2019年9月30日月曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (110)「雨竜川、またその先に雨竜川」

JR 函館線の妹背牛駅にやってきました。キュービズムの影響が色濃く感じられる駅舎ですね(それは違うような)。
下り線のホームと上り線のホームが若干オフセットされた配置のようで、間に跨線橋が設けられています(開設当初は構内踏切だったのかもしれませんね)。跨線橋と駅舎の間には何故か屋根がありません。確かにそれほど長い距離ではありませんが……。
都市部だと、駅前はいろんな店が立ち並ぶ「一等地」だったりしますが、都市部ではないところだと駅が「町外れ」になっていることも少なくありません。妹背牛駅は市街地に隣接しているので「町外れ」では無いですが、駅前には店っぽいものはほとんど見当たりません。

妹背牛町営バス

ただ、駅前には公衆トイレと自転車置き場が整備されています。鉄道の利用者が自家用車を使用できない層……具体的には高校生が中心であることを示唆しているようですね。そして自転車置き場の前に「妹背牛町営バス」のバス停があったのですが……(せめて窓を開けてから撮影しようよ
なんと、町営バスは駅前と「妹背牛温泉前」バス停を結ぶものだったのですね。両者の距離は約 1.2 km ほどですので、歩いたとしても 20 分もあれば余裕で到着できてしまいそうです。一日一往復、そして月水金のみの運行だそうですが、どの程度利用があるのか、興味が湧きますね……。
ちなみに妹背牛駅前 15:30 発で、帰り?の妹背牛温泉前発は 17:30 とのこと。ですのでこのバスを利用すれば 90 分ほど風呂に入れる計算になりますね(時刻表は 2015 年 8 月現在ですので、現状は不明です)。

道道 280 号「妹背牛停車場線」をゆく

妹背牛駅前を出発して、再び道道 280 号「妹背牛停車場線」を北北西に向かいます。要は来た道を引き返すだけなんですが……(汗)。横断中の人が優先なので、ちょいと一時停止を。
道道 280 号「妹背牛停車場線」の終点に到着しました(所要時間 1 分ほど)。左手前には「妹背牛郵便局」があるのですが……さすがにこの画角だと見えないですね。

道道 47 号「深川雨竜線」で雨竜町へ

左折して、道道 47 号「深川雨竜線」を西南西に向かいます。市街地のメインストリートにありがちな「幅広の道」でしたが、この先で普通の幅に戻るようです。
この先をまっすぐ進むと国道 275 号に戻ることになります。道道 47 号は国道 275 号と合流したところが終点で、そこから雨竜(雨竜町)に向かうには国道 275 号を南下することになります。

大鳳川のアーチ橋

前方にこれまた立派な鉄橋が見えてきました。今度はアーチ橋のようですね。
このアーチ橋、てっきり雨竜川の橋だと思ったのですが、実は雨竜川の隣を流れる「大鳳川」のものでした。

雨竜川、またその先に雨竜川

アーチ橋で大鳳川を渡ると、今度はごくごく一般的な「桁橋」が見えてきました。どうやらこちらが雨竜川だったようです。
橋の向こう側に「うりゅう川」の看板も見えます。画質がアレですいません。
そして……前方に今度は「雨竜橋」という名前の橋が見えてきました。あれれ?
見切れてしまっていますが、この川も「雨竜川」とのこと。どうやら蛇行していた雨竜川を改修してショートカットする新川を開削したようなのですが、結局かつての雨竜川もそのまま残っているとのこと(三日月湖ということでは無さそう)。
かなり意味のないことになっているような気がするのですが、あと数十年もすれば閉塞するのでしょうか。あるいは旧河道を農地に転用するつもりで新川を開削したものの、減反政策の煽りを受けて放置……とかだったら目も当てられませんね。

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2019年9月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (665) 「金駒内・オヤルフツナイ川・登駒内川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

金駒内(きんこまない)

kim-un-oma-nay?
山・に行く・そこに入る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
初山別村初山別(役場のあるところ)と初山別村豊岬(天文台のあるところ)の間の地名です。同名の川が段丘を割るように流れています。また、金駒内川を渡っていた旧・国鉄羽幌線の鉄橋が今も撤去されずに残されていることでも知られている……かもしれません。

