2019年2月23日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (608) 「似峡・於鬼頭川・茂志利」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

似峡(にさま)

nisey-oma-nay?
断崖・そこにある・川


士別市(旧・朝日町)東部の地名でしたが、集落は岩尾内湖の下に沈んでしまいました。ただ、同名の川と山(似峡岳)が現存しています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ニシユマニ」という名前の川が描かれています。また丁巳日誌「天塩日誌」には「ニシヤマナ」という名前の川が記録されています。

更科さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

 似峡(にさま)
 朝日町のうちにある市街地の名で、天塩川の一番奥の市街地ということにもなる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.164 より引用)

かつては集落があり、更科さんはその頃にこの項を記したことがわかりますね。

古い地図ではニイサマ川になり、現在似峡岳とよんでいる七四四メートルのとがった山にニイサマ・ウエンシリ=ニイサマの(歩くのに)悪い山、という名がついている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.164 より引用)

ほほう。これは知りませんでした。似峡岳の麓では似峡川が山裾を削りそうな場所を流れているので、確かに歩くには適していないのかもしれません。

 ニイサマの語源はこれまでだれもふれていないが、ニは木でサムは傍ということになるが、詳しい点は不明である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.164 より引用)

ni-sam で「木・傍」ではないか、ということですね。まぁ、確かにそう考えたくなりますよね。

一方で、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

朝日町役場の知らせではニサマップで雲の生ずる処であるとのことであった。ニシ・サム・オマ・プ「nish-sam-oma-p 雲の・側・にある・もの(川)」ぐらいの形からニシサマプとなり,似峡となったか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.151 より引用)

確かに明治の頃の地形図には「ニイサマㇷ゚」と記されていて、山田さんの試案に近いのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にある「ニシユマニ」と「ニシサマプ」では、少し違いが大きいようにも感じられます。

あるいは平凡にニ・サム(木の・側)とも読める。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.151 より引用)

やはり、同じような考え方に収斂するのですね。ni-sam で「木・傍」というのは、個人的にはちょっと引っかかるところもあるのですが、更科さんは次のように記していました。

この川の天塩川にそそぐあたり、昔ひどい密林か何かあったかとも思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.164 より引用)

ひどい密林……(汗)。

かつて「ひどい密林」があったかどうかは一旦措くとして、「東西蝦夷山川地理取調図」の「ニシユマニ」という記録からは、nisey-oma-nay で「断崖・そこにある・川」と読めないでしょうか? -nay が省略され、nisey-oma が「ニショマ」となり、それが「ニシャマ」を経由して「ニサマ」になったという可能性です(「ニイサマㇷ゚」は「ニサマㇷ゚」から変形したのではないかと)。

於鬼頭川(おきと──)

o-ket-un-nay?
河口・獣皮を張って乾かす枠・ある・川
o-kito-us-nay??
河口・行者にんにく・多くある・川


岩尾内ダムのダム湖である「岩尾内湖」の南端あたりで湖に注いでいる東支流の名前です。源流に向かって遡った先に同名の山(於鬼頭岳)もあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「テケト」と記されていました。随分と適当な感じがしますが(汗)、丁巳日誌「天之穂日誌」にはちゃんと「ヲケト」とありましたので、おそらく「東西蝦夷──」の誤記なんでしょうね。

更科さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

語源は北見の置戸と同じかと思われるが、それならオケトンナイで、オ(川口に) ケッ(皮を乾す張り枠)ウン(ある)ナイ(川)がそれだと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.164-165 より引用)

o-ket-un-nay で「河口・獣皮を張って乾かす枠・ある・川」の -un-nay が省略された形ではないか、という解釈ですね。個人的にも全く同感です。

しかしオ・キト・ウㇱ・ナイであったかもしれない。もしそうだとすると川口に行者蒜(俗にアイヌ葱という山菜)の沢山ある川ということにもなる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.165 より引用)

あー、確かに言われてみればそう読むこともできますね。o-kito-us-nay で「河口・行者にんにく・多くある・川」と解釈することもできそうです。なんとなく、kito よりは ket のほうが可能性は高そうな気がしますが……。

茂志利(もしり)

mosir-ka-oma-nay?
大地・かみ・そこに入る・川


岩尾内湖の南、天塩川沿いの地名です。道道 101 号「下川愛別線」に「茂尻橋」という橋がかかっているほか、ペンケヌカナン川方面に抜ける「茂志利トンネル」という名前のトンネルもあります。

mosir は「大地」あるいは「土地」を意味する一般名詞ですが、赤平市茂尻や幌加内町母子里(「北母子里」という駅がありました)など、一般名詞のように使用される場合もあります。

さて、士別市茂志利についてですが、明治の頃の地形図に「モシリカオマナイ」と記されていたことに気がつきました。なるほど、mosir-ka-oma-nay で「大地・かみ・そこに入る・川」と読み解けそうですね。

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