しばらく気づかなかったのですが、よく見ると関西本線の築堤も見えているんですよね。
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かつての「大和街道」に戻ってきました。案の定と言うべきか、センターラインが消失しました(汗)。
坊谷踏切
関西本線の線路脇にやってきました。架線柱も通信線も無く線路しか無いのですが、更に言えば線路脇のフェンスなどもありません。線路と道路を隔てるのはガードレールだけです。道路がクランク状になっている踏切が見えてきました。
この踏切は「坊谷踏切」と言う名前みたいです。JR 関西本線はこの先で加太川の南側に渡ってトンネルを抜けるのですが、そのトンネルが「坊谷隧道」とのこと。
なんで踏切脇にトンネルの名前が書いてあるのだろう……と思ったのですが、よく見ると「加太越え鉄道遺産群」とあります。観光客向け?の案内板にしては渋い佇まいですね……。
ところが、現況を確認したところ……
なんと……(絶句)。渋い佇まいの案内板だなーと思っていたのですが、なるほど木製だったのですね。雨風に曝され続けたからか、見事に割れてしまって……。
対向車注意
踏切を渡ると、右側(川の向こう)に「坊谷隧道」の入口が見えていました。国道 25 号(非名阪)は加太川沿いの山裾を進みます。
前方に見えているのは採石場……ではなく、単なるがけ崩れのように見えます。ただ、かなり大規模なもの……ですよね。
このあたりもかつての「大和街道」がほぼそのまま流用されているっぽい感じで、センターラインはありません。ただ乗用車同士であれば離合はそれほど難しくなさそうな感じでしょうか。ダンプ同士のすれ違いは難しそうですが……。
金場トンネル
川沿いのびみょうな幅の道を進むと……前方にトンネルが見えてきました。痛恨のピンボケ……。
ということで、Google ストリートビューで現況を確かめたところ……
あれ? ところどころ補修されているようですね。このトンネルはかなり古いものに見えますが、集落とその前後に存在する踏切を回避するために建設されたトンネルみたいです。時期的には戦前から戦中にかけてのものかな……と想像しましたが、どうでしょう……? 大和街道が国道に指定されたのが 1952(昭和 27)年らしいので、その後かもしれませんが。
ギリギリですね
トンネルを抜けると、再び JR 関西本線と並走します。ただ線路のほうが低いところを通っているので、線路の存在を認識することは難しそうです。あと、こうやって見ると道幅もけっこうギリギリですが……ここは現役の「二桁国道」です。
もはや何が書かれていたのか良くわからなくなっていますが、左折すると「B&G関海洋センター」に行けるみたいです。この「B&G」というのも謎ですが、「公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団」と言う……のですか(今知った)。
「非名阪」の終わり
関町新所にやってきました。Google マップによると、目の前の山の上に「新所城」があったとのこと。左カーブを抜けると、間もなく国道 1 号との交叉点です。いわゆる「非名阪」区間の起点、ということになりますね。
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