「西蝦夷日誌」に次のような記載がありました。

(十一丁)ケムンヲマナイ(小川)、此處往古大なる鳥の形の岩有しが、其見ゆる邊には魚が寄らざりしと。依て是を飢饉の神と言置しが、何時となく其岩うせ、其後は魚が寄来りしと言傅へぬ。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.273 より引用)
「大なる鳥の形の岩」……羽幌のあたりで見かけたような気もしますが(それ岩じゃない)。なお kem で「飢餓」という語彙があり、kem-us で「飢餓になる」という用法もあるようです。us を無理やり un に置き換えると、kem-un-oma-nay で「飢餓に・なる・そこにある・川」と読めたりするのでしょうか。

「再航蝦夷日誌」には「ケムコマナイ」と記されていました。また明治時代の「北海道地形図」には「ケンコマナイ」と描かれています。随分と「金駒内」に近づいてきましたね。

「西蝦夷日誌」に記されている「飢餓」にまつわる伝説は(地名説話としては)面白いですが、やはり「地名説話」に過ぎないのでは……という飢餓して……あ、間違えた。気がしてなりません。

「ケムンヲマナイ」を素直に読み解くと、kim-un-oma-nay で「山・に行く・そこに入る・川」になろうかと思います。このあたりの川にしては珍しく、川を遡るとすぐ山の上に辿り着いてしまうので、「山に行く川」と呼んだのではないか……と思うのですが……。

問題は「コマ」の k なのですが、oma の強勢のためにどこかから出てきた……んじゃないかな、と。

オヤルフツナイ川

o-yar-pe-ot-nay?
河口・破れる・水・多くある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
初山別村豊岬の北に「大沢」という集落があります(かつて国鉄羽幌線の「天塩大沢」という駅のあったところです)。オヤルフツナイ川は大沢のあたりを流れて直接海に注ぐ川の名前です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チロケヘヲツナイ」という名前の川が描かれています。どうやらこの川が現在の「オヤルフツナイ川」らしいのですが、かなり原型を留めていない感があります。

「竹四郎廻浦日記」には「チヤクヘヲチナイ」と言う名前の「小川」が記されていました。これまた原型を留めていない感が凄いのですが、良く見ると二文字目が「ロ」から「ヤ」に変わっています。現在の「オヤルフツナイ川」に一歩近づいた感がありますね!

明治時代の「北海道地形図」には、「オヤルペオホツナイ」という名前の川が描かれていました。また「西蝦夷日誌」には「ヲヤリヘヲチナイ」という川の存在が記録されていて、「再航蝦夷日誌」には「ヲヤリフツナイ」とありました。

さぁ、そろそろ訳がわからなくなってきたので、情報を整理してみましょう。

チロケヘヲツナイ (東西蝦夷山川地理取調図)
チヤクヘヲチナイ (竹四郎廻浦日記)
ヲヤリヘヲチナイ (西蝦夷日誌)
ヲヤリフツナイ  (再航蝦夷日誌)
オヤルペオホツナイ(北海道地形図)
オヤルフツナイ川

もうお気づきと思いますが、「チ」はどうやら「ヲ」の誤記だったと考えられます。また「ケ」あるいは「ク」は「リ」の誤記だった、と考えられそうです。

ということで、「オヤルフツナイ川」は o-yar-pe-ot-nay で「河口・破れる・水・多くある・川」と考えられそうです。

登駒内川(とこまない──)

tokom-oma-nay
小山・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)
オヤルフツナイ川の北側を流れる川の名前です。1980 年代の土地利用図には「登駒内」という地名の存在も確認できますが、現在の地形図には記載が見当たりません(川名としては健在です)。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(十二丁)トコヲマナイ、此邊に來るや、濱廣くして上道なし。名義、昔し大船の船床流れ寄りし故號ると。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.274 より引用)
「トコヲマナイ」は「床ヲマナイ」だ、という驚きの日本語アイヌ語折衷案が出てきたようです。もちろん kompu のように日本語からアイヌ語に移入した語彙もあるので一概に否定するものではありませんが、本当かなぁ、という疑問は残ります。

