2025年3月23日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1222) 「登川・チャツナイ川・丹根内川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

登川(のぼり──)

nupuri-{sarorun}??
山・{猿留川}
(?? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町東北部を流れる「猿留川」の北支流です。猿留川との合流点から登川を 1 km ほど遡ったところで、登川の北支流である「チャツナイ川」が合流しています。

北海道実測切図』(1895 頃) を見てみたところ、妙なことになっていることに気づきました。現在「登川」とされる川は「サッテキサロルン」(sattek-{sarorun} で「痩せている・{猿留川}」となっていて、支流の「チャツナイ川」に相当する川が「ヌㇷ゚リサロルン」となっています。

陸軍図では、既に現在の「登川」が「登澤」で「チャツナイ川」が「チャツナイ澤」となっています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では、「サルヽ」(=猿留川)の北支流として「ノホリサル」と「サッテクサルヽ」が描かれていました。「サッテクサルヽ」が相当な長さの支流として描かれているのに対し、「ノホリサル」はとても短く描かれています。

『午手控』(1858) には次のように記されていました。

○サルヽヘツ
 サリヘツ 左小川、番屋の向ふ也
 サツサルヽ 右小川
 ナンフケ
 ノホリサルヽ 右小川
 カルシコタン 左小休所。小川
 タン子ナイ 右小川
 此上小川多けれども当時名しれず
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.88 より引用)
また『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。

(平山、二十四丁) サツテクサルヽ(川原)是サルヽの乾たる義也。(一丁) ノホリサルヽ(川幅七八間)橋有、共にサルヽ〔猿留〕川に落る。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.241 より引用)
また「猿留川川筋」の情報として、次のようにも記されていました。

 川兩濱にて(番の向)サリベツ(左川)、ヌフリサルヽ(右川)、ナンフケ(左川)是椎茸しいたけ取の住み所也。ワヽウシ(渡場)、カルシコタン(右川)、タンネナイ(右川)、此源少川數條有、さけますあめます桃花魚うぐい杜父魚かじか多し。水淺冷、兩岸奇石怪岩多し。また瀑布も有て、分入る時は頗る奇觀有也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.242-243 より引用)
これらの情報と、『東西蝦夷山川地理取調図』や『北海道実測切図』などの情報を照らし合わせると……

東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
午手控東蝦夷日誌北海道実測切図陸軍図
サルヽサルヽサルヽベツサロルンウシ川猿留川
-サリヘツサリベツオン子ナイ-
-サツサルヽ---
-ナンフケ---
---オン子ペッ(川名不明)
ノホリサルノホリサルヽヌフリサルヽヌㇷ゚リサロルンチャツナイ澤
サツテクサルヽ--サㇰテキサロルン登澤
ロウシ----
ナンフケ-ナンフケ--
--ワヽウシ--
カルシコタンカルシコタンカルシコタンカルシコタンワラビタイ
タン子ナイタン子ナイタンネナイタン子ナイ丹根内澤

「実測切図」の「ヌㇷ゚リサロルン」を軸にしてみたのですが、『午手控』の記録を少し疑ったほうがいいかもしれませんね。『午手控』の記録の順序を入れ替えて、複数の資料で確認できない記録を削ると表はかなりシンプルになります。

東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
午手控東蝦夷日誌北海道実測切図陸軍図
サルヽサルヽサルヽベツサロルンウシ川猿留川
-サリヘツサリベツオン子ナイ-
ノホリサルノホリサルヽヌフリサルヽヌㇷ゚リサロルンチャツナイ澤
サツテクサルヽサツサルヽ-サㇰテキサロルン登澤
ナンフケナンフケナンフケ--
カルシコタンカルシコタンカルシコタンカルシコタンワラビタイ
タン子ナイタン子ナイタンネナイタン子ナイ丹根内澤

「ノホリサルヽ」あるいは「ヌㇷ゚リサロルン」と言うのは、nupuri-sarorun でアイヌ語由来の地名と見て良いかと思われます。ただ nupuri-sarorun は「山・{猿留川}」となり、川名としては奇妙な形なので、nupurisarorun の間に存在した何らかの語が抜け落ちたと見るべきでしょう。

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 登沢川 (のぼりさわがわ) 猿留川下流左支流でアイヌ語「ヌプリ・サロロペッ」(山のサロロペツ) の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.584 より引用)
やはり「ヌㇷ゚リサロルン」が「登川」に転じた……と見て良さそうな感じでしょうか。ただ前述の通り『北海道実測切図』における「ヌㇷ゚リサロルン」と「登川」の流路が異なるという点が気になるところです。

チャツナイ川

chasi-nay?
砦・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
登川の北支流で、猿留川から見ると「支流の支流」という位置づけの川です。『北海道実測切図』(1895 頃) では「ヌㇷ゚リサロルン」という名前で描かれていますが、陸軍図では「チャツナイ」集落を流れる「チャツナイ澤」として描かれています。

『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 チャツナイ川 猿留川下流左支流で,アイヌ語の砦川の意か。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.584 より引用)
chasi-nay で「砦・川」では無いか……ということですね。素直に読めばそう解釈するしかないのですが、「チャツナイ」の初出は陸軍図で、それ以前は「ヌㇷ゚リサロルン」という川名だったという点に若干引っかかるものがあります。

陸軍図をよく見ると、猿留川河口の南に「チツヤニ」という地名も描かれています。これは『北海道実測切図』で「チㇷ゚ヤンケウシ」と描かれている地名のようで、chip-yanke-us-i で「舟・陸揚げする・いつもする・ところ」と読めます。「チツヤニ」と「チャツナイ」が「ちょっと似ている」のも地味に気になるのですが……。

丹根内川(たんねない──)

tanne-nay
長い・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
猿留川中流部で合流する北支流で、川の西には「丹根内タンネナイ」という三等三角点(標高 577.5 m)もあります。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「タン子ナイ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) でも同様に「タン子ナイ」と描かれています。

『午手控』(1858) や『東蝦夷日誌』(1863-1867) にも「タン子ナイ」あるいは「タンネナイ」との記録があり、永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Tanne nai   タンネ ナイ   長澤
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.290 より引用)
はい。どう見ても tanne-nay で「長い・川」と解釈するしか無さそうですね。川の位置が変わっていたり名前がコロっと変わっていたりすると色々と大変ですが、たまにはこんな「箸休め」があってもいいのかもしれません。

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