2025年5月11日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1235) 「幌泉」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

幌泉(ほろいずみ)

poro-entom?
大きな・突き出ている海岸の断崖
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町役場のすぐ北を流れる川の名前で、えりも町の郡名(幌泉郡)でもあります。『北海道実測切図』(1895 頃) では既に村名(当時は幌泉郡幌泉村だった)として描かれるのみですが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロイツミ会所」と「ホロエンルン」という地名が描かれています。

「ホロイヅミ」=「ホロヱンルモ」?

「幌泉」は古くから知られた地名なので、記録も豊富です。手元の資料からピックアップして表にまとめてみました。

東蝦夷地名考 (1808)ホロイヅミホロヱンルモなり 大尖出の地
東行漫筆 (1809)ホロイツミ会所ホロヱンルム 鼠の事なり
大日本沿海輿地全図 (1821)ホロイツミ-
蝦夷地名考幷里程記 (1824)ポロイヅミポンヱンルム 小サき砂﨑
初航蝦夷日誌 (1850)ホロイヅミ-
竹四郎廻浦日記 (1856)ホロイツミホロエンルン 大岬
辰手控 (1856)ホロイツミホロエンルン
午手控 (1858)ホロイツミ-
蝦夷地名奈留邊志 (1859)ホロイヅミホロヱンルン 大崎
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ホロイツミ會所(隣に)ホロエンルン
戊午日誌 (1859-1863)ホロイツミホロエンルン
東蝦夷日誌 (1863-1867)縨泉ホロイヅミポロエンルン
蝦夷地道名国名郡名之儀
申上候書付 (1869)
縨泉郡ホロイツミホンエンルン
改正北海道全図 (1887)幌泉-
永田地名解 (1891)ポロ エンルㇺ幌泉(郡名)ノ原名
北海道実測切図 (1895 頃)幌泉-
アイヌ地名考 (1925)HOROIZUMIPoro-eremu-not「大きなネズミの岬」
Poro-itumi「大きな戦場」
陸軍図 (1925 頃)幌泉村-
北海道地名誌 (1975)幌泉「ポロ・エンルㇺ」大岬

ざっとこんな感じでしょうか。見事に「ホロイツミ」あるいは「ホロイヅミ」で統一されていて、異論を挟む余地はなさそうに見えます(永田地名解は例外ですが)。

「ホロイヅミ」は「ホロエンルム」が変化した……とする記録が大半を占めますが、「ル」が「ヅ」に変化した……という点がちょっと引っかかります。ただこの点については、金田一京助が『北奥地名考』(1932) において次のように記していました。

丁度北海道のエンルムが、襟裳岬になったり、絵鞆エドモになったり、幌泉ホロイヅミイヅミになったりしたやうに、ルがドになり、エがイになったり、〔m〕がモになったりする転訛は、無理のない程度の変化であるといへよう。
(金田一京助『北奥地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.247 より引用)
なるほど、「ル」が「ヅ」に変化したとしても、それほど奇妙なことでは無い……ということですね?

「ホロエンルム」は poro-enrum で「大きな・岬」と読めます。enrum を逐語的に解釈すると en-rum で「つき出ている・頭」とのこと。「恵庭」は e-en-iwa で「頭の尖った山」だとされますが、この en と同じですね。

ホロ? ホン?

そして、前掲の表をよく見ると奇妙なことに気付かされます。地名(場所名・村名)は軒並み「ホロ──」ですが、原義については「ホン──」あるいは「ポン──」とするものが僅かながら存在するのです。

まず上原熊次郎が『蝦夷地名考幷里程記』において次のように記していました。

夷語ポ子ンルムなり。ポンヱンルムの略語にて、則、小サき砂碕といふ事。扨、ポンとは小き事。ヱンルムとは砂碕の事にて、此所細き砂碕なるゆへ、地名になすと云ふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.57 より引用)
イヅミ」は「ヱンルム」だとするのですが、陸軍図を見ると確かにそれっぽい地形があります。現在は「えりも港」の一部に取り込まれているので、良くわからなくなっていますが……。

また『竹四郎廻浦日記』以来「エンルム」と記録してきた松浦武四郎も、「蝦夷地道名國名郡名之儀申上候書付」では何故か「エンルン」と記しています。

原名ホンエンルンの轉したる小岬の義に御坐候。エリモ岬をヲンネエンルンと言て大岬に取り、此處をホンエンルン迚小岬に取り候。今轉してホルイツミと申候。訳スル時ハ小岬ニ相成申候。
(松浦武四郎「蝦夷地道名國名郡名之儀申上候書付」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.123 より引用)
これはどうやら襟裳岬が onne-enrum と呼ばれていることから、それと対になる存在だ……と考えたように見えます。

えりも町役場の北西、現在の「西えりも」のあたりの砂岬は、襟裳岬と比べるとどう見ても poro-(大きい)とは言えないので、pon-enrum で「小さな・岬」としたのは妥当な解釈であるように思えますが、pon-poro- に変化したというのは……あり得ることなのでしょうか。

enrum と entom

ここで思い出したいのが「エンドモ」(えりも町)の存在です。詳細は当該記事を確認願いたいのですが、enrum とは別に「突き出ている海岸の断崖」を意味する(とされる)entom という語があったのではないか、と考えられます。

「えりも町役場の近くにそれらしい崖は無いのでは?」と思われるかもしれませんが、実は現在「スマイルタウン灯台公園」や「セブンイレブンえりも本町店」、ジェイ・アール北海道バス・日勝線の「えりも駅」のあるあたりが、かつて高台になっていました。


1978(昭和 53)年頃の航空写真でも、かつての高台の残骸?が確認できます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「幌泉」という地名は、「襟裳岬」を意味するヲン子エンルンとは無関係で、poro-entom で「大きな・突き出ている海岸の断崖」だったのでは無いでしょうか。

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