2025年5月17日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1236) 「ルチシ山・サツコツ・ノツナイ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ルチシ山

rutke-us-i??
崩れる・いつもする・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町役場の近くにある「えりも港」には、幌泉川と南部家なんぶけ川が注いでいますが、南部家川を遡った先に「ルチシ山」という山が存在します(標高 754 m)。

北海道実測切図』(1895 頃) にも「ルチシ山」と描かれていました。周りの山が「トヨニヌプリ」や「オキシカヌプリ」、「トㇷ゚シオロヌプリ」などなど、多くが「──ヌプリ」と描かれている中、一足先に「──山」となっている点が気になるところです。なお『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい山は描かれていません。

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 ルチシ山 753.0㍍ 町中央オキシマップ山の西に連なる山でアイヌ語「ルチシ」は峠の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.582 より引用)
やはり ru-chis で「山・くぼみ」、即ち「」を意味すると見るしかなさそうな感じでしょうか。

本当に「峠」があったのか……?

ただ、この「ルチシ山」は上歌別川とアベヤキ川の間を南西に伸びていて、果たして「峠」と呼ぶべき地形が存在するか……と言われると、若干もやもやした感じもします。

ちょっと(かなり?)大胆な想像ですが、もしかしたら rutke-us-i で「崩れる・いつもする・ところ」だった……という可能性は無いでしょうか。がけ崩れの多い山だったのではないかな、という想像です。

rutke と似た語で si-rutu で「自分を・押し進める」即ち「すべり動く」という語もあるので、あるいは rutu-us-i だった可能性も無くは無い……かもしれませんが(すごく弱気)。

サツコツ

sat-kot
乾いた・谷
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「DCM ニコット えりも店」のあるあたりの地名(通称?)です。ホーマック DCM ニコットの東隣を「サッコツ川」が流れています。

北海道実測切図』(1895 頃) では、現在の「サッコツ川」に相当する位置に「ペケレサッコツ」と描かれています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では海岸部の地名(コタン)として「サツコツ」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Sat kot   サッ コッ   乾キタル谷
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.286 より引用)
sat-kot で「乾いた・谷」では無いかとのこと。sat-kot は『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも立項されていて……

sat-kot, -i さッコッ ふだんは水がなく雨が降った時だけ水の出る沢; から沢。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.118 より引用)
あー、まさにそんな感じの川なのかもしれませんね(短い川で流域も広くないので)。

ノツナイ

not(-us)-nay
岬(・ついている)・川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ツルヤ DCM ニコットの北西に特別養護老人ホームがあり、特養ホームの北西を「野津内川」が流れています。「ノツナイ」は野津内川の河口付近の字または通称です。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ヌㇷ゚ナイ」という川が描かれていました。また永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Nup nai   ヌㇷ゚ ナイ   野川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.286 より引用)
これは nup-nay で「野・川」と解釈すれば良さそうでしょうか。nupnay の間にも何らかの語が介在していたと見るべきかもしれません。

「ヌㇷ゚」じゃない……?

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも海岸部の地名として「ヌッナイ」と描かれています。ところが『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。

越而
     ヌツチナイ
并而沙浜しばし行
     ヱンルモ
小川有。越而沙浜を行しばしにし而会所元に到る
松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.342 より引用)
「ヱンルモ」は現在の「西えりも」のあたりなので、「サツコツ」の記録が見当たらないということになるのですが、それはさておき「ヌㇷ゚ナイ」ではなく「ヌツチナイ」とある点に注目です。

改めて『竹四郎廻浦日記』(1856) や『東蝦夷日誌』(1863-1867) を見てみると、どちらも「ヌツチナイ」とあります。また『午手控』(1858) にも「ヌッチナイ」とあり、いずれも「ヌㇷ゚ナイ」とは異なる形で記録されています。

「ヌッチナイ」であれば、ほぼ同名の「ヌッチ川」が余市町を流れているのですが、えりも町の「ノツナイ」こと「ヌツチナイ」も not(-us)-nay で「岬(・ついている)・川」ではないかと思えてきました。

ここで言う not は「えりも港」近くの岬ではなく、「野津内川」のすぐ横の山のことではないかと思います(和語の「岬」とは異なり、not は必ずしも海に面している必要はありません)。国道から「野津内川」を眺めるとこんな感じなのですが、正面に見える山が not なんじゃないかな、と。


そもそも現在の川名も「野津内川」なので、nup- よりも not- のほうが近いんですよね(何を今更)。ん、これってもしかして「また永田地名解がやりおったで」案件なのでは……?

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