2025年5月3日土曜日

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「日本奥地紀行」を読む (178) 黒石(黒石市) (1878/8/6(火))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第三十一信」(初版では「第三十六信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

公衆の風呂

黒石に滞在中のイザベラは、なんと通訳・伊藤を伴うことなく人力車で外出してしまいました。イザベラは「上中野かみなかの」というところにやってきたように読めるのですが……

 上中野かみナカノは非常に美しい。秋になって、星の形の葉をつけた無数の紅葉が深紅の色をつけ、暗い杉の森を背景として美しく映えるとき、森の中の大きな滝は雪の降るように白く輝きながら下の暗い滝壺に飛び散り、遠く旅をしてやって来る価値が充分にあるにちがいない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.326 より引用)
ただ地図を眺めてみると、黒石のあたりには「上中野」という場所が見当たりません。国道 102 号で黒石川沿いを東に向かうと、国道 394 号との分岐点のあたりに「南中野」という場所があるのですが……。ということで原文を確かめてみたところ、なんと Upper Nakano とありました。Kami-Nakano ではなかったのですね。
   
要はどこにも「上中野」とは書かれておらず、Upper Nakano を「上中野」としたのは高梨謙吉さんの創作?だったことになるのですが、とても不思議なことに時岡敬子さんの訳でも「上中野かみなかのは非常に美しく」となっています。不思議なこともあるものですね……。

川のところまで苔の生えたりっぱな石段がある。美しい橋があり、二つのすばらしい石の鳥居がある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.327 より引用)
黒石市大字南中野には「中野神社」があるので、これはその描写でしょうか。


きれいな石灯籠があって、それから壮大な石段の急な坂を登って山腹を登る。それは杉の並木で小さな神社に至る。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.327 より引用)
現在の「中野神社」も山腹にあるので、イザベラが詣でたのは「中野神社」だったと見て良さそうな感じですね。

ここからほど遠くないところに神聖な木があり、それには愛情や報復のしるしがつけてある。ここはすべてが魅力的である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.327 より引用)
「愛情や報復のしるし」というのは、イザベラが「初版」の第三十五信において「愛と復讐」というセクションで詳述した内容ですね。

イザベラが、どうやら「中野神社」を詣でたらしい……というところまでは読み解けたのですが、イザベラは続いて「下中野しもナカノ」に向かったとのこと。現在の「南中野」もちょっと不思議な地名で、「中野川」と「南中野」がある割には「中野」や「北中野」が見当たらないのです(まるで「南キシマナイ沢」のようですね)。

 下中野しもナカノは、私がやっと歩いて行けたところだが、たいへん熱い温泉があるという点だけ興味がある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.327 より引用)
温泉、確かに気になりますよね。地図を見てみると、中野神社の少し西に「温湯ぬるゆ」という所があり、そこに温泉があるとのこと。

ここはリューマチや眼病の患者にとって価値がある。主として茶屋や宿屋だけで、かなり賑やかに見えた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.327 より引用)
リウマチは現在でも耳にしますが、イザベラはここまで何度も「眼病」と記しているのがちょっと気になってきました。これは具体的にどのような症状を指していたのでしょうか。かつて庶民を苦しめた病気の中には、脚気のように「ビタミン欠乏」が原因であると突き止められ、現在では事実上根治したものもありますし、また結核のように特効薬が発明されたものもあります。イザベラの言う「眼病」も、あるいは脚気と似たような感じで、何らかの栄養素の欠乏によるものだったのでしょうか……?

浴場は四つあるが、形式的に分かれているだけで、入口は二つだけで、直接に入湯者に向かって開いている。端の二つの浴場では、女や子どもが大きな浴槽に入っていた。中央の浴場では、男女が共に入浴していたが、両側に分かれていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.327-328 より引用)
どうやらこの温泉は「混浴」の部分があったようですね(混浴ではあるものの、ある程度は「運用」で隔てられていたということかも)。

私は車夫の行くままに浴場に行ったが、一度中に入ると、出るときは反対側からで、そのときは後ろから人々に押された。しかし人湯者は親切にも、私のような不本意な侵入を気にとめなかった。車夫は、そんなことをして失礼だとは少しもわきまえずに、私を連れて入ったのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.328 より引用)
イザベラが温泉に入ることになったのは、本人がそれを望んだから……だと思いますが、車夫もちゃっかりお相伴に与っていたのですね。入浴が車夫のリクエストだったりしたらビビりますが……。

浴場においても、他の場所と同じく、固苦しい礼儀作法が行なわれていることに気づいた。お互いに手桶や手拭いを渡すときは深く頭を下げていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.328 より引用)
イザベラの覗き趣味観察眼の鋭さが光りますね。日本では、公共の場において必要以上に堅苦しい礼儀作法が要求されるケースがちょくちょくあるように思われるのですが、あれはどういった歴史的経緯で醸成されたものなんでしょうか。

俗に「江戸しぐさ」と呼ばれるものは、大半が後世の創作であるようにも思えるのですが、そういった「ニセの伝統」が持て囃されるのは一体何故なのか、気になるところです。

日本では、大衆の浴場は世論が形づくられるところだ、といわれる。ちょうど英国のクラブやパブ(酒場)の場合と同じである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.328 より引用)
ふむふむ。大衆浴場では見ず知らずの人同士が湯船に浸かる時間を共有するので、後腐れのない一期一会の会話から生まれるものもある……と言ったところなんでしょうか。

また、女性がいるために治安上危険な結果に陥らずにすむ、ともいわれている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.328 より引用)
これはちょっと不思議な感じもするのですが、女性はその場の仲裁役となり得る……と言った意味なんでしょうか。現代ではむしろ、女性がその場にいること自体が(女性の)治安上危険と言えそうですが……。

しかし政府は最善をつくして混浴をやめさせようとしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.328 より引用)
「混浴は野蛮である」という認識なんでしょうね。まぁ大きく間違ってはいないのですが、「脱亜入欧」に必死だった政府の姿勢が伝わりますね。

大衆浴場は日本の特色の一つである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.328 より引用)
そう言えば「テルマエ・ロマエ」という漫画がありましたが、ヨーロッパには「大衆浴場」という文化は無い……んでしたっけ?

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