2025年9月12日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1280) 「メナ川・ポンメナ川・ナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

メナ川

mena??
上流の細い枝川
(?? = 旧地図で未確認、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河町メナ(通称かも)の北、道道 746 号「高見西舎線」の「元浦橋」のあたりで元浦川に合流する西支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ラウクシメナ」「サツメナ」「メ子エトク」などの川が描かれていますが、いずれも東支流として描かれています。

北海道実測切図』(1895 頃) には現在の「メナ川」の位置に「ルセカパ」と描かれています。このあたりに「──メナ」と呼ばれる川が存在していたとは言えそうですが、現在の「メナ川」が該当するかどうかは微妙でしょうか。


戊午日誌 (1859-1863) 「宇羅加和誌」には次のように記されていました。

また少し上りて
     レセイガハ
左りの方小川。此名義は此川にては決して浜の事を話しいたさゞる処なる故に号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.477 より引用)
山では海の産物を言挙げしないというルール?があったらしく、例えば「塩」の代わりに「灰」と言ったり「酒」のことを「水」と言ったりしたとのこと。これは「ルセカパ」あるいは「レセイガハ」とどう繋がるのかは良くわかりません。……あ、ruska で「怒る」という意味なので、ruska-pa で「怒る・かみのはずれ」とでも考えたのでしょうか。

現在は何故か「メナ川」という名前ですが、松浦武四郎は「右のかた」(=東岸)に「ラウクシメナ」という川があると記録していました。

しばし過て
     ラウクシメナ
右のかた小川。ラウクシとは沼谷地の草の根多く明が切てふかき処を云。メナは屈曲甚しき処を号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.475 より引用)
「メナは屈曲甚しき処」とありますが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されていました。

mena メな ① 上流の細い枝川。② 【シズナイ】たまり水。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.59 より引用)
うーん、どの特徴も一致しないような感じが……。敢えて言うなら「上流の細い枝川」でしょうか。道南の尻別川には「目名川」という支流がありますが、この川について、山田秀三さんの旧著『北海道の川の名』(1971) には次のように記されていました。

 メナは、道南に散在している小川の名。意味はもう分らなくなっている。永田氏は、支川、細川、溜水のように、各種の訳をつけていて、処々に、「土人云う支川の意」、「メナはアネ(註 細い)と同義なりとアブタ・アイヌ云う」等の説明書きをしている。
 知里博士は、mem-nai(湧泉の池・川)の略された形ではないかと、よく話しておられた。とにかく今まで見た範囲では、どれも小流である。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.185 より引用)
いい感じにまとまっているので、丸ごと引用してみました。今回の「メナ川」はそもそもの出どころからして不明で、「サツメナ」は「細い枝川」ですが「メ子エトク」(実測切図では「メニト゚ク」)は「泉池(から湧いた川)」のようにも見えます。

「メナ川」はとりあえず mena で「上流の細い枝川」としてお茶を濁すしか無さそうですね……。

ポンメナ川

pon-mena??
小さな・上流の細い枝川
(?? = 旧地図で未確認、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
元浦川の西支流で、問題の「メナ川」の南を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ユックオマㇷ゚」と描かれています(元浦川の対岸に「サツメナ」あり)。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりません。


戊午日誌 (1859-1863) 「宇羅加和誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ユツホマフ
左りの方小川。本名ヌツホコマフと云よしを訛りしなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.476 より引用)
おっと、当てが外れましたね。この「ユツホマフ」について、『午手控』(1858) には次のように記されていました。

ユツホマフ ヌツホマフのよし。野のはしのよし也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.191 より引用)
うーん。nup-pa-oma-p で「野・かみのはずれ・そこにある・もの(川)」と解したということでしょうか。ただ「実測切図」の「ユックオマㇷ゚」は、どう見ても yuk-oma-p で「シカ・そこにいる・もの(川)」なんですけどね……。

そして「メナ川」と同様にいつの間にか「ポンメナ川」になってしまい現在に至ります。pon-mena で「小さな・上流の細い枝川」とするしか無さそうですね……。

ナイ川

nay?
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
元浦川の東支流で、「リクンヌシ山」の北を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ナイ」と描かれていて、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ナエイ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「宇羅加和誌」には次のように記されていました。

また七八丁上りて
     ナ イ
右のかた大川也。其名義沢と云儀也。是此川すじ第一番の支流、小石にて急流。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.477 より引用)
「元浦川筋で一番の支流」とあり、上流部の「ソエマツ川」や「ニシュオマナイ川」を除けば確かにその通りなのですが、何故か永田地名解 (1891) には記載が見当たりません。

nay で「」ではないかとのこと。そりゃまぁ、そうなんでしょうね……。

独自研究

ここからは独自研究なので話半分に捉えていただきたいのですが、この「ナイ川」は「東西蝦夷──」では「ナエイ」とあります。空知の「奈井江川」は「東西蝦夷──」では「ナイ」ですが、『北海道実測切図』では「ナエイ」とあり、地名も「奈」と描かれています。

また深川市・旭川市の境界を「内大部ないだいぶ川」が流れていて、士別市には「西内大部川」「東内大部川」が流れています。旭川市には「江丹別川」が流れていて、雨竜郡北竜町(一部は雨竜郡雨竜町との境界)を「恵岱別川」が流れています。これらの川がどれも同系の可能性があるんじゃないか……と考えています。

これらの川の中でもっとも特徴的なのが「恵岱別川」で、水源(頭)が「暑寒別岳」のすぐ近くにあります(地理院地図)。e-etaye-pet で「頭(水源)・引っ張る・川」ではないか……と思っています。

「奈井江川」も、恵岱別川ほど極端ではありませんが、似たような感じで水源(頭)が「美唄山」に引っ張られているように見えます(地理院地図)。「奈井江川」はむしろ「西内大部川」に似ているかもしれません。

「川」ではなく「川の頭(水源)」だったのでは

今回の「ナイ川」も水源(頭)が鞍部ではなく山の頂上に向かっているようにも見えます。またナイ川の水源は、元浦川に合流する地点から東、あるいは東南東に位置しています。これは horka(U ターンしている)と言うほどではありませんが、注意が必要なものです(川を遡るよりも山を越えてショートカットしたほうが早いので)。

「ナイ川」は単なる nay ではなく、nay-e で「川・頭(水源)」だったのではないかと想像しています。nay-e の後ろに続いていた何か(例えば etaye-nay とか?)が省略されてしまい、いつしか由来も忘れられてしまったのではないか……と。

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