2019年1月26日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (600) 「チューブス川・犬牛別川・イパノマップ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

チューブス川

chutchup-us-i
とくさ・多くある・もの
(典拠あり、類型あり)
士別の市街地は天塩川と剣淵川の間に存在しています。「チューブス川」という、夏以外は涸れてそうな風評被害)名前の川は、西側を流れる剣淵川の東支流で、士別の市街地が水源です。

「東西蝦夷山川地理取調図」などには記載がなく、さてどうしたものか……と思っていたのですが、山田秀三さんの「北海道の地名」にちゃんと記載がありました。

道河川課の鈴木氏が現業所では「木賊の多い処といっているが」と語られた。chutchup(とくさ),あるいは chutchup-ush-i「とくさ・群生する・もの(川)」のような川名があって,それからチューブスとなったかなと思った。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.152 より引用)
ふむふむ。確かに知里さんの「植物編」には次のように記されています。

§421. トクサ Equisetum hiemale L. var. japonicum Milde.
(1) sipsip(síp-sip)「志ㇷ゚シㇷ゚」[sip-sip(戻り・戻りする)] 莖 ((北海道全地))
  注 1.──杓子や箸などの木工品の仕上げをする時,この莖でこすって磨きあげる。その際の手の動きから名ずけたものである。
(2) isirukina(i-sí-ru-ki-na)「イ志ルキナ」[i(物を)sirú(こする)kina(草)] 莖 ((落帆))
  注 2.──細工物をこする草の意味である。
(3) tokosa(to-kó-sa)「トこサ」[<日本語“とくさ”] 莖 ((白浦))
(4) chutchup(chút-chup)「ちュッチュㇷ゚」[<sipsip] 莖 ((美幌,屈斜路))
(參考)莖を乾燥して木工品を磨きあげるに用いた(各地)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.239 より引用)
ふむふむ。木賊(とくさ)は isirukina あるいは sipsip と呼ばれますが、道東などでは sipsip が少し変化して chutchup と呼ばれるケースもあった、ということですね。

「チューブス川」は chutchup-us-i で「とくさ・多くある・もの」と考えられそうです。

犬牛別川(いぬうしべつ──)

inun-us-pet
漁季だけ寝泊まりする小屋・ある・川
(典拠あり、類型あり)
剣淵川の西支流の名前です。下流部は士別市と剣淵町の境界を流れ、中流部は剣淵町域、そして上流部は士別市域を流れています。流路自体も巨大な逆 S 字を描いていますね。

この「犬牛別川」ですが、丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

     ウブヌシヘ
本名イウヌシベツなるべし。此処また二股に成る也。右の方本川、左りの方少し小さし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.107 より引用)
本当は「イウヌシベツ」だけど「ウブヌシヘ」と言われているよ、という風に記されています。それよりも興味深いのが「右の方本川」という部分で、確かに「天之穂日誌」の記載を見ると犬牛別川が(剣淵川の)本流である、という認識だったことが見て取れます。いや、純粋に「へぇ~」という話なんですけどね。

天之穂日誌には「本名イウヌシベツなるべし」とありますが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「イヌウシヘツブト」と記載されています。「ブト」は putu で「河口」のことですから、川の名前は「イヌウシベツ」だよ、ということになりますね。

また、永田地名解には次のように記されていました。

Inun ush pet  イヌン ウㇱュ ペッ  漁人ノ假小屋アル川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.419 より引用)
ああー。確かに inun は「漁のために滞在する」という意味でしたね。また inun-chise で「漁季だけ寝泊まりする小屋」となりますが、これを inun と略することもあったようです。

山田秀三さんの「北海道の地名」にも、次のようにまとめられていました。

inun は「漁のため滞在する」,「その滞在用の小屋」をいう。この川名は inun-ush-pet で「魚捕りに滞在する・いつもする・川」か,あるいは永田氏の書いた「漁用滞在小屋・のある・川」かのどっちかであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.152 より引用)
はい、全く同感です。微妙な違いはあるけれども、大局的には大差ないので、今日のところは inun-us-pet で「漁季だけ寝泊まりする小屋・ある・川」としておきましょう。

イパノマップ川

e-pana-oma-p?
頭(水源)・海寄りのほう・そこに入る・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
犬牛別川の北支流で、国道 239 号のあたりまでは剣淵町と士別市の境界でもあります。上流部には「ポンイパノマップ川」という支流もあったりで、そこそこの川だと思うのですが、残念ながら「東西蝦夷山川地理取調図」などには記載がありません。

ただ、ありがたいことに更科さんの「アイヌ語地名解」に記載がありました。さっそく引用してみましょう。

 イパノマップ
 剣淵町のうちにイパノマップとイパノマップ原野という字名が近年まで残っていた。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.161 より引用)
どことなくボサノヴァの名曲を思い出させる地名ですね。もちろん続きがあります。

犬牛別川の支流からでた地名で、地名の語源はイ・パン・オマ・プでわれわれの川下にあるもの、またはそれの川下にあるものという意味かと思うが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.161 より引用)
i-pan-oma-p で「われわれ・川下の・そこにある・もの」と考えたのだと思いますが、更科さんもなんとなく引っかかるものを感じていたようで、

どっちも何か割り切れない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.161 より引用)
あ……そうですよね。ただ、このまま終わる更科さんではありません。

 近年は味気なく八区と割り切った。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.161 より引用)
この割り切り方……流石でございます(汗)。

個人的にはどうしても更科さんのようには割り切れないので、もう少し調べてみましょう。「東西蝦夷山川地理取調図」には記載がありませんでしたが、丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

扨其二股にて又右の方の事を聞取て筆記しけるに、
    バナヲマナイ
此沢右の方小川。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.108 より引用)
ふーむ。pana-oma-nay であれば「川下のほう・そこに入る・川」ということになりますが……きっとこれは間違いですね。現在の「イパノマップ」という川名を考えると、おそらく元々は e-pana-oma-nay だったんじゃないかな、と思われます。

e-pana-oma-p であれば「頭(水源)・海寄りのほう・そこに入る・もの(川)」となります。ポイントは pana の解釈で、このあたりでは川は南から北に流れるものと考えられていた筈です。ところが「イパノマップ川」は水源が北のほうにあるので、「水源が海の方にある川」と呼ばれた……のではないかと。

上富良野町に「江花」という地名がありますが、そこを流れる「エバナマエホロカンベツ川」と似た構造の川名だと考えられます。

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