2019年2月10日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (605) 「士別パンケ川・ペンケヌカナンプ川・チラエル川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

士別パンケ川(しべつぱんけ──)

panke-o-sat-utur-oma-nay?
川下側の・川尻・乾いている・間・そこに入る・川


士別市兼内の南で天塩川に合流する南支流の名前です。「士別」は si-pet で「主たる川」あるいは「大いなる川」と言った意味で、かつては士別から上流部の天塩川を「士別川」と呼ぶ流儀もあったようです(現在は上流部もそのまま「天塩川」と呼ばれています)。

「パンケ」は「ペンケ」と対になる概念で、panke は「川下側の」という意味です。「士別パンケ川」は「川下側の主たる川」かな、と考えたくなりますが、実際は単に「士別市のパンケ川」のような気もします。

「士別パンケ川」を遡ったところに「大英」という集落があります。この「大英」は、かつては「攀渓」という地名でした。「攀」には「パン」とルビが振られているので、おそらく「ぱんけい」とでも読ませていたのでしょう。「攀」は「よじ登る」や「縋りつく」という意味なので、「攀渓」だと「よじ登る渓谷」ということになります。見事な字を当てたものですね。

ただ、明治の頃の地形図を見てみると、「士別」でも「パンケ」でも無い「オサオトルマプ」と記されています。「東西蝦夷山川地理取調図」では東西ではなく南北が逆に「ヲサウトロマ」という川が描かれています(本来は南支流なのに北支流として描かれている)。

丁巳日誌「天之穂日誌」にも次のように記されていました。

此処にて丸小屋の古き有るが故に、是にキナを張一宿せんと其用意をイソコランえ申附、我等三人今少し上に行に、五六丁にして
     ヲサウトルマ
右の方中川也。此フトを越るやまた浅瀬。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.117 より引用)

永田地名解にも記載がありました。

Osaoturuma,= O sar'uturu oma nai  オサオト゚ルマ  川尻ニ茅アル間ニ在ル川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.419 より引用)

o-sar-utur-oma-nay で「川尻・茅原・間・そこに入る・川」と解釈したのだと思いますが、あるいは o-sat-utur-oma-nay で「川尻・乾いている・間・そこに入る・川」だったのかもしれません。

肝心の「士別パンケ川」の由来についてですが、「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めていると「ヘンケヲサウトロマ」という川名(だと思われる)がひっそりと記録されていたことに気が付きました。

位置的には「トナイタイベ」の東を流れる北支流として記されていますが、「ヲサウトロマ」と同様に南北を間違えている可能性が高そうです。

「ヲサウトロマ」の川上側に「ヘンケヲサウトロマ」があった……ということは、「ヲサウトロマ」は「パンケヲサウトロマ」と認識されていたと考えるのが自然です。それが「パンケ川」と略されるようになり、それだけだと下川町の「パンケ川」と名前が被ってしまうので、「士別」を被せたのかな、と思われます。

ペンケヌカナンプ川

penke-nokan-an-p?
川上側の・細かく・ある・もの(川)


「ペンケヌカナンプ川」は、士別市朝日町の中心地の南側で天塩川に注ぐ支流の名前です。由来については「パンケヌカナンプ川」と同様である筈ですが、いかんせん「ヌカナン」という川名自体が名うての「謎地名」のため、良くわからないというのが正直なところです。

幸いなことに、下川に続いて士別でも「パンケヌカナンプ」と「ペンケヌカナンプ」がコンビを組んでくれています。両者には「ヌカナン」と呼ばれるだけの何らかの共通した特徴がある筈なのですが……うーん。

「パンケヌカナンプ川」では、支流の多さから panke-nokan-an-p で「川下側の・細かく・ある・もの」ではないか、と考えてみました。あるいは panke-nup-kanna-p で「川下側の・野原・上方にある・もの」とも考えてみました。

「ペンケヌカナンプ川」も非常に支流の多い川なので、penke-nokan-an-p で「川上側の・細かく・ある・もの(川)」と解釈できそうです。penke-nup-kanna-p で「川上側の・野原・上方にある・もの」とも読めるのも同様ですが、「ヌカンナ」が必ず「ヌカナン」に読み替えられるというのもおかしな感じがするので、一旦は却下でいいかもしれません。

チラエル川

chiray-ru?
イトウ・路
chiray-us-ru-pes-pe
イトウ・多くいる・路・沿って下る・もの


ペンケヌカナンプ川の東支流の名前です。チラエル川がペンケヌカナンプ川に合流するあたりにはかつて「ペンケ」と呼ばれていた集落があり、「ペンケ神社」という神社があります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には、「チライウシルヘシベ」という名前の川が、天塩川の南支流として記されています(現在の「九線川」だと思われます)。「チラエル川」は天塩川の南支流である「ペンケヌカナンプ川」の東支流なので、両者は別の川だと考えるのが自然ですが、面白いことに両者の水源はほぼ同じ場所にあります。別の言い方をすると、「チラエル川」を遡って峠を越えると「九線川」に行けることになります。

「チラエル」はおそらく chiray-ru で、「イトウ・路」と解釈できるかと思います。そして「東西蝦夷山川地理取調図」や「天之穂日誌」の記載からは、chiray-us-ru-pes-pe で「イトウ・多くいる・路・沿って下る・もの」という川が存在していたと考えられます。

前述の通り、「チラエル川」と「チライウシルヘシベ」の場所は異なります。これを「東西蝦夷山川地理取調図」および「天之穂日誌」の誤記と考えることもできますし、あるいは「チラエル川」という川名が移転したと考えることもできます。どちらが正解なのかはなんともいえませんが、「チラエル」の意味するところは大きく間違ってないだろう……と考えています。

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