じ形で調理されていた……ともあります。ただ on-turep(-us-i) よりも horap(-us-i) のほうが「ヲンラフシ」に近いと思うんですよね。

「オン子タタロプ」は実在したか

そして……最後に重大な問題が残りました。地元で「ヲンラフシ」と呼ばれていたのは horap-us-i じゃないか……と想像ができたのですが、「歌露」の元になったと思われる「ン子タプ」の意味が良くわからないのですね(汗)。

普通に解釈すると「オン子」は onne で「年長である」という意味なので、あとは「タタロプ」が何を指すか……ということになります。ただ、この地名(川名)がこれまでどう記録されてきたかを改めて振り返ると……

初航蝦夷日誌 (1850)ヲニタラヽフ-
午手控 (1858)ヲニタヽラフ本名ヲンラフシナイ
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ヲントタル-
戊午日誌 (1859-1863)ヲニタヽラフ本名ヲンラフシナイ
東蝦夷日誌 (1863-1867)ヲニタヽラフ本名ヲシラフシ
北海道実測切図 (1895 頃)オン子タタロプ-
陸軍図 (1925 頃)歌露-

面白いことに、『北海道実測切図』以外は「オン子」と明記した記録が見当たりません。また「オン子タタロプ」の周辺に「なんとかタタロプ」あるいは「タタロプ」という地名や川があるかと言うと、それも見当たらないのですね。

タタラフ? タララフ?

また、よく見ると『午手控』『戊午日誌』『東蝦夷日誌』が「──タヽラフ」なのに対し、『初航蝦夷日誌』だけは「──タラヽフ」と記録されています。

tatara ではなく tarara であれば、「──を高く持ち上げている」を意味します。また『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると nottarara という自動詞があり、これは not-tarara で「あご・を上に高く差し上げている」と分解できるとのこと。

前述の通り、「オン子タタロプ」が onne- だったかどうかは疑いを挟む余地があります。つまり、o-not-tarara-p で「河口・あご・を上に高く差し上げている・ところ」と解釈できる余地もあるのです。

「あご」ではなく「串」……?

ただ『初航蝦夷日誌』から『東蝦夷日誌』までの記録は、いずれも「ヲニタ──」です。となると o-nit-tarara-p で「河口・串・上に高く差し上げている・ところ」と考えられないでしょうか。

地名においては、imanit(魚焼串)という語が頻出します。大抵は巨大化した判官様(源義経)が魚を串焼きにした跡とされ、近くに osor-kot(尻の跡)と呼ばれる窪地が、なにかの拍子に(巨大化した)判官様が尻もちをついた跡として伝わっている……というのがお約束となっています。

また nit 単独では「三石」の語源とされる「蓬莱山」が有名で、まるで串のように細長く聳えた岩を指します。o-nit-tarara-p であれば、河口に串のような岩が高く聳えているところ……と解釈できるのですが、これまた都合の良いことに、陸軍図にそれらしき岩が描かれているようにも見えるんですよね。

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