服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」によると、「場所」を意味する宗谷方言として tóko なる語彙が〔日本語?〕という注釈つきで記録されています。ただ、これは「ところ」の略形(関西弁かも)である「とこ」を指すようにも思えます。

先ほどと同じように各種資料の表記をリストにしてみましょうか。

トマヲマナイ(東西蝦夷山川地理取調図)
トコヲマナイ(竹四郎廻浦日記)
トコヲマナイ(西蝦夷日誌)
トコマナイ (再航蝦夷日誌)
トコオマナイ(北海道地形図)
登駒内川

あっ……。「東西蝦夷山川地理取調図」に「トマヲマナイ」とありますが、これだったら普通に toma-oma-nay で「エゾエンゴサクの根・そこにある・川」と解釈できそうです。

ただ、他の資料が軒並み「トコ」になっているので、同じ間違いをずっと引きずったと考えるのも若干無理があるかもしれません(特にこのあたりの「東西蝦夷山川地理取調図」の信頼性が若干アレなことは「オヤルフツナイ川」の例でも明らかですし)。

「北海道地名誌」には、次のような解が記されていました。

 登駒内川(とこまないがわ) 字豊岬と共成の境をする小川。「トコ」は「トコㇺ」瘤山「オマ」にある「ナイ」沢で,瘤山にある沢の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.386 より引用)
あー、これは納得感のある解釈ですね。tokom-oma-nay で「小山・そこに入る・川」と考えて良さそうな感じです。

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2019年9月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (664) 「セタキナイ川・モセタキナイ川・白茶内山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

セタキナイ川

setakko-nay
ずいぶん長い間・川
(典拠あり、類型あり)
初山別川の南部を流れる川の名前で、直接海に注いでいます。2 km ほど北側を「モセタキナイ川」と「モセタキナイ南川」が流れているのですが、面白いことに「東西蝦夷山川地理取調図」には「モセタキナイ」と「セタキナイ」が左右逆に描かれています。「再航蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」には現在の順序通りに記されているので、「東西蝦夷山川地理取調図」のミスっぽい感じでしょうか(まぁ、割とある話です)。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

過てセタキナイ(小川)、名義、セタツコは長ゐとの義、見た處は短かけれ共、歩行けば長いとの義。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.272 より引用)
おや……随分と珍しい解が出てきましたね。少なくともこれまで記憶にない語彙が出てきたようです。setakko-nay で「ずいぶん長い間・川」と言うのですが、曰く、「一見短そうだけど実際に歩いてみるとめっちゃ長い川」なのだとか。なんじゃこりゃあ® と思って地図を眺めてみると、確かに「第一栄」集落の奥でクランク状に流れの向きが変わっていて、なるほどこれは遠目には勘違いしても不思議は無さそうです。

永田地名解にも次のように記されていました。

Se takko nai  セタㇰコ ナイ  長キ間ノ川 之ヲ望メバ短キガ如クナレドモ歩メバ長シ故ニ名ク勇拂郡ニ「イルシユカペド」アリ怒ルノ義 通行ノ人道ノ長キヲ怒ルヨリ名クト「セタキナイ」ト云フハ訛ル
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.405 より引用)
どうやら「西蝦夷日誌」の解をそのまま追認したような感じですね。ただ、かなり珍しい解なので、もう少し「ありそうな解」が無いか、念のため考えてみました。

「ゴボウ」を意味する seta-kina という語彙があるので、{seta-kina}-o-i あたりで「{ゴボウ}・多くある・もの(川)」と解釈できそうな気もします。ゴボウ群生地であるという情報を知られたくないが故に、インフォーマントが「ずいぶん長い間の川」という謎な解をでっち上げた……という可能性も考えてみたのですが、さすがに考えすぎでしょうか。

