2019年2月2日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (602) 「伊文・パンケヌカナンプ川・金川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

伊文(いぶん)

inun-us-pet
漁季だけ寝泊まりする小屋・ある・川


士別市南西部の犬牛別川に「温根別ダム」というダムがあります。ややこしいことに、犬牛別川の支流としての「温根別川」は士別市の北西部を流れていて、「温根別ダム」は犬牛別川の本流側に存在します。士別市の西側は 1954 年まで「温根別村」だったため、かつての村名に由来する、と考えるといいのかもしれません。

「伊文」は、現在はダムに沈んでしまったあたりの集落の名前でした。そのため現存しない地名とも言えるのですが、山の向こう側の幌加内町に「伊文越沢川」という川名が残っています。また、士別市側にも「イブン川」「イブン奥沢川」という名前の川が現存しています。

更科さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

この地名も士別市に合併の前はイヌンウという片仮名で呼ばれていたが、市になると同時に伊文になった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.163 より引用)

なるほど……! 目からウロコがレーザービーム状に発射されそうになりましたが、そういうことだったんですね。

イヌンウはイヌンウシペッで犬牛別で説明した通り、川漁のために出かけて滞在する川というので、昔は漁の豊かな川であったわけである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.163 より引用)

「イヌンウ」は inun-us-pet を省略したものだった、ということですね。元の名前の inun-us-pet は「犬牛別」という川名として健在ですが、どうやら元々は「伊文」の上流側(南側)の地名でもあったようです。

ということで、「伊文」は inun-us-pet漁季だけ寝泊まりする小屋・ある・川)の省略形だった、と言えそうです。

パンケヌカナンプ川

panke-nokan-an-p??
川下側の・細かく・ある・もの


士別市中央部、市街地の南東で天塩川に合流する「金川」という川があります。「パンケヌカナンプ川」は「金川」の東支流の名前で、天塩川から見ると支流の支流、ということになります。

ちなみに「パンケヌカナンプ川」の東支流として「銀川」が流れています。「金川」→「銀川」→「パンケヌカナンプ川」なのかな、と思ったのですが、OpenStreetMap を見る限りは「金川」→「パンケヌカナンプ川」→「銀川」のようです。

丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

過て河流屈曲たる処を廻りて、
     ハンケヌカナン
右の方相応の川也。此向大赤崩岸平(ピラ)に成たり。其下急流なり。沢目の両岸は峨々として高山に成たり。
 右の方ヌカナン通りの事を聞に、しばし上りてイチヤンヲマナイ、キモマメム、しばし行てシヤクシヌカナン、こへてキムンクシヌカナン、上りてヲロウエンヌカナン等有り。此処より石狩の上川アイヘツえ山越有るよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.115 より引用)

むむっ。これはまた大変な「ヌカナン」ファミリーが形成されていたのでした。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハンケヌカナン」の文字こそ無いものの、「ヌカナンブト」との文字があり、「パンケヌカナン」(川下側のヌカナン)は事実上「ヌカナン」として認識されていたことを伺わせます。

これらの「ヌカナンファミリー」について、「東西蝦夷山川地理取調図」と照らし合わせてみましょう。

イチヤンヲマナイ

まず「イチヤンヲマナイ」ですが、どうやら現在の「銀川」のことだと考えられそうです。ichan-oma-nay で「(鮭・鱒の)産卵場・そこに入る・川」と解釈できそうです。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「イチヤンハヲマナイ」とあるので、ichan-pa-oma-nay で「(鮭・鱒の)産卵場・かみて・そこに入る・川」かもしれません。

シヤクシヌカナン

そして「シヤクシヌカナン」ですが(あれっ)、sa-kus-{nukanan} で「海側・通行する・{ヌカナン}」ということでしょう。地理院地図にはそれらしき川は描かれていません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「シヤククシヌカナン」とあり、sak-kus-{nukanan} で「夏・通行する・{ヌカナン}」と解釈することも一応可能ですが、続く「キムンクシヌカナン」のことを考えると、おそらく誤記ではないかと思われます。

キムンクシヌカナン

「キムンクシヌカナン」は、「東西蝦夷山川地理取調図」には「キンクシヌカナン」とあります。kim-kus-{nukanan} で「山側・通行する・{ヌカナン}」と考えられます。現在「大和自治会館」から西に伸びる道(砂利道っぽい)がありますが、峠を越えた西側を「キムンクシヌカナン」が流れていたのではないかな……と想像しています。

「天之穂日誌」の言う通りに「キムンクシヌカナン」が正しいのだとすると、{kim-un}-kus-{nukanan} で「{山にある}・通行する・{ヌカナン}」となるでしょうか。

ヲロウエンヌカナン

oro-wen-{nukanan} で「その中・悪い・{ヌカナン}」と考えられます。何らかの理由で川の中が歩きづらい川だったのかもしれません。「東西蝦夷山川地理取調図」では上流部の西支流として描かれていますが、それらしき川が存在しないので、実際には東支流なのかもしれません。

シノマンヌカナン

「天之穂日誌」には出てきませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」に名前が記録されています。sinoman-{nukanan} で「本当に山奥へ行っている・{ヌカナン}」と解釈できます。

閑話休題

さて、これだけの「ヌカナンファミリー」を統括する「(パンケ)ヌカナン」ですが、永田地名解には次のように記されていました。

Nukananp  ヌカナンㇷ゚  ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.419 より引用)

お約束どおりの展開をありがとうございます。「ヌカナン」系の地名(川名)は道北や道東などでいくつも見られますが、未だに解釈に定説の無い地名でもあったりします。更科さんも次のように記していました。

しかしこのヌカナンプという地名は難解な地名で、永田方正氏も不明のまま見送っている。ヌプ(野)カ(上)ナム(冷たい)プ(もの、すなわち川)と解すのも無理のようである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.162 より引用)

ふーむ。個人的にそれほど違和感の無い解ですが、更科さん自身は「無理のようである」と考えたようですね。

根室本線の野花南と同じ系統のものかどうかもはっきりしない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.162 より引用)

根室本線の野花南と言えば水谷豊の出身地として有名だったでしょうか(割とどうでもいい)。宗谷本線にも糠南という有名な「秘境駅」がありますね。

ということで、本題から逃げまくってここまでやってきましたが、「結局『ヌカナン』ってどういう意味なのよ?」という根本的な疑問は結局解消されないままです。支流の多さを考えると panke-nokan-an-p で「川下側の・細かく・ある・もの」と考えるのが魅力的に思えたりもしますが……。あるいは panke-nup-kanna-p で「川下側の・野原・上方にある・もの」とかでしょうか。

金川(きん──?)

kim-oma-mem?
山の方・そこに入る・泉池


パンケヌカナンプ川は天塩川から見ると「孫川」で、いったん「金川」に合流後、「金川」として天塩川に合流しています。このあたりは砂金の出る川が多かったようで、この「金川」もそうだった可能性があります。

……ただ、丁巳日誌「天之穂日誌」や「東西蝦夷山川地理取調図」を見た限りでは、この「金川」はかつて「キモマメム」と呼ばれていたように思われます。kim-oma-mem は「山の方・そこに入る・泉池」で、上流部に湧水のある池があったのだろう……と思わせます。

kim-oma-memkim に省略されて、kim の川で「きんがわ」になったんじゃないかなぁ……という想像です。「天之穂日誌」の「ハンケヌカナン」の項で、「キモマメム」だけしれっとスキップしたのは、「金川」で一本行けるのではないか、と色気を出した結果です(汗)。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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