2019年2月3日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (603) 「西内大部川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

西内大部川(にしないたいべ──)

{nay-e}-etaye-pet?
{沢・頭}(水源)・引っ張る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
士別市上士別町の東側を流れる、天塩川の北支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ナイタイベ」と記されています。

武四郎さん曰く

丁巳日誌「天之穂日誌」にも次のように記されていました。

こへて
     ナイタイベ
左りの方相応の川也。此処まで漸々船を持来りけるが、是よりは中々行難し。よって船を此処に置てキナ一枚ヅヽを背負て上るに、川すじ大に浅くなりて歩行やすし。昔間宮も此処まで来りて、是より下りしと云伝ふ。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.116 より引用)
「間宮」と呼び捨てされているのは、蝦夷地や樺太を探検し「間宮海峡」を発見したことで知られる「間宮林蔵」のことです。この文からは、松浦武四郎が間宮林蔵のことを「間宮」呼ばわりしていた(ぉぃ)ことはわかるものの、川の名前の由来については良くわかりません。あ、でも「西内大部」ではなく「ナイタイベ」だったことがわかりました。

永田っち曰く

永田地名解にも記載がありました。

Nai ta yube  ナイ タ ユペ  川鮫
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.419 より引用)
ふむふむ、なるほど。nay が「川」で yupe が「チョウザメ」だということなんでしょうが、ta をどう解釈したものかよく分かりません。知里さんが「永田地名解」を名指しで吊るし上げたのは、こういったところも理由の一つだったのでしょうね。

更科さん曰く

では次に、更科さんの「アイヌ語地名解」を見ておきましょう。

 内大部川(ないだいぶがわ)
 天塩川の支流。ナイ・タイ・ユペで川にいる鮫の意だという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.163 より引用)
nayyupe は理解できますが、「タイ」を「~にいる」と解釈できるかどうかは疑問が残ります。他ならぬ更科さんも

天塩川には蝶鮫が多かったというが、はたしてこの訳でよいか不明。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.163 より引用)
と、「知らんけど」に近い形で締めてしまっています。やはり違和感があったのでしょうね。

山田さん曰く

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

旭川の神居古潭の下の内大部川と同名らしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.150 より引用)
おっ、そう言えば旭川と深川の境にも「内大部川」が流れていましたね。そして十勝の士幌町には「ナイタイ川」が流れていました。そう言えば今年は内外タイムスの「終刊」10 周年でしたね(かなりどうでもいい)。

西蝦夷日誌はナイタイベ,永田地名解は「ナイ・タ・ユペ。川・鮫」と書いた。yupe は蝶鮫のことである。ただしこのナイタイベも分からない地名の一つであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.150 より引用)
さすがは慎重な山田さんらしいというか、既存の説を紹介しつつ「分からない」と率直に記していました。これはつまり、山田さんも「川・鮫」という解釈に首肯できなかった、ということなのでしょう。

知里さん曰く

知里さんは、深川・旭川市境の「内大部川」について、nay-ta-yupe で「沢・の・チョウザメ」と解釈していました。ただ、次のようにも記していました。

或は「ナイ・エタイェ・ベツ」(Nai-etaye-pet 沢の・頭がずっと奥へ行っている・川)などの転訛か。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.314 より引用)

ちょっと考えてみた

神居古潭の西にある「内大部川」と、ナイタイ高原牧場の近くを流れている「ナイタイ川」、そして士別の「西内大部川」と「東内大部川」には、何らかの共通点があるのではないか、と考えてみました。もちろん「チョウザメが上がる」という可能性もありますが、いずれも nay が頭についているところに鍵がありそうな気もします。

いつもの流儀で地形図を眺めてみたところ、「西内大部川」の水源部が面白い形をしていることに気づきました。水源に近いあたりでぐっと谷の向きが変わっているのです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

引く、引っ張る、引き抜く

そして、知里さんが「あるいは nay-etaye-pet ではないか」と記したことについても考えてみました。知里さんは etaye が「頭がずっと奥へ行っている」であると記しましたが、etaye という語彙は、本来は「引っ張る」という意味です。そう考えて改めて地形図を見てみると、まるで「谷」が山のほうに「引っ張られた」ようにも思えます。

より厳密には、「引っ張られた」のは「谷」ではなくて「水源」だ、とも言えるかもしれません。nay-etaye-pet だと思っていましたが、実は nay-e-etaye-pet という可能性は無いでしょうか。「沢・頭・引っ張る・川」なのではないか、と。

もしかしたら「あの川」も

nay-e で思い出されるのが「奈井江」という地名です。「奈井江川」は nay の所属形である nay-e で「あの川」という意味ではないか、とも言われていますが、釈然としないものを感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

もしかして、と思って奈井江川の水源部を眺めてみたところ、見事に「美唄山」の方向に捻じ曲がっているようにも見えます。奈井江川も、もしかしたら元は nay-e-etaye-pet だったのではないか……とすら思えてきました(あるいは nay-e-pis-oma-p とかかもしれませんが)。少なくとも「奈井江」は「あの川」ではなく「川の頭(水源)」と考えられないかな、と。

あと、「恵岱別」についても、素直に etaye-pet だったかな、と思えてきました。こちらは水源ではなく、川自体が暑寒別岳に引っ張られているように見えますので。

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