2025年5月6日火曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1233) 「坂岸・歌別・オキシマップ山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

坂岸(さかぎし)

chakaka-us-i??
あくの泡を開く・いつもする・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町歌露の北西に位置する地名です。和名のようにも思えますが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「サカキウシ」と描かれていました。ただ不思議なことに『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい地名が見当たらないようにも思えます。

戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。

また少し行て
     ホンチヤカキシ
     ホロチヤカキシ
今訛りてサカキシといへり。其名義はむかしヱトロフ島・クナシリ島の土人御目見に出ける時、此処え必ず船を着け休みて、船中の荷料等を炊き(飾る)用意して、是より日和まちなして、直によき時はエトモまでも遣り候よし也。依て号しとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.198 より引用)
また、ネタ元と思しき『午手控』(1858) には少し異なった表現で記されていました。

サカキシ ヱトロフ、クナシリの土人御目見の節、此処にて物を煮て持行しによって号く。惣て奥の土人此処え船を容れしによって也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.126 より引用)
また東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。

(并て)サカキン、(并て)ホロチヤカキシ、往古御目見おめみえ土人此處に上り、日和ひよりを立行處故此名有と。チヤカキシは御目見の時の船のかざり物也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.244 より引用)
「チヤカキシ」あるいは「サカキウシ」に次のような意味があったのかどうか、というところが鍵になりそうですね。
  • 舟をつけて休む
  • 荷物を飾る、炊く?
  • 天候の回復を待つ
  • 物を煮る
  • 舟の飾り物

手元の辞書類をあたってみたのですが、探せば出てくるものですね(汗)。『アイヌ語千歳方言辞典』(1995) に次のような記述がありました。

チャカカ cakaka【動 2】(浮んできたあく)をすくって、鍋の中に再びたらたらとたらし、あくの泡をつぶして消す;チャカ caka は「開く」ことであるので、泡を開いて消すことを指しているのかもしれない。
(中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』草風館 p.260-261 より引用)
どうやら chakaka-us-i で「あくの泡を開く・いつもする・ところ」と読めそうな感じです。つまり「いつも鍋をするところ」であり、また「いつも開くところ」とも解釈できます。きっと「荷を開く」と考えたのでしょう。

松浦武四郎が記録したのは「地名説話」っぽい(既存の地名から荒唐無稽な物語を拵えたもの)のですが、「元となった地名」がどんなものだったか……を考えてみたいところです。

ということで少し考えてみたのですが、sak-chi-kus-i で「夏・我ら・通行する・ところ」とかはどうでしょうか。あるいは sak-chise-us-i で「夏・家・ある・ところ」あたりのほうがより自然かもしれません。

あと、これは根本的なツッコミになる可能性もあるのですが、和語の「榊」がアイヌ語に移入して sakaki-us-i になった……という可能性も検討するべきでしょうね。チラ見した限りではそういった記録は見当たらなかったのですが、何しろチラ見なので……(ぉぃ

歌別(うたべつ)

ota-pet
砂・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町中部、国道 336 号と道道 34 号「襟裳公園線」が合流するあたりの地名で、同名の川も流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「オタベツ」という川名と「歌別」という村名が描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ヲタヘツ」と描かれています。

上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。

ヲタベツ
 夷語ヲタとは砂の事。ベツは川の事にて、則、砂の川と譯す。水口石無之、砂地なる故此名ありと云ふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.57 より引用)
戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。

ヲタヘツ其名義は砂計流れる川なるが故に此名有。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.196 より引用)
北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 歌別川 (うたべつがわ)オキシマップ山に発して 10㌖ほどを下って歌別で海に入る川でアイヌ語「オタ・ペッ」(砂川),川口附近が砂浜だったのでこう呼んだと思われる。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.583 より引用)
ota-pet で「砂・川」あるいは「砂浜・川」と見るべきでしょうね。「南岬志」の解は若干トンチンカンな感じがしないでも無いですが、砂浜を形成する砂は川によって運ばれることを考慮すると、実はものすごく正確な解である可能性も……?

オキシマップ山

okiska-nupuri??
尻尾・山
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
歌別川を遡ると、中流部で「上歌別川」と「オキシマップ川」という支流が立て続けに分岐しています(いずれも北支流)。歌別川が「豊似岳」の南、上歌別川が「豊似岳」の西から流れているのに対し、その間を流れる「オキシマップ川」は「豊似岳」の支峰である「オキシマップ山」の南から流れていて、歌別川・上歌別川と比べると随分と短い川と言えます。

「オキシマップ川」=「シロチミ」?

「オキシマップ川」は、『北海道実測切図』(1895 頃) では「シロッイト゚ミ」と描かれているように見えます。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「シロチミ」と描かれていますが、本来北支流である筈のところを南支流であるかのように描かれている……ようにも見えます。

「シロチミ」は sir-o-chimi で「大地・そこで・かき分ける」と読めます。chimi は時折目にする語で、今ひとつ実態が掴めない感のある語でもあるのですが、釧路市に「イワイ沢川」という川があり、この川がかつて「ヲイワチシ」あるいは「ユワツミ」と呼ばれていたとのこと。

「イワイ沢川」の流域には、まるで手指を広げて砂山を引っ掻いたような感じの地形がある(伝われ)のですが、オキシマップ川の流域も、なかなかいい勝負ができそうな感じになっています。

「オキシマップ山」=「オキシカヌプリ」?

かつて「シロチミ」と呼ばれたと思しき川は、現在は「オキシマップ川」と呼ばれているのですが、これは川の北に聳える「オキシマップ山」に由来すると考えられます(川の名前が山名に由来するというのは比較的珍しいですが、皆無というわけでもありません)。

「オキシマップ山」は、陸軍図の時点で既にそう呼ばれていたことが確認できます。o-kes-oma-p であれば「そこに・末端・そこにある・もの」と解釈できそうにも思えますが、改めて『北海道実測切図』を見てみると、そこには「オキシカヌプリ」と描かれていました。

実は okiska で「(鹿の)尻尾」を意味するとのこと。okiska-nupuri で「尻尾・山」となるのですが、これは「豊似岳」から見て「オキシマップ山」が尻尾のように伸びているから……ではないでしょうか。「鹿のしっぽ」にしてはちょっと長いような気もするような、そうでもないような……(どっちだ)。

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