2025年5月10日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1234) 「コロップ・新消内川・シラヌマナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

コロップ

kor-o-p?
蕗の葉・多くある・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
歌別川(えりも町)の北に半円状のステージのような地形があり、そのあたりの地名です。北側を「コロップ川」が流れています。

北海道実測切図』(1895 頃) には川の名前として「コロフル」と描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には海岸部の地名として「リフル」と描かれています。

『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。

砂浜少し行而
     ユルフル
小川有。番屋弐軒有。此処夷人小屋も三軒斗有。此川は山上ユルフルと云より流れ落る也。今は海岸の字となれり。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.344 より引用)
どうやらもともとは上流部の地名で、今は海岸部の地名になった……とのこと。

「コ」と「ユ」の字形が似ているということもあり、表記揺れが激しいようです。ちょっと表にまとめておきましょうか。

大日本沿海輿地全図 (1821)コルフル-
初航蝦夷日誌 (1850)ユルフル「ユルユル」もあるが誤字か
竹四郎廻浦日記 (1856)(コ)ルフル-
戊午日誌 (1859-1863)コリフリ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ユルフル坂の事也
永田地名解 (1891)コロ フル蕗丘
北海道実測切図 (1895 頃)コロフル-
地理院地図コロップ-

手元の資料をちらっと確認した限りではこんな感じなのですが、思ったほどではなかったですね。どうやら松浦武四郎が「コ」を「ユ」に誤記した可能性が高そうな感じでしょうか。

永田地名解には次のように記されていました。

Koro huru   コロ フル   蕗丘 春日土ヲ掘ル僅ニ五分許ニシテ蕗臺ヲ探リ得ベシ故ニ此名アリト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.286 より引用)
一見、ちょっと引っかかる感もあったのですが、kor で「蕗の葉」を意味するので kor-o-hur で「蕗の葉・多くある・丘」と読めそうですね。

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 コロップ川 歌別地区の海に入る小川で,アイヌ語「コル・ウン・フル」(蕗のある丘)が転じたものという。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.583 より引用)
ふーむ。-o ではなく -un ではないか、ということですね。確かに -un でも良さそうな感じがしますが、kor-un-hur だと「コルンフル」となりそうな感じも……。まぁ誤差の範囲だと思うのですが。

川の名前としても不自然ですが(丘の名前なので)、kor-o-pet で「蕗の葉・多くある・川」か、あるいは kor-o-p で「蕗の葉・多くある・もの(川)」だったと考えれば良いのかもしれません。

新消内川(しんしけない──)

sunke-us-nay??
ウソをつく・いつもする・川
(?? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「北海道えりも高校」と「えりも町立えりも中学校」の間、「えりも町営野球場」の北西隣を流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シヘンケウㇱュナイ」と描かれているように見えます。

『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。

并而少し
     二ケフシ
并而
     シユンケシナイ
少し岩の出岬有。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.344 より引用)
戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」でも同様に「シユンケシナイ」でした。これらは現在の「新消内川」に近いように思われるのですが、ところが「国土数値情報」には「シンナイ川」とあるようなんですよね(「シ」と「ケ」が逆?)。

「シユンケシナイ」を素直に読み解くと sunku-us-nay で「エゾマツ・多くある・川」なのですが、ところが永田地名解 (1891) にはちょっと意外な解が記されていました。

Shunke ush nai   シュンケ ウㇱュ ナイ   ウソ川 遠ク望メバ川ノ如ク近ケバ川ニアラズシテ谷間ナリ故ニ名クト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.286 より引用)
これはこれは……。sunke-us-nay で「ウソをつく・いつもする・川」ではないかと言うのですね。これだけ見た限りでは「永田地名解がまたやりおったで」案件なのですが、ところが東蝦夷日誌 (1863-1867) にも……

ニケブウシ(小澤)過て(八丁十間)、シユンケウシナイ(山合)名儀、ウソの澤との儀。此處遠くより眺ば澤にして、近く見れば山合なり、故になづく。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.233 より引用)
なんということでしょう~™。一字一句とまでは言わないものの、ほぼ同内容と言って良さそうですね。「ウソをつく川」というのは面白いですが、sunku-us-nay(エゾマツが多くある川)に対して洒落っ気たっぷりの説話が語られるようになった……と考えたいところです。

そうか、「ウソをつく川」なので「新内」が「シンナイ」になった……という可能性も(無いな)。おそらく元は sunku-us-nay だったと思うのですが、それを示唆する記録は皆無なのと、あと面白いので(ぉぃ)今回は敢えてそのままで。

シラヌマナイ川

sirar-oma-nay
荒磯・そこに入る・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国土数値情報では、えりも町立えりも小学校の北を流れる「中学校沢川」と、えりも港に注ぐ「幌泉川」の間を「シラヌマナイ川」という川が流れている……ということになっているのですが、Google マップの空中写真を見た感じでは、果たしてそれらしい川が実在するのかどうか……?

北海道実測切図』(1895 頃) には「シラロマナイ」という名前の川?が描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ホロイツミ会所」の隣に「シラリマナイ」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Shirar'oma nai   シラロマ ナイ   岩川「シララオマナイ」ノ急言
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.286 より引用)
今回取り上げた「コロップ」「新消内川」「シラヌマナイ川」は、奇しくも永田地名解でも「シラロマ ナイ」「シュンケ ウㇱュ ナイ」「コロ フル」と三つ並んで掲載されていました。

永田地名解の内容は例によってざっくりしたものですが、sirar-oma-nay で「岩・そこに入る・川」でしょうか。特に今回は海沿いの川名なので、sirar は「荒磯」と見るべきかもしれません。海沿いに「荒磯」(海岸の水底に群在する岩礁)があり、ちょうどそのあたりに注ぐ川だった可能性がありそうです。

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