モセタキナイ川

mo-{setakko-nay}
小さな・{ずいぶん長い間・川}
(典拠あり、類型あり)
初山別村第二栄のあたりを流れる川の名前です。南側を「モセタキナイ南川」が流れていて、国道 232 号の橋のすぐ手前で合流しています。内陸側を通っていた旧・国鉄羽幌線は、モセタキナイ南川とモセタキナイ川をそれぞれ別の橋で越えていたようです。

前述の通り、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「モセタキナイ」という名前の川が描かれています(但し「セタキナイ」と左右が逆になっています)。「西蝦夷日誌」と「竹四郎廻浦日記」にも「モセタキナイ」の記載があり、また「再航蝦夷日誌」には「ムセタキナイ モセタキナイ也」と記されています。

隣に「セタキナイ」が存在する以上、「モセタキナイ」は mo-{setakko-nay} と考えるほか無いでしょう。「小さな・{ずいぶん長い間・川}」となろうかと思いますが、「セタキナイ川」で見られた「一見短そうだけど実際に歩いてみるとめっちゃ長い川」という特性を有するかと言われると、若干びみょうな感じもします(故に seta-kina 説を検討したり)。

まぁ、「モセタキナイ川」も上流部で肘を曲げたようなカーブがあるので、見た目よりも奥が深いと言えなくは無いのですが、本家「セタキナイ川」ほど「嘘やろー」感が少ないのも確かです。故に mo- で「小さな」なんだよ、と言われたら返答の余地は無いのですけどね。

白茶内山(しろちゃない──)

sir-o-cha-nay?
地・にある・細枝・川
sir-o-cha-nay??
大地・そこで・切る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
初山別村第三栄集落の南側を「栄南川」という川が流れているのですが、この「栄南川」を遡った先(東側)に「白茶内山」が存在します。「内」は nay に由来するケースが少なからずありますが、「白茶内」も同様で、元々は「白茶内山」の西側を「シロチャナイ」という川が流れていたことに由来する山名だと考えられます。明治時代の「北海道地形図」を見た感じでは、現在の「栄南川」が「シロチャナイ」だった可能性が高そうです(が、断言はできません)。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シロチヤナイ」という名前の川が描かれています。一方で「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(二丁五十間)モセタキナイ、(十九丁十間)ヲンネシロチヤナイ、(幷て)シロチヤナイ(小澤)、此邊惣て赤崩岸にて、埋れ木多く出たり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.272 より引用)
「ヲンネシロチヤナイ」と「シロチヤナイ」が併記されているのは興味深い話で、現在の「栄南川」と「栄北川」が、それぞれ「ヲンネシロチヤナイ」と「シロチヤナイ」に相当する可能性もありそうです。

また、「再航蝦夷日誌」には次のように記されていました。

小川幷て
     ヲンネシロチヤナヰ
ヲン子チロチヤナイと云也。小川有。越而直于
     チロチヤナイ
チロチロナイと云。此処小川有。皆砂浜。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.94 より引用)
「武四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     セタキナイ 小川
     モセタキナイ 小川
     ヲン子シロチヤナイ 小川
     シロチヤナイ 小川
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.512 より引用)
どうやら「シロ」という記録が多いようですが、「再航蝦夷日誌」には「チロ」と言う記録も散見されます。

永田地名解にも以下のように記載がありました。

Onne shir'o cha nai        オンネ シロ チャ ナイ  埋木ノ大川 埋木アル大川ノ義
Shir'o chanai,=Shiri-o cha nai  シロ チャ ナイ      埋木川 此辺赤崖ニシテ埋木多ク出ヅ故ニ名ク
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.405 より引用)
sir-o-cha-nay で「地・にある・細枝・川」と解釈した……ということでしょうか。どことなく引っかかるものがあるので少し考えてみたのですが、sir-o-cha-nay で「大地・そこで・切る・川」と読めなくもないかな……とも思えてきました。

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2019年9月27日金曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (109)「妹背牛駅と見せかけて」

「妹背牛温泉ペペル」に隣接した味処「米里」(べいりー)でお昼ごはんを頂いて、再び車に戻りました。まずは総合体育館の前の道を東北東に向かって……
左折して、北北西に向かいます。
180 m ほど走ったところで、道路は 90 度左に向きを変えます。妹背牛町役場や「農業者トレーニングセンター」そして「妹背牛町総合体育館」の裏側にやってきたことになりますが、ここを右折すると……
あの「妹背牛町カーリングホール」があります。いやー、こんな裏手にあったとは意外でした。

妹背牛町カーリングホール

駐車場の前には、左から「妹背牛町役場」(の裏側)、「農業者トレーニングセンター」(の裏側)、「妹背牛町総合体育館」(の裏側)が並んで見えます。道路と駐車場の間に原っぱがあるのは、除雪した雪の置き場……なんでしょうか。
ということで、「カーリングホール探訪」の第何弾……だったでしょうか(これまで 5~6 ヶ所ほど見てきたので、もはや良く覚えていない)。「妹背牛町カーリングホール」にやってきました。
真夏ということで思いっきりオフシーズンですし、ちょいと中を覗いてみよう……と思ったのですが、入り口に掲出されていた「本施設は 有料 です」の文字にビビって結局中には入らずじまいでした。

Play Water Park でトゥギャザーにプレイしようぜ

では、ささっと車に戻りましょうか。……なにもあんなに離れたところに車を停めなくても良かったのに。
カーリングホール駐車場の隣が「妹背牛遊水公園うらら」です。「妹背牛温泉ペペル」の前にあった地図には Moseushi Play Water Park Urara とありましたが……随分とストレートな訳ですね(汗)。

沈黙する打線

再び車に戻って、道道 94 号「マシ系な打線」……じゃなくて(ぉぃ)「増毛稲田線」を南下します。ガソリンスタンドとセイコマが見えますので、とりあえず生きていくには困らない感じでしょうか(まだ他にも困ることはあると思うけど)。
道道 94 号「マシ系な打線」(気に入ったのか)はこの先の十字路で左折して道道 47 号と合流します。十字路を直進すると 0.4 km ほどで JR 函館線の「妹背牛駅」ですが、この僅かな区間が道道 280 号「妹背牛停車場線」として指定されています。この先の十字路が「終点」で、0.4 km ほど先の妹背牛駅が「起点」です。
北海道中央バス……ではなくて「空知中央バス」の路線バスが右折してきました。この交叉点は妹背牛の中心とも言える場所で、南南西側の角には郵便局もあります。やはり生きていくには困らない感じ(以下同文)

妹背牛駅と見せかけて

道道 280 号「妹背牛停車場線」を南南東に走ること 0.3 km ほどで、前方に妹背牛駅らしき建物が見えてきました。時計台っぽい立派な建物ですね。
……と思ったのですが、よく見ると「妹背牛幼稚園」とあります。あれれ?
道なりに左カーブを進むと、正面に本物の妹背牛駅が見えてきました。さっきの幼稚園と比べるとやや小ぶりで、かなりシンプルなデザインです。
これ、電車で妹背牛に来た人ならともかく、車で来た人は絶対勘違いするんじゃないかと思うのですが……実際のところはどうなんでしょう?

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2019年9月26日木曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (108)「『米里』と書いて『べいりー』と読む」

「妹背牛温泉ペペル」にやってきました。建物の前には「妹背牛町営バス」のバス停があり、駅に向かうバスが一日一本……じゃなくて、月水金にそれぞれ一本ずつやってくるようです。コミュニティバスは特定の曜日にしか運行されないものが良くありますが、民間の路線バスよりも柔軟な運行ができるような仕掛けでもあるのでしょうか。
「妹背牛温泉ペペル」の横に併設された味処「米里」です。ちなみに「米里」
で……
……「べいりー」と読むのだそうです(汗)。札幌には「米里」で「よねさと」と読ませる地名がありますが、間違えないように注意しないといけませんね。

残念な写真もちょちょいと修正して

味処「米里」は建物の正面に向かって左側(西側)にあります。
これ、実は昨日の記事でも使用した写真なんですが、あまりに色合いが残念な感じだったので、ちょちょいと修正を施してみました。修正前の写真はこんな感じだったのですが、随分と良くなったのではないでしょうか。

豚丼、そしてお蕎麦

味処「べいりー」でお昼ごはんをいただきます。お盆の土曜日のお昼時とあって、店内は結構混雑していました。ということで料理の写真オンリーですが……
豚丼と、そして
お蕎麦という素敵なコンビネーションのメニューがあったので、そちらを選んでみました。

コンパクトシティ?

「妹背牛温泉ペペル」は、市街地のはずれ、北端とも言える場所にあります。近くの公共施設などが手作り感のする地図で紹介されていました。駅の近くに市街地がまとまっている街というのは色々とメリットが多そうな気がするのですが、実際のところはどうなのでしょうか。
建物の外には、マルチスケールの地図がありました。左側が「北空知」の地図ですが、幌加内町も「北空知」に含んだ形で描かれています(幌加内町は支庁再編の際に空知支庁から上川総合振興局に「お国替え」しています)。
右側が「妹背牛町」の地図で、中央にあるのが「妹背牛市街」の拡大図です。一部ラッピングが剥がれてしまって残念なことになっていますが……。
「妹背牛温泉ペペル」の隣には町の総合体育館があって、その横が「農業者トレーニングセンター」、そしてその更に横にあるのが「妹背牛町役場」のようです。役場と体育館と保養施設を一箇所にまとめて、すぐ近くに「妹背牛湧水公園うらら」があるという立地は、無駄が少なくて良さそうですね。

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2019年9月25日水曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (107)「初めての妹背牛町」

雨竜川にかかる風格のあるトラス橋である「筑紫橋」を渡って、秩父別町に入りました。Day 2 で「秩父別 PA」に立ち寄って以来、数日ぶりに戻ってきたことになります。
秩父別町のカントリーサインを拡大してみたのですが……何なんでしょうコレ(汗)。
国道 233 号を直進すると、ほどなく道道 628 号「小藤沼田線」との交叉点が見えてきます。
右折して、道道 628 号を南に向かいます。田んぼの中の快適な一本道で、眺めを遮る建物もほとんど見当たりません。

道道 628 号「小藤沼田線」

道道 628 号「小藤沼田線」は、妹背牛町秩父別(ややこしい)近くの「小藤交叉点」と沼田町を結んでいます。今は南に向かっていますが、北に向かうと何度か直角ターンを繰り返した後に、沼田町の「全力で右折を勧める交叉点」に出ることができます。

松浦武四郎も歩いた恵岱別越え

「大藤川」という小さな川を渡って、妹背牛町に入ります。妹背牛町は数少ない未踏の市町村のひとつだったのですが、ついにこれで足を踏み入れてしまったことになります(実際に踏み入れたのは足じゃなくタイヤですけどね)。
道道 628 号の起点が見えてきました。この先は道道 94 号「増毛稲田線」に合流することになるのですが、直進すると深川・妹背牛市街なのはいいとして、右折すると「増毛」というのは結構インパクトがありますね。
深川から日本海側に出るには、鉄道も高規格道路もどちらも沼田を経由して留萌に向かっていますが、一般道では恵岱別川を遡って増毛に抜けるルートもあります(道道 94 号)。このルート、実は松浦武四郎も歩いたことがあるんですよね。
このあたりの公共施設の案内ですが、「ひまわり」「サンフラワー」全力推しの北竜町を一人勝ちにはさせないぞ……とばかりに、妹背牛町にも「温泉ペペル」という施設があります。
道路脇にも大きな看板を出していて、アピールにも余念がありません。

妹背牛町が超オススメする

妹背牛町が全力でオススメする(で、いいですよね?)妹背牛温泉「ペペル」の近くまでやってきました。この先の交叉点を左折して……
もう一回左折すると、正面に「妹背牛温泉ペペル」の建物が見えてきました。
お盆の土曜日で、しかも正午を少し回ったところということもあってか、なかなか賑わっているようです。食事処もあるようですので、ここで昼食をいただくことにしましょう